「さて、行くかな」



必要な書類をガッサリと詰め込んで


薫は、タクシーに飛び乗る



今、住んでいるマンションから

お台場の実家までは

タクシーで、1600円くらい


薫は、たいてい土曜日に

実家に帰ることにしている



週に1回は実家に帰ること


それは、社会人になって、兄・涼と交わした約束



「親に恩返しができるなんて、


もっと、ずっと先のことになるだろうけど。


少なくとも、元気で成長する姿だけは


みせていこう」


涼との約束だから、という理由でもあるけれど


薫は、この習慣を実家をでてから

ずっと守っている。



そして、親孝行というよりもむしろ

自分の安定のために


必要だ、とも感じている



もしかしたら、涼は


そんなことも見越していたのではないか


とさえ思う






仕事を始めて、徐々に身につけた


しなやかな鎧


それは、毎日の自分を守り

前へ前へと進む助けとなる



それでも


その鎧を時々は脱ぎ捨て


素の自分


を見つめたい。


それほど単純には生きれないオトナ


に、自分もなってしまった


時々、そう感じるから


なおさら、自分と向き合うことは


今の薫には、大切に思えてならない。



「実感、実感がほしいんだ、わたしは」


仕事をしている、という実感


前にすすんでいる、という実感


成長している、という実感


愛している、という実感


愛されている、という実感




金曜日の午後から

ずっと龍介と打合せをしながら


薫は、頭の片隅で、ずっとこのことを考えていた。


そして思う、


龍介との間に感じていた、何かのつながり


はきっと、


信頼している、という実感

信頼されている、という実感


なのだと。


社内の大きなプロジェクトで


龍介とは、ここ数ヶ月
ずっと一緒に働いてきた


話すときにじっと目を見つめ、そらさないこと


二人になると、薫、と名前で呼ぶこと


食べ物の好みをわかって、オーダーしてくれること


タクシーは必ず先にのせてくれること



龍介の当たり前の気遣い


一緒にいる時間の長さ


信頼関係


が重なって


これは、恋なのかもしれない、と


ぼんやり嬉しく
ぼんやり胸が苦しい


そんな日々を最近すごしていた。



けれど


昨日の、龍介のカノジョの写真で

一気に現実に戻り


そして、理解する



愛される実感も

愛する実感も


たぶん、この人から得ることはできない。



金曜日の深夜に、デスクから見える、

一人で見るにはもったいないくらいの 東京の夜景


を見ながら



薫は、改めてこのことを考えていた。


気持ちに、何度も何度も線を引っ張って

クギリをきっちりつけるように。

「それでも、仕事はやってくる…っと」


薫は、龍介が机上に置いていった

資料を確かめながら、

つぶやいた。



昨日の飲み会で感じた、

チクリとした胸の痛み、

寂しさ。

いつもなら、一晩寝て忘れてしまうはずなのに、

今日はオフィスに来るまで憂鬱だった。




でも、

書類に貼られた付箋、で

あっさり元に戻る。

「午後イチで、要MTG。

場所押さえてます。

データと企画書よろしく

田中龍介」


つぎつぎとやってくる仕事

それが自分を支えているのだ

と、分かってしまう。


ココロの事情など

何の理由にも言い訳にもならない

この厳しさに救われてるなんて、

なんだか、複雑ではあるけれど。




「龍介と、仕事でつながる以上のことを

ホントに期待してたんだろうか、ワタシは…」


もう少し、このことを考えたいと思ったけれど



お仕事モードになった自分の頭の中に

その余裕は、もちろんなかった。