けんかをしても
いくところがない



実家じゃあ
なんかしゃくだし





ドライブにつきあってくれる誰か
朝まで一緒にすごしてくれる誰か

が、もういない



そうだ
わたしたちは20代じゃない
青春じゃない
こどもじゃない




もうおとなだったっけ

みんな家庭があって
誰かのお手本で


家族がいても
ひとりだとしても
0時にはねむりにつく

そういう
おとなだったっけ





お腹のぽこぽこで
目が覚める

そのいとおしさで
現実にかえる
涙がでる
深夜



カーテンの隙間の月明かり
いや街灯の灯りかも

頼りにして
放った丸めたティッシュがごみ箱に
入ったような感覚

どうかな



明日の朝、確認しよう



ああやっぱり
飛び出せないんだ

ちくしょう
と思いながら布団にかえる




ぽこぽこっと動くおなかに
相手してくれてありがとね
なんて
なでなでしながらこっそり話しかけ
ねむる夜







はずれたティッシュをみつけて
しーらない
と、また布団にかえる朝

麦茶を水筒にいれてカウンターにおいて
しらんぷりをして
ドアのしまる音をきく


やさしい音がひびいたから
すこしは自分を振り返ったのかしら








わたしのきもちはどうだろう



好きな作家 ブログネタ:好きな作家 参加中
本文はここから



そもそも

好きな作家さんはね、

なんて

声を大にして言えるほど本を読みません



なので私が大切に持っている数少ない本

それを書いた作家さんは

イコール すき です






なにも迷わず答えられる方は


梨本香歩さん



彼女が書いた

『西の魔女が死んだ』




わたしの生涯できっとずっと
いちばん大切な本だとおもいます








ただ

「この本がだいすき」

という表現は

自分の気持ちとはなんとなく

合っていない気がしています











これと出会ったきっかけは


自分でたまたまみつけたのか

誰かにすすめられたのか

もう全く覚えていませんが

初めて手にしたのは中学生のときでした




思い悩む中学生でした

なんつって(笑)






でも当時の私は私なりに

必死な毎日でした






友だちもいたけれど

なんだかうまくやれてない感じがして

ほんとうの友だちじゃない気がして


それに

その子達以外とは

さらにうまく付き合えなくて






とか


いい表現を使っていますが

当時は色々、

色々ありました






一言で言えば、つらかった




抜け出すいつかを探していた

というか 

漠然としたおわりを妄想してみたり

自分はみんなと違うんだと思っていたり




なんだそれ

そんなこと?

中学生にありがちなやつ


って

いまでは笑い話にできる、なってしまう

でも、そんな考えだけが当時、

拠り所だったりしました









そういううまくいかないことのすべては

誰かのせいではないし

誰かのせいにしていたわけではないけれど


元は自分のせいだってことを

ほんとうはわかっていて

わかっている

ということも

つらかったりしました









いくえみ稜さんの漫画にあったことば


「ちっこい世界だけど

 あたしらの

 ほとんどすべて」




ほんと、当時はそういうことなのでした




ここがすべてで
ここ以外を知らなくて
世界はもっとひろいのに

抜け出すすべも知らず
改善する勇気もなく


ただ一日一日がすぎていた
毎日が通りすぎるのをまっていた
いつかなにか変わるんじゃないかと
ほんとうは期待しながら










そんななかで読んだ

出会った


『西の魔女が死んだ』










この本は

逃げること

を、肯定してくれた(と感じた)






それが正しいとか

間違っているとかじゃなくて


ただ

それに救われたのです






別に

「逃げるの卑怯だ」

とか思うタイプではないし


それ以前に現実的に

「逃げる」ことなんてできないと思っていたし


他人の目を気にする子どもだったので

「学校にいかない」

なんて選択肢も

どうしても選び取れなかった


そんな当時の私






でもほんとうは

ほんとうは




逃げたくて

逃げたくて

逃げたくて



誰も知らないところへいきたくて

みんなにわたしを忘れてほしくて

どうしようもないものがからだのなかを渦巻いて










本の中の文章を
はっきりとは覚えていないのだけど

「逃げてもいい、

 なぜ 逃げてはいけないの」




あいまいな

でもずっと心に残っている、

このおばあちゃんの言葉に

救われて


そしてずっと

救われてきたんだと思います







わたしは

【超】がつくほどのおばあちゃん子だから

余計に響いたのかな











それからなんとなく


「ほんとにだめになったら」逃げちゃおう


思うようになりました


どうに?って?
わたしもあの頃のわたしに聞きたいけど
そんなのきっと
当時のわたしも考えていなかった





でもそう思うと

思えるだけで


不思議なことに




つらくても

泣いても

投げ出したくなっても



結局いつも


「まだ大丈夫」


思えたのでした

なぜでしょう









そうしてそれから


ちゃんと読み返すことはあまりないけれど

お守りのようにずっと持っているのが


『西の魔女が死んだ』









大人になって

これまでに何度となく環境も変わり

楽しいことも幸せなこともたくさん知って


悲しいことやつらいことの

乗り越え方やかわしかた、受け入れ方や

逃げ方も

少しは知って


考え方や感じ方も

変わったところもきっとある今の私は




この本がなければ

きっと違う自分になっていた

と思ったりします




生きているかぎり

自分に触れる、関わるすべてのことから

大なり小なり影響は受けるのだから

そんなのあたり前なのかもしれませんが


でもそう思える本があることが

ちょっと

誇らしかったりします






…なんて!


「ほかの本は全然読まないのになにを偉そうに」

って

我ながらちゃんと思っていますが(笑)









ただ

なんといわれようと


自分にとっての、

そういう大切な本を書いてくれた作家さんを

すきと思わないわけがない



そして最初に思った

「だいすき」とは違う気持ち、は、

「だいすき」と、ぽんと言えないのは


当時のもやもやした重たい気持ちと記憶が

本のどこかに引っかかって

はさまってしまっているからなのかも

しれません





だけど、それでも

だからこそなのかな


この本とともに

当時のちいさなわたしも一緒に

ずっときっと

生涯持ち続けるであろう




私にとってこれは

そういう大切な一冊です







わたしたち夫婦は
今日

結婚記念日をむかえました



結婚して丸5年
6年目のスタート















このたび赤ちゃんを授かりました









わたしたち夫婦待望の赤ちゃん !










なんですが
いま
なんと





妊娠悪阻で入院しています





要はつわりなんですが

つわり
あまくみてました
とにかくつらい
つらいなんてもんじゃない


生きてきてはじめて、
このままではしんでしまうかも
と思いました 
思っています、本気で
それくらいつらい
それくらい壮絶




ですが
入院して一週間
悲しいかなまったく回復のきざしなしだった

のに

なぜか今日は
ここ数週間でいちばんというくらい
調子がいいのです!

もちろん気持ち悪さはあるし
力も全然入りませんが
でも今日はいつもとちがう



結婚記念日だから?
ふしぎです



お願いだからこのまま回復してーーー
と心!底!思いながら



彼が手作りしてくれた
マタニティマークをパロディした
記念日のカード登場という
思いがけないサプライズに
号泣したり
(マタニティマークのママがわたしの顔で
赤ちゃんがなぜか彼の顔 (笑))



これまた彼がうちのママとやりとりしている
(わたしをBCCでふくめている)
「今日のわたしのようす」メールの
なんてことない彼のことばに
嬉しくなって
ひと泣きし



疲れたのか、今はまた
(いつもよりは軽めの)気持ちわるさと
戦っております







といっても、つわりのはじまりのころは

彼の心ないことばに
ひどく傷ついたりもしたこともありました



あまりに衰弱していくわたしに
これはやばいぞと
やっと気づいてくれたようで (遅)


いまでは毎日
甲斐甲斐しく顔をみせにきては
やさしいことばをかけてくれます



こどもの名前を考える彼の顔の
なんとも幸せそうなことといったら !










そういうわけで
うそのようにつらくも しあわせな
結婚5周年



無事に
いやなんとか
迎えることができたことに
まずは感謝しています 












彼が帰っておうちでつくったという
5周年オムライス
おいしそ !(*^^*)