私の物語②~二十歳最後の日~
一人暮らしを始めてから一か月後三月末は私の二十一歳の誕生日だった。引っ越す前はひとり暮らしさえ始めれば精神的な不調も治りすべてうまくいくと思っていたけれど現実はそう甘くはなかった。ひとりで暮らす部屋に相変わらず孤独な夜が訪れ摂食障害も治らずひたすらバイトに明け暮れる日々。春からの新学期に自分が大学にまた戻れるのかも分からないまま毎日フラフラと私が探す“答え”を探して本屋をうろついていた。答え――それが何の答えなのか、自分でもよくわからなかった。自分が生きていていいのかどうやったら生きていていいと思えるのか誰かに教えてほしかったのかもしれない。二十歳最後の日の夜中。私は何かをきっかけに、また不安に襲われて部屋で吐き布団にくるまって泣いていた。死にたい、と思った。これ以上、どうやって生きていったらいいのかわからない。こんな醜くて役立たずな私はこの世界にいらないと思った。ここで死んだら、私は享年二十歳になる。そしたら私は友人たちの記憶に深く永遠に刻まれてある意味愛をたくさんもらえる、とさえ思った。それは甘美な夢で、精神のバランスをくずしてから何度もなめまわすように夢想してきたことだった。トイレに行き、排便をして、これが最後のトイレかな、と思うと怒涛の涙があふれた。そのとき私の魂が、深遠な暗闇の中で何かに触れた。それは何だっただろうか。生命への渇望か――私がずっと忘れていたこと。幼いころ何度も見た『生き物地球紀行』でシマウマを仕留めそこねたライオンがサバンナの中をやせ細った姿で最後まで歩き続ける映像が突然私の瞳の裏側に現れた。彼らは喉がからからに乾き、がりがりにやせ細った姿でも最後の最後まで獲物を探して歩いた。身体が乾いた草地の上に崩れ落ちる、その瞬間まで。私もあのライオンのように生きなければならない――理由なんていらない。生きるとは、そういうことだから――その時、私の魂が心身を内側からドンドンと打ち付けるような感覚に襲われて私は泣きに泣いた。私は二十歳を超えて生きよう。醜くても、役立たずでも、ぐちゃぐちゃでも最後の最後まで、自分の命を生きよう。自己憐憫に浸るのはやめよう。地球上には70億人も人がいるのだ。私ひとり、自分のためだけに生きたって、べつに誰も困らないだろう。とにかく、どうなってもいいから行動してみよう。私は立ち上がり、夜が明ける前に髪の毛をひと房切って、瓶につめた。二十歳の自分の封印して、ここから始めるために。つづく