こんにちは、こんばんは猫

 

 

頭がまとまっていないけど書くね。

 

最近はなるだけツイッターは見ないようにしようかな、と思っている。

仕事中は暇すぎてついつい見てはしまうのだけど。

情報が欲しいからなるだけ流して見るようにしている…。

 

月刊のあの雑誌の圭くんのインタビューを読んで

ここのところとても感じていたことがつい言葉に出てしまった。

もやもやはしていたけど言葉になっていなかったことが

そのままツイッターで文になっているのを見て確信となってしまった。

(民め言葉にするのがうまいな・・・・・・・・・)

 

どうして俳優さんにあんな言葉をださせるようなことにしてしまったのかなあ、とね。

自分は批判ツイはしたくないと思っていたのに。

 

視聴者側目線からしたら、

なげきツイは当初はしょうがないよね、自分もそうだしと思った。

愚痴ツイも批判ツイは内容によってはさすがにそこまでは…とは思った。

それぞれその人がどう思おうが勝手だし人によって差があるのは

当然のことだと思うし。ツイッターってそういう場所だし。

見たく無いツイはミュートやブロックしたし。

 

ツイッターが一番、民の声が見やすいところなのでツイッターの話になってしまったけど。
 

思うのは、そういったここのところの騒動の矢面に立たないといけないのは

公式もしくは制作陣なのではないのかな?、ということ。

本当の所は上層部なのかもしれないけど。

ドラマ作る作業の責任は制作陣と思うから、

俳優に気を使わせるようなことになぜしたのか?と問いたいのよね。

ドラマの新しいのを作るに当ってそのコンセプト(メインは春田と武蔵である)を

もっとしっかりと公に発表しておいたら良かったのにと声を大にして言いたい。

 

サントラの話でおっさんずラブメインテーマの楽器のことでコータローさんが言っていた

そのままの通りなのではないかな。

「尺八(や小太鼓)なのは俺(どうみてもおっさん)だからか!」的な事を言ってましたね。

コータローさんは一番わかってらっしゃったのではないかな?

 

劇場版には制作陣にも春田と牧の話を終わらせたい、いやまだ終わらせたくないという

気持ちはあったのかもしれない。

そんなところから続編を匂わせることになったのかもしれないし、

続編を作りたいからああなったのかもしれない。

受け取り側の勝手な憶測でしかないのだけど。

 

特にドラマ『おっさんずラブ』はもとから制作陣は「春田と武蔵」の関係が大本で

民がどこを感動してようが「春田と武蔵」で通してきていたのかもしれないけど。

民との妙ーーーーなズレがあったのは否めないままで。

作品がどう成長していったのかを把握出来てはいたのだろうが‥。

そう考えると、筋は通していたのかもしれないけど。

また民のいいなり(!?)になってしまう制作陣てのも長い目で見るとどうなのだろう?とも思うけど。

(もう日本のドラマ作り自体がおかしいんじゃないのかとも思えてくるわ)

 

だから(だからにもなってないけど)民の怒りや嘆きの矛先が違う所へ向いてしまっているんじゃないの?

ファン同士でもないし俳優さんへでも無いよ。

 

そもそも俳優さんが気を使わないといけないことかな?

昨日スカーレットを観ていて、ふと…けんとくんはのびのびとやれてるな、

とりあえずはOLから離れたとこにいて良かった、と思ってしまったよ。

僻みとかやっかみとかではなくて安心したということね。

この思いもズレてるのかもしれないけど。

 

でさ、うちの圭の(24時間田中圭TVの羊さんの口調で)ピロリ菌が退治されたのかどうかわからないけどさ

純粋な俳優の仕事の演技としての部分で胃が痛いとか苦労をしているのなら仕方ないが

それ意外なところで苦労はさせたくないよ!?胃を痛めさせたくはないよ!?

すべてすべて大事にしている人なんだよ!

 

まあうちの圭なら(24時間田中圭TVの羊さんの口調で)それをも乗り越えて自分の血肉にして成長しちゃうだろうけどね!!

と願っていることしか出来ないけどね。

 

 

 

あー、まとまんねー!

 

 

猫