前回ブログに「また明日ウインク

と言っておきながら早くものびのび滝汗

すみませんチーン




       中学卒業してからその後


中学卒業後、家族と言うものに憧れを抱いていた

私は、父親と一緒に暮らす決断をしました。

当時、父は再婚しており義理母と7歳下の弟、

祖母、同じように家族に夢を抱いた1歳年上の姉 

と3Kの住宅に暮らしました。


私は、高校は定時制へ入学。

でも、制服は買って貰えず施設にいた時に

お小遣いを貯めた貯金で、自分で制服と

自転車を買った記憶が残ってます真顔


入学式には誰も来てくれず、

高校の授業料も昼間バイトしたお金でやり繰り笑い泣き

休みは、まだ幼い弟を連れながら同級生と

カラオケに行く日々を送ってたなぁ笑い泣き


その頃の両親は、毎日パチンコ。


夢にみた「家族」はやはり夢のまた夢。

後悔だけしかありませんでした。


そんな生活が2年続き、夜に定時制行くより

仕事してお金を稼ぎ早く自立したく高校を中退し、

当時は女性では珍しく重機のオペレーターをしてました。

今思えば高校卒業しておけばよかったチーン


その当時、消費者金融の無人くんが大流行り真顔

暇さえあればパチンコに行く義理母は、

借金をしパチンコに行くようになっていたみたい。


ある時、18歳になったばかりの私と姉に

身に覚えのない借金の督促状が届くようにチーン

義理母は、私と姉の名義で借金をしていたようチーン

姉と私は怒り💢狂い義理母に発狂真顔

それから暫くし、義理母は借金だけを残し家を出た。

後から聞いた話しだと、他県に住み込みでスナック

で働いていたみたい。


その後が悲惨ゲロー


父も義理母の借金を被り。

姉も、同じく300万くらい。

私も、もれなく同様に250万くらいの借金。

当時18歳の私は途方にくれ、しつこい借金取りに

終われ疲弊した生活を送ってましたチーン

今思い返せばよく生きていたな..


姉は自己破産し、私はそんな生活に嫌気がさし、

逃げるように東京へ有り金握り締めて

新幹線に乗り新たな生活へ。


この決断が、後に後悔ガーンすると同時に

今の私を作り上げる為、良くも悪くも

良い経験となりましたウインク



長くなったので、また次回へ。
「明日」とは言わないでおきますニヒヒ