人生なんて大なり小なり選択で溢れている。かつて(素敵な選TAXI)というドラマもあったが選択によって素敵な結果が訪れることなど先ずない。大きな選択を強いられるとき私はとことん迷うタチだ。多分どちらを選択しようが後から後悔に襲われることなどわかっている。AにしようがBにしようがあっちにしとけば上手くいってたんじゃないかと思うに決まってる。これをポジティブに捉えると常に現状に満足しない上昇志向なんだな自分は!と考えることも出来るが、ポジティブに捉えることなんて人生でそうない。基本ネガティブだ。小中の時はポジティブキャラを売りにしてたこともあったがポジティブをキャラにしてる時点でそうポジティブでは無いことは分かる。話が脱線してしまったが、今までの人生で記憶に残る選択は思い当たるだけで3つある。

  1つ目は小学生の頃だ。小学1年生の4月からバレーボールと水泳の習い事をし、とにかく忙しかった。日曜日に試合がある週なら日曜から土曜まで休みが全くなかったしバレーも水泳もどちらも体力勝負のためとにかく辛かった。1年生の秋頃、ソフトボール部が発足した。僕は心を奪われた。こんな辛いバレーよりソフトボールをしたい!そう思った。私の父親はスポーツ大好きおじさんだ。その中でも特に野球とラグビーが好き。しかし、自分は学生の頃、先輩に陸上部へ入れと脅され野球をすることが出来なかったと悔やんでいた。だからソフトボール部へ入りたいという懇願を通すことは容易かった。2年生からソフトボール部へ入部した。5年間、ソフトを頑張ったが中学生に上がった時野球部へは入らずバレー部へ入った。野球が嫌いだったわけでもバレーが好きだった訳でもない。バレー部に入った理由はグローブをなくしたからだ。僕はソフト部でキャッチャーをしていた。キャッチャーは普通のグローブではなくキャッチャーミットを使わなければならないのだが自分で買ったキャッチャーミットはなんだか取りずらい。だからといってキャッチャーになるまで使っていた普通のグローブを使う訳にも行かない。そんな時部活側がミットを支給してくれたのだ。赤くてかっこいいグローブ。それを自分専用で使っていいとなった自分は毎日それを使った。それしか使わなかった。それ以外のグローブの存在は忘れていた。 6年の終わり、中学生になったら野球部へ入ろうと思っていた。しかし、キャッチャーは痛いからショートとかピッチャーとかをしたいと考えていた。そんな時、ソフト部のみんなで野球部の体験へ行くことになった。かろうじて自分のキャッチャーミットは見つかったのだが普通のグローブが見つからない。僕は絶望した。キャッチャーミットしかない自分は一生キャッチャーのままだ。体験で来た小学生がキャッチャーミットでノックを受けてたら笑われる。僕は野球部を諦めた。親に正直に言うべきだろうと思うかもしれない。それは1番選ばない選択肢だった。うちの母は鬼だ。小学生中学生の自分にとっては怖すぎた。地震雷火事親父?いや、完全に地震雷火事母親だ。無くしたのがバレたら絶対にしばかれる。見つかるわけもないのに探し続ける地獄が待ってる。だから僕はバレー部にした。姉のバレーをずっと見てきたし1年間は自分もやっていた。ただそれだけの理由。

その時からずっと思っていることがある。僕がもしソフトボール部に入らずバレーを続けていたら今頃どうなっていただろうか。グローブを無くすことなく野球部へ入っていたらどうなっていただろうか。今わかることは自分が行った高校へは行ってないであろうということだけだ。

同じ高校へ行ってないということは大学も違う。僕の人生の登場人物がほとんど変わることになる。ソフトボール部が出来たこと、グローブをなくしたことが僕の人生を変えたと言っても全く過言じゃない。


あとのふたつの出来事は次のページにでも書く。