最近、自分でも不思議だなと思うことがあります。

どうして私は、今こんなにも裕さんのことを深く知りたいと思うようになったのか。それはある日、偶然目にしたひとつの動画がきっかけでした。


たまたま何気なく YouTube を眺めていたとき、誰かが投稿していた松本零士さんの「桜花」のショート動画が流れてきました。

その短い映像が、驚くほど心に刺さったんです。特攻隊のことはもちろん知っていました。でも、自分から積極的に知ろうとしたことは、正直これまでありませんでした。それなのに、松本零士さんが描いた「桜花」の世界だけは、なぜか胸にすごく響いた。

その日から DVD を買って観たり、関連する本を調べてみたり、戦争映画にも自然と興味が向くようになりました。


知覧の存在さえ知らなかった私が、「いつか行ってみたい」と思うようにもなりました。

近くの戦没者記念館にも足を運びました。

有名な“子犬を抱いた少年兵”の写真を初めて拝見したのも、この頃です。


ちょうど仕事がしんどい時期でもあり、特攻隊の若い人たちの姿を思うと、自分を奮い立たせるような気持ちにもなりました。


そんなある日、ふと思い出したのです。

──そういえば、亡くなった父が言っていた。

「戦時中、親戚にパイロットだった人がいる。叔父にあたる人だ」と。


それが、裕さんのことでした。あの時たしか父に特攻の話を聞いて、幼いわたしはなんで?なんで?どうゆうこと?船に飛行機のまま突っ込んでいくなんて、どうしてそんな怖いことができるの?と考えていました。

とにかく戦争が怖い、起きて欲しくない!と願っていたように思います。


しかし、思い出した瞬間から、どんどん知りたくなった。

「どうして今まで写真を見たことがなかったんだろう?」

子どもの頃、親戚の家に行ったときに感じたあの違和感も、急に全部つながりました。


今なら分かります。

座敷に並ぶご先祖様の遺影の中に、裕さんの写真だけがなかった理由。

若くして亡くなった息子の遺影をそこに並べるなんて、ひいおばあちゃんはどうしてもできなかったのだと思います。

認めたくなかったし、見るたびに胸が苦しくなったのでしょう。

それほど大切な子どもだったのだと、今なら理解できます。

ひいおばあちゃんの部屋にだけ、裕さんの写真が飾ってあったそうです。


私も調べるうちに、胸が締めつけられることが何度もありました。

でも、知れて良かった。

何もしてあげられないけれど、思い続けることはできる。

そう思っています。


ただ、ひとつだけ寂しいのは、父と裕さんの話がしたかったこと。

父は何を知っていたのか、どんなふうに裕さんを見ていたのか。

聞いておけばよかった、と今でも思います。

でも今頃はきっと、天国で会えているのかな──そんな想像をすると、少しだけ心が温かくなります。


裕さんにつながったのは偶然だったかもしれないけれど、

あれ以来ずっと、どこかで背中を押されているように感じるのです。