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ブログネタ:好きな作家 参加中
本文はここから
そもそも
好きな作家さんはね、
なんて
声を大にして言えるほど本を読みません
なので私が大切に持っている数少ない本
それを書いた作家さんは
イコール すき です
なにも迷わず答えられる方は
梨本香歩さん
『西の魔女が死んだ』
わたしの生涯できっとずっと
ただ
「この本がだいすき」
という表現は
自分の気持ちとはなんとなく
合っていない気がしています
これと出会ったきっかけは
自分でたまたまみつけたのか
誰かにすすめられたのか
もう全く覚えていませんが
初めて手にしたのは中学生のときでした
思い悩む中学生でした
なんつって(笑)
でも当時の私は私なりに
必死な毎日でした
友だちもいたけれど
なんだかうまくやれてない感じがして
ほんとうの友だちじゃない気がして
それに
その子達以外とは
さらにうまく付き合えなくて
とか
いい表現を使っていますが
当時は色々、
色々ありました
一言で言えば、つらかった
抜け出すいつかを探していた
というか
漠然としたおわりを妄想してみたり
自分はみんなと違うんだと思っていたり
なんだそれ
そんなこと?
中学生にありがちなやつ
って
いまでは笑い話にできる、なってしまう
でも、そんな考えだけが当時、
拠り所だったりしました
そういううまくいかないことのすべては
誰かのせいではないし
誰かのせいにしていたわけではないけれど
元は自分のせいだってことを
ほんとうはわかっていて
わかっている
ということも
つらかったりしました
いくえみ稜さんの漫画にあったことば
「ちっこい世界だけど
あたしらの
ほとんどすべて」
ほんと、当時はそういうことなのでした
ただ一日一日がすぎていた
そんななかで読んだ
出会った
『西の魔女が死んだ』
この本は
逃げること
を、肯定してくれた(と感じた)
それが正しいとか
間違っているとかじゃなくて
ただ
それに救われたのです
別に
「逃げるの卑怯だ」
とか思うタイプではないし
それ以前に現実的に
「逃げる」ことなんてできないと思っていたし
他人の目を気にする子どもだったので
「学校にいかない」
なんて選択肢も
どうしても選び取れなかった
そんな当時の私
でもほんとうは
ほんとうは
逃げたくて
逃げたくて
逃げたくて
誰も知らないところへいきたくて
みんなにわたしを忘れてほしくて
どうしようもないものがからだのなかを渦巻いて
本の中の文章を
「逃げてもいい、
なぜ 逃げてはいけないの」
あいまいな
でもずっと心に残っている、
このおばあちゃんの言葉に
救われて
そしてずっと
救われてきたんだと思います
わたしは
【超】がつくほどのおばあちゃん子だから
余計に響いたのかな
それからなんとなく
「ほんとにだめになったら」逃げちゃおう
と
思うようになりました
でもそう思うと
思えるだけで
不思議なことに
つらくても
泣いても
投げ出したくなっても
結局いつも
「まだ大丈夫」
と
思えたのでした
なぜでしょう
そうしてそれから
ちゃんと読み返すことはあまりないけれど
お守りのようにずっと持っているのが
『西の魔女が死んだ』
大人になって
これまでに何度となく環境も変わり
楽しいことも幸せなこともたくさん知って
悲しいことやつらいことの
乗り越え方やかわしかた、受け入れ方や
逃げ方も
少しは知って
考え方や感じ方も
変わったところもきっとある今の私は
この本がなければ
きっと違う自分になっていた
と思ったりします
生きているかぎり
自分に触れる、関わるすべてのことから
大なり小なり影響は受けるのだから
そんなのあたり前なのかもしれませんが
でもそう思える本があることが
ちょっと
誇らしかったりします
…なんて!
「ほかの本は全然読まないのになにを偉そうに」
って
我ながらちゃんと思っていますが(笑)
ただ
なんといわれようと
自分にとっての、
そういう大切な本を書いてくれた作家さんを
すきと思わないわけがない
そして最初に思った
「だいすき」とは違う気持ち、は、
「だいすき」と、ぽんと言えないのは
当時のもやもやした重たい気持ちと記憶が
本のどこかに引っかかって
はさまってしまっているからなのかも
しれません
だけど、それでも
だからこそなのかな
この本とともに
当時のちいさなわたしも一緒に
ずっときっと
生涯持ち続けるであろう
私にとってこれは
そういう大切な一冊です