自分に素直に生きることは意外と難しい。
こうしたいと思っていると、そのことを貫くためにいつのまにか無理をしたり、
自分の気持ちに素直に行動していない時がある。
というか、そういうことがなぜか多くなってしまう。
ここ1年ぐらい、自分の思う事と違う行動をしていたかもしれない。
もちろんそうしたくてしたのだろうが、無理をしていると歪みがで始める。
最近そのことになんとなく気がつき始めているようだが確かではない。
仕事にしても、プライベートにしても、
やはり無理をすると後々響いてくる。
そのしわ寄せのようなことが気持ちの中に起こっている気がする。
だがその気持ちが決定的ではないのはなぜだろうか。
数日前、長年のしがらみから開放された気分になった。
そして、しばらく我慢していたであろうことを行動した。
そうしたいと言う欲求が湧いてきたのだ。
その結果、
以前の自分のように好き勝手に行動することの気持ちよさを痛感したように思う。
この行動をとることが、ここ最近はいけないことと思っていた。
こうしたいと思っていたことをするために自分がしたいことを抑えていたのだ。
そしてしないようになった。その頃は、したくないからしないんだと思っていたが、
そうではなかったのかもしれない。
無意識のうちにそのような欲求はないと思い込もうとしていたようだ。
もっと大切なことのために我慢する。
我慢とは違うかもしれないが、そういう気持ちになっていなかったのかもしれない。
だが、そのもっと大切なことというのはそもそもなんなのか。
自分の気持ちを抑えてまでも大切なこととはなんなのか。
その気持ちのズレが違和感としてじわじわと感じられているのか。
自分を変えることが成長することなのだと思っていたが、
長年やってきた自分をわざわざ変えるというのは、自分に対してエコではなくエゴである。
変えた後の自分と変わる前の自分、どちらが本当の自分なのかと考えると、
前の自分なのかもしれないが、変わっても自分は自分だ。
だがそれは偽りの自分なのかもしれない。
自分を偽って生きることがはたして何になるのだろうか。
何のためにそのようなことをしなければならないのか。
その大切であろうこと、自分の欲求より大切であろう欲求のためか。
だが、自分にとってそのいろいろな欲求は何が本当に大切なのか。
皆、我慢して生きていると、年長者は言う。この短い人生を。
だが、それは違う。なにも我慢する必要はない。
自分の人生には何が必要なのか。
周りの人間に対してうまく立ち回ることか。
世間体か。
人の機嫌をとることか。
良い人生は、
自分にとって毎日が楽しく、時間がゆっくりと流れていくことだろう。
この5月のような気候で、穏やかに毎日を過ごせることだろう。
その為に、自分には何が必要なのだろうか。
