とうとう、というべきか、あっという間、というべきか。

危うく忘れそうになりましたが、聞き慣れない病名を初めて告げられてから、今日で丁度1年となりました。

その数日前、定期健診で「血液に異常がある」ので総合病院で精密検査を行うように言われ、紹介状をもらいました。

紹介状は封印されていましたが、病院の何科宛になっているかを正確に確認する必要があり開封して見ると、白血球やヘモグロビンの低下を表す数値の横に、家族の既往歴が手書きされていて嫌な予感がしました。

実は、私の母と父方の祖父はそれぞれ癌を患っていて(更に言うと、父方のいとこも癌でした)、そのことがわざわざ追記されていたからでした。

血液検査のあと長い時間待たされ、そろそろ仕事に戻らないと明日の仕事に支障があるな...などと思い始めた頃、50代半ばぐらいのベテラン医師に、慎重な言い回しですがかなりあっさりと、「多発性骨髄腫」の疑いが非常に高いと宣告されました。

その時に言われた言葉、「残念ながら完治は難しい病気ですが、最近は治療もかなり進んできていて、中には10年以上生きる人もいます」という言い方が、とても引っかかりました。

「中には10年以上も」って、何? 多くは10年以下という意味??

話を進めるうちに、この病院だと通院や家族の見舞いが大変だと気付き、家に近くて同じ治療を行っているという他の病院に行くことを決め、今に至ります。

あの日、病院から帰って状況を説明すると妻に泣かれましたが、自分でもどうして良いかわかりません。スマホで検索すると、追い討ちをかけるように絶望するような情報ばかり次から次へと出てきます。

まさか自分の人生がこんな形で終わるなんて想像もしなかったな...。早く帰ってきた父親に喜ぶ子供達の笑顔を見ると、どうしようもない切なさがこみ上げてきました。

あれから、1年。

まだまだ先は見通せませんが、それでも確実に前進はしています。もしかしたら横ばいかもしれませんが(笑)、それでも後退はしていません。

少なくとも、自分自身に病気と闘う意志があります。病気のことも少しはわかるようになりました。

そして何よりも、自分自身の状況について、多くの情報を持っています。
「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」とまではいきませんが、1年前よりは随分と色々な経験値も上がりました。

何が言いたいかというと、1年前自分で想像していたよりは、案外頑張っているんじゃないかということ。パーフェクトからはほど遠くとも、色々と想定外のことが起きていても、それなりに対処しながらフラフラと進んでいるのだから、これからもこの調子で頑張っていこうかなと。

楽天的になっているわけではありませんが、悲観的になっても何も始まらないという諦観が、自分の毎日を逆に支えているのかもしれません。

今日、鬱々と考え事をしながら公園を散歩していて、ふと気が付くと緑がとても濃く、空も青く綺麗でした。確か、1年前も同じような日でした。



そんなことで、まだまだ現時点では道半ばだと思いますので、これからもしぶとく、毎日を積み重ねていきたいと思います。