最近、ついに一人になってしまったという感覚が強い。
黙っていても異性からかまわれる年齢ではなくなったというだけのことなのだろう。
永福町を思い出している。自転車で西荻に通っていた時や、軽く引きこもって夜になったらご飯を食べにだけ出かけていた時、おいしいパン屋、引っ越すのでもう来られなくなるの、とあいさつをした時。

初めての人と話したり打ち解けるのはわりと得意になっていて、たまに驚く。うまくやれない人を不憫に思いさえする。でも夜になるとずーんと一人がのしかかる。なんだか自分が痛々しい気がする。だからといって独立独歩充実した人間にすぐなれるわけでもなく、欠落感に苛まれながらギリギリのところでなんとか歩いている。

ひたすら映画やアニメを見る。落ち着かなくて半年ほど読めなかった本もそろそろ読める気がする。こういう時に芸術は必要だ、誰のためでもなくただ私にとって。でも、究極的な個別は普遍につながっている。



芸大卒展・修展駆け足で観る
来ていた高校生と講師に「~さん来てないんですか?」とすぐに聞いてしまった。あからさますぎたか、としばらくどきどきする

先輩の講義を聴いて、読まなければならない本ばかりだ、と思うと同時に
知っていることばかりだなぁとも思う
バランスの良い人だ、あまり自分の価値観を主張しない
専門以外の場での概説ゆえだろうが、読めない、と思う

頭が回転を始める
今度あった時にどのようなことを質問しようか、など

だつおさんの作品のみ印象に残った
その前で関係者風の男性達が批評(というより、俺の方がこの子のこと知ってるぞ話)していた様子を含めて

約束をしていたラデュレへ
このままメディウムの話を誰かとしたいなぁという頭を携えて、それを麻痺させにいくようだ、と思いながら電車に乗ったら待ち合わせの駅を間違えた

女子のための空間で女子と女子の話をした
ミキはウーマンリブとセーラームーンの本を持っていた
どんどん男性を拒絶する方向へ行っている
恋愛で痛い目みたわけでもないのに、なんでだろう

リブの話の流れで、母の話をした
少し危うかったけど泣かずに話せて驚いた
そういえば母は「結婚しろ」なんて一言も言わないのだと気づいた
そんなのんきなことを言っているのは父だけだ

妊娠したらお腹がぱーんと破裂しちゃうんじゃないか、と話した
想像するだに怖い

帰宅後、棒にスーツをかけようとして棚に足をかけたら棚が崩れて落ちる
焦ってその人に電話をする
痛い時は「痛い」しか言葉が出ないものだ
でもちゃんと出てくれて、ちゃんと応答してくれてよかった
少しパニックになって痙攣
電話を切って落ち着く

部屋が何かの天災後みたいになっている
でも今は片付けられない

最近母親を客観視することができるようになった。
母子家庭で、教育者の祖母から一人英才教育を受けた母は、それに反抗し大学を退学、そこで主張したのはウーマンリブ、強い女性像を構築していく。
曽祖母の介護のため帰省し、30歳から看護学校へ。それから国家資格を武器に医療現場を転々としつつキャリアを重ね、結局今教育者になっている。
「女は手に職つけなきゃいけない、男に頼らず生きていけるように」というのが教条だった。
私が仕事選びをする際、なによりもそこで得られる「技術」にこだわってしまうのは、たぶんこの教育の賜物だ。

それにしても私がこれまでそんな堅実な道を外れて迷走し、未だに自活できないでいるのを、よく彼女は許してきたと思う。彼女にとってどんなに私が腹立たしい存在なのかということを想像したら、ぼろぼろと皮膚が剥げるように涙が出た。

冬からやたらと母から電話がかかってきて、部屋を掃除しにくると言う。これまでも、私の健康状態や衛生状態を判断するのは、私自身ではなく母とその背景にある医療的な基準だった。私はそれなしでは産まれてもこられない弱小な存在だったし、確かにそれによって生かされてきた。私にとっては「産まれる」も「生きる」も受動だ。
私は再び看護の対象になりつつある。中学で健康体を手に入れて以降大学院に入るまで逃れてきたその手がまた忍び寄ってくるのを感じる。
でも、だから何なのだ。それが壁だとしても、乗り越えるためにそこにあるものなのだ、と、彼女が私に言い聞かせた言葉を反復する。血縁を認めて、それから個として独立するしかない。「強い女」とは別のものに価値を置く必要がある。
そのために、私は私のやり方で教育に携わることがヒントになりそうな気がしている。特殊なことではなく、ただ人を受動的にさせないことだけを考える。ここには拘らなくてはならない。