弱さを誇るなんて、ただの甘えじゃないかって思っていた。
何でもやればできるんだって、やれないのは根性が足りないからだって、
いつからか、そう教えられてきた。

でも、やれないことがある。
がんばっても、目標としてるスターのような人になれないこともある。
そんなときの方が多いかもしれない。

人は弱いからこそ、誰かと一緒にいたい。
誰かのぬくもりを確かめていたい。

風邪をひいたとき、誰かに背中をさすってもらいたい。
眠れないとき、子どものときのように抱きしめてもらいたい。

大人になった私は言うべきじゃないと思って今まで言えなかったけど、
咳き込んで寝付けず、「背中さすって」ってようやく母に甘えることができた。
とっても嬉しかった。ほっと安心した。

母が子へ伝えるように、ぬくもりは人から人へ伝えていかなければ
そのぬくもりを人は知ることができない。
カラダが弱っているとき、ココロが弱っているとき、
誰かとぬくもりを確かめ合うことを、求めている。
必要としている。

寂しさを感じたり、疲れているとき、誰かに甘えてもいいんだ。
いくら科学が進化しても、ぬくもりを感じられないと人間は生きていくことはできないと思う。
それは、お互いに愛し合うように神が造られたから。

誰かが教えてくれたぬくもりを、今度はまた誰かに・・・。

Noah
ブログを長い間、お休みしていました。
たまたま通りかかった皆さん、どうも!Noahです。

この間にイロイロとありました。
皆さんも、きっとイロイロ。
イロイロあり、今日も生きている。
そうですよね。

私は、夢が達成した後の無力感というか・・・。
次なる目標が定まらず、よく泣いていました。

頼る人もいなくて、ただ祈るばかり。
試練だゎ・・・。

だけど、耐えてみせる。
耐えられない試練なんてない。
神様は、そんな試練は与えないって約束してくださっている。

そして、こんな言葉もある。

「あなたがたは世で苦難がある。
 しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」
              新約聖書 ヨハネによる福音書16章33

だって。
苦難はあるんだって。どんな人にもね。
勇気かー。飲み込んじゃってるなー。
言葉にするにしても、行動するにしても、出さないといけないんだね。
かなり私にはチャレンジだわ。

でも、私は負けてなんかない!
私は弱くても、守ってくれる神がいるのだ。
この言葉のとおり、持てる限りの勇気をしぼり出してみよう。
ネガティブな思いは、人をジワジワと暗闇へと追い込む。
まずはネガティブから勝利するぞ!
よい言葉で、この身を飾ろう。

私は素晴らしい!!

日本語が話せる。車の運転ができる。飼い犬に話しかけている。
夕陽が美しいと思える。苦しみに遭った分だけ人の痛みが分かる。
歌うことが好き。自分ネタで人を笑かすのが好き。

ほら、私は素晴らしい!!
できること、好きなこと、けっこうあった。
私の可能性、まだまだあるね。

今日、最初の一歩踏み出せたかも?!
やったー!

Noah
「求めなさい。そうすれば、与えられる。
 探しなさい。そうすれば、見つかる。
 門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」

   新約聖書 マタイによる福音書7章7節(新共同訳)


聖書の有名な箇所だ。

求める。
何を求める?
仕事、生涯のパートナー、収入、安らぎ・・・?

探す。
何を探す?
仕事、生涯のパートナー、夢中になれること、かっこいい洋服・・・?

門をたたく?
何の門をたたく?
未来への扉?今の問題の解決法?


最近、6年越しの夢が叶った。
祈り続け、求め続けていたことが実現した。
この6年を思い起こすと、その夢だけに一直線にはいかなかったけど、
しかし、ずっと思っていた。祈っていた。
だから、このことは私にとって、とっても大きな祈りの答えだった。
神はこの私の祈りにも耳を傾けて、“その日、その時”を与えてくださった。
私も少しは行動したけど、ががむしゃらに努力したからとかではない。
ただ本当に心から祈り求めていた。
そのことを思うと、すごい・・・と思う。神様スゲー!と思う。

現に日々の中で、
何でこんなことをしているのか、
この仕事は自分が本当にやりたいことなのか、
これから先、誰かと家庭を持つことがあるのだろうか、
私の役目は何だろうか・・・、
色々と悩み、答えを求めている。

だけど、今だけがすべてではない。
今、与えれている環境がきっと益になる時がくる。
そう信じることは何と素晴らしいのだろう。
信じるか信じないかで、人間の人生は大きく変わる。

求めなさい。
探しなさい。
門をたたきなさい。

“そうすれば・・・”と約束される言葉を信じて、
これからも自分自身を諦めないで、行動していこう。


あなたもね(b^-゜)


Noah
いまだかつて、愛されることに慣れていない。
どうしたらよいのだろう。

片思いのときは、遠慮なく?猛進しているような…。
逆に距離が縮まると、一体どうしてよいか分からない。
何だろ。アホみたいなマジな話。

わがままなのかな。
急に、そんなに愛される資格はないって思う。
私はこんな人間ですよって引いてしまう。
祝福を与えると差し出されても、素直に「やったー!」って言えない。
失礼なヤツ。

ほんとは、両手をあげて喜びたい。
「ありがとう!これすっごく欲しかったの!!」って、可愛いらしく振舞いたい。
でも、できない。
私、女の子ではないのかな。確かにもうLadyだけどさ…。

そうか!理想が高いのか?
こうでなければならないっていうのが、知らないうちにずっと心にあるのかな。

私らしく表現するってことも、まだできない。
自分の気持ちを口にするのも、まだできない。
集団の中にいることが、苦手。
自分がやたら小さく見えて、悲しくなるから。

やっぱり、わがままなのかな・・・。


急に無口になったシルバーウィーク明けの今日。
私はいつまでこうなんだ?と自己嫌悪。

神様、助けてください。
うつむいている目を上げてください。心を闇から解き放ってください。
人を恐れない心を与えてください。
自分を明け渡す勇気を与えてください。

神様、私は何をしたらよいのか教えてください。


Jesus loves me this I know
For the Bible tells me so
Little ones to Him belong
They are weak, but He is strong!
Yes, Jesus loves me
Yes, Jesus loves me
Yes, Jesus loves me
The Bible tells me so



Please speak to my heart, Jesus!
I am weak, but Jesus, You are strong!
Amen


祈りたい

Noah


私のじーちゃんは、PPK(ピンピンコロリ)で亡くなった。
ありえないほど、“コロリ”だった。

「あの~、色々あると思いますが、じーちゃんが亡くなったので帰ってきてください。」

と私を気遣いながらの姉の声が留守電に入っていた。
そう、私はそのことを旅行先で聞いたのだ。

その前日からあまり食欲がないとは聞いていたが、あまりにも突然すぎる。

何で今日なん?
神様、なんで今日なん?
じーちゃんの命が今日で終わりだったら、何で気づかせてくれんの!
何で私ここにいるの?
ひどいよ。


号泣した。
みんなに、慰めを祈ってもらった。



でも私の心の中は、


ひどいよ私。
近くに住んでいるのに、じーちゃんに会いにいかんかった。
ひどいよ私。
そばにいるのに、じーちゃんに優しくせんかった。
ひどいよ私。
じーちゃん、ごめん。
本当にごめんね。


懺悔の気持ちで一杯だった。




急いで帰っても、知らせを聞いてから8時間が経っていた。
冷たくなったじーちゃんの顔をなでながら、
出てくる言葉は、「ごめんね。」
そして「ありがとう。」、の2つだけ。


私のことを気遣って、いつも会いに来てくれたじーちゃん。

「ご飯は食べたか?」
「じーちゃんはいいから、お前が食べろ」

どうして、こんな私のことをいつも可愛がってくれたんだろう。
この自分勝手な孫を。


今でも、自分の愛の無さを思い知らされたじーちゃんの死を思うとき、
涙が出てくる。
二度と、こんな思いしてはならない。




じーちゃんの死から今日で1年が経つ。


ありがとうね、じーちゃん。
本当に、ありがとうね。
最後の最後まで、色々と教えてくれたね。


人には寿命がある。
誰も知ることはできない。
それは明日かもしれない。


だから大切にしたいって思った。
自分も。
相手も。


「ありがとう」や「ごめんね」を、今、生きているときに伝えたい。



Noah