こんばんは~
どてなべ。です
本日、実家の父が80歳を
迎えました。
傘寿です
昨年、2月に脳梗塞で倒れ、
6月に退院し、自宅療養しています。
脳幹に支障をきたしたので、
片目が見えていません。
そのせいで、手足に麻痺は
ないけれど、
視野が狭いために、
思うように動けません。
どてなべ。はお抱え運転手です
(b^-゜)
以前の父は 年齢の割には
あまりにも活発でした。
60歳をこえて、
パソコンを独学でマスターし、
双子の育児写真もほぼ、
全部を担ってくれていました。
ですが、元来、まじめで、
根を詰める性格か、
狭心症からの血栓が原因で、
脳梗塞に。
搬送時には、重篤でした。
どてなべ。は辺りかまわず、
救急車の中でも、
レイキヒーリングをしました。
それだけでは ないけれど、
父は持ち前の体力もあり、
驚異の回復力を見せました。
ですが、
記憶もまばらになったり、
会話がゆっくりになったり・・・
そのギャップに
家族はとまどうばかり・・・
どてなべ。も
「どうしたら、いいのか?
もしかして、認知症?」と
思い悩む日々を重ねてきました。
が
昨日、3年前から受講している、
日生福祉カウンセリング講座が
「認知症と家族介護」の講義!
なんて、タイムリーなんでしょう!!
その中で、認知症の親の介護の事例を
動画で観ました。
そこで感じたのは・・・
昨年、夫の父がアルツハイマー型
痴ほう症を罹患し、
誤飲性肺炎で亡くなりました。
痴ほう症の兆候が見えた頃、
どてなべ。は双子育児の真っただ中。
刺激を得てほしい、と
赤ちゃんだった、双子を連れていっても、
認識できませんでした。
ま、親でも間違えるから、仕方ないよね。と
その時は笑っていたけれど・・・。
結局、子育てに専念しなさい、と言ってもらったことに
甘えて、進行していくさまを
知識がないのをいいことに、
全く、関与していませんでした。
そして、奇行。徘徊。
その事実も知らされず、入所、入院、最期。
そのことを思うと、動画を観て、
「お義父さん、ごめんね」と
涙が止まりませんでした。
唯一の救いは、
息子である夫、孫である双子に
末期の「声をかけてあげて」と言えたこと。
何を言っても、
これまで、反応のなかった、
義父の目には、
その時、涙がありました。
「わかってくれたんやね」
そう言えました。
ほったらかしにしてたのに・・・
感謝の思いでした。
昨日の講義で、
「痴ほう症の人はわからないから、幸せ。
・・・とは違う。」
「行動やこれまでの生活のスピードが
変わっただけで、心はそのまま」
講師の先生がおっしゃって、
目から うろこがとれました。
やっぱり、そうやった!!
まさに、義父は そうだったのです。
臨終のときでも、
人は聞こえるのです。
わかっているのです。
教えていただきました。
そして、今、
以前の昨日を失い、
怠惰な日々を送る父を見て、
悲しくなっていた娘、
どてなべ。
ゆっくり、動いているだけ。
ゆっくり考えているだけ。
わかっているんだ。
それならば、
周りの 者は ゆっくり見守ればいい。
かっこいい父。
紳士だった父。
先日、久しぶりに
庭のメダカに餌を
あげようとして、こけちゃったらしい。
だけど、玄関のインターフォインを
付け替える意欲がある、らしい。
今日、
80歳になって、
何も語らず、
静かに座っている父も
十分、ドンとしていて、
貫禄あるやん。
「おじいちゃん、
誕生日おめでとう。
長生きしてね」コールをした
双子は
淀川沿いに ひたすら冒険に
挑む、元気で頼もしい孫。
だけど、祖父として
危険なことへの
釘をさしてくれていた。
存在そのもの がええやん。
ありがたい。
まだまだ、よろしくね。
あらためて、
ハッピーーバースデー