プロファイル:ユ・アイン2 | りんこのブログ

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もう、読んじゃった方もいらっしゃいますよね?


もっと早く出したかったのだけど、、、、

あまりに翻訳機がおバカすぎて、さっぱり分からなくて修正するのに時間がかかってしまいました。

まだ、十分な訳ではなくて、意味不明なところもありますが、

そこはお許しいただきたく、、、、

大きな気持ちで、想像力を働かせながらということで、よろしく。。。



インタビュー時点での、ホンシクの考えを覗いてみてください。

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[エキサイト翻訳+Google翻訳+Yahoo翻訳使用] りんこ修正


2010.11.08


ユ・アイン

息をして生きているのでなく

人間らしく目覚めていたいです” -2

文.チェ・ジウン

写真.チェ・ギウォン

編集.イ・ジヘ


ユ・アインはSBS <야심만만 2>「夜心萬萬2」に出演した時自分が書いた詩を朗唱したことがある。 彼のミニホームページにはたびたび少し短いエッセイが上がってきたり、何ヶ月か前に始めたツイッターで彼は自身の声で世の中に向かって話しかける。 高等学校時期“どこかで私に光を照らして人々はきらきら光る私を見るように願って” ‘芸能人’になるのを夢見た少年は本来KBS <반올림>「四捨五入」でスターダムに上がってしまってから本当に‘私’を探すための時間を持っておとなになり始めた。 そして相変らず演技をしているが“仕事はした人間として生きていく私に比べて軽い”と話す彼に文は自身を失わないための手段でもある。




ジェシンが時局を批判するホンビョクソを使ってばら撒くことに対して“そのようにでもしなければ耐えることができないから”と話したことがあります。文を書くというのは私の心の中に含まれている言葉を表現しなくてはいけないという意志が入れられた行為でもあったが、その間ミニホームページに主に文を書いてきて何ヶ月か前、ツイッターを始めました。どうなのですか?

 
ユ・アイン
:地方に降りて行って撮影をしてみると、私が私に戻ることができる時間と空間がとても切実です。三、四ヶ月の間、私が私として生きられない、私の日常を享受することができないところから来る苦しさが大きかったんですよ。そこでツイッターをしながら、人オム・ホンシクで、俳優ユ・アインとして声を出して疎通するというのが多くの慰労になりました。もしかしたらとても大きい祝福で光栄で、私の一言に対する数千人の意見を取りまとめて聞くことができるというのが本当に大きい学習だったんですよ。 もちろん軽い話もあって判で押された話もあるが少なくないメンションが、私を呼び覚まして教えを与えて、私がどれくらい閉じ込められている人間なのか絶えず想起させてくれるというのが良いです。 それで、継続しなければならないですね。 (笑い)

“青春という話が新しく使われればいいですね”

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事実はその数千、数万人が見聞きするから継続するのが容易ではないと思ったりもします。

 
ユ・アイン
:多くの人々が私がツイッターを継続するように願うが、同時に口を閉じるようにさせたりもします。それと戦うのが容易ではありません。私も独立闘士や反骨に生まれたんじゃないんですよ。穏やかなのが良くて心配事がなければいいですね。ところがそれこそ真の孤立で、私を不幸な人間になるというのをとてもよく知っているから、文を無理に引き出したりもしますよ。 文をとても書きたいわけではなく、そう出来なくなる状況が私をあまりにも不幸にさせるから‘私はそのようなことが出来て、私は話せて、私は絶えず話すのだ、お前らが私の口にクツワをはめるが私は絶えず話すのだ、私は負けないので、私は無能力でなくて’と自らに絶えず話しているようです。 とても大変です。

私が私自身で全て存在するのが難しい状況だが、引き続きそれを確認したかったというのですか?

 
ユ・アイン
:はい、文を書くことだけでなく二十代らしく生きるすべての行為がそのようです。事実私は、とても安らかな人生に対するのどの渇きもあります。安らかならば良いし、美しく笑いながら金を儲けて生きれば良いという考えも当然あるのに、それをずっと追い落として二十代の私を無理に挟んで入れるようです。私はすでに早熟症を病んだ人で、世の中を要領よく暮らせるルールのようなものもある程度体得したが、それを捨てなければならないんです。 私はとても現実的な奴なのに、現実に留まっていることができないというジレンマに陥ったことでしょう。 なぜなら世の中で成熟という、どんな答えを探してそこで止まって行ったものなどを守りながら居座る方式こそ、私が考える未成熟ですね。 絶えず、答を救って質問して、前に出て行って崩れたりもすることでこそ、本当に成熟した姿勢と考えます。 それで青春という話が新しく使われればいいですね。 “あら、あの友人青春は”というのは“あれ、幼い奴は”という意でしょう。 ‘青春’が、ただ未成熟で稚気幼くて情熱だけいっぱいである理想主義者などを指し示す言葉でなく、真に成熟して正しい姿勢を持った若者たちを示す言葉で使われればいいですね。

ツイッターに書いた文中に、労働や人権関連イシューに対することもありました。社会に対する視線を持った人ならば誰でも持つことができる考えであるのに、俳優がそのような話を取り出し始める瞬間‘政治的’というくびきがかぶせられるでしょう。それによってとても疲れる立場に処することもできるので気にならないですか?

 
ユ・アイン
:気になります。心配になって、恐ろしくて死にそうです。そういう話一言いったら夜に眠れません。(笑い)だが、少なくとも私の判断によれば、それをできない人は死んだ人、あるいは一部が死んでいる人だと考えます。そのまま、私が息をして生きているのでなく、人間らしく生きていて目覚めていたいのです。さらに出た政治の話もすることができると考えます。 全部みな政治というシステムの徹底した支配の中で生きていきながら政治はただ悪いこととだけで片付けるのはSBS <대물>「大物」でのコ・ヒョンジョン氏が話したようにとても無責任な国民なのです! 良いことであるから無条件だということではなくて、社会的な問題だから無条件刃が鋭くなって批判しようとするのでなく私が心より共感して、よく表現できて、人々と共有できたと思ったものなどを紹介するむかつくほどはできないと思います。 その程度さえ度が過ぎるのが難しい社会で、芸能界のシステムということが悲しいことですが。

“悪口もして酒も飲んでクラブ行くのを意識的に見せたりもします”

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< MBCスペシャル>を見たと書いた文がありましたよ。 タブローさんを囲んだ学歴偽造疑惑と関連した内容だと察したが、有名人でない立場で見ても今韓国社会の深刻な弊害と向き合うこと自体で苦痛な放送でした。 いつタブローさんのような状況に置かれるかも知れない市場中にある人だからさらに多い気がしたことのようです。

 
ユ・アイン
:そう考えました。私もあのようになりうるにもかかわらず、そのためにそのような現象を見ながらもどの言葉できなくて水を打ったように静か生きなければならないのが芸能人でしょうか。事実、私が放送したものを見て何が真実なのか偽りなのかを話したわけではないでしょう。私はそのままその巨大な現象の中にある人で、この時代を生きる人で、私もまた、家に行けばネチズンなのに、ひとりを疑いながらそのシステムを疑わないのがとても残念でした。 そのような面では、私もまたたくさん不足したようで。 そのような話をしたかっただけなのに誤って伝わって曲解されて組み分けになって、うらめしく聞こえたり、私が何かすごい仕事をしたように受け入れる人もいて。 記事も出て行ったのに私が使った話だが“時代の傷”、弟縮むでしょう。 (笑い)人々が“地価何時代の傷だって?”というものも理解します。 だが、本当に私はそのように考えて、この時代を生きている人々がそれを知らずに生きるということがどれだけ大きい傷なのかを考えていたようです。


システムが、あるいは世の中の規範が私に大きい意味がないのにそれに合わせて生きなければならないのは疲れることだと思います。我が国は大衆芸術をする人々に対する道徳的定義がとても難しい方でもあります。

 
ユ・アイン
:私は私が包装される瞬間、他の人々にどのようにあつかわれるかでなく、私がその包装中に閉じ込められてしまうことですね。それで私はわざわざその大きさをちょっと大きく持っていこうとします。私は悪口を言う子、酒も飲む子、クラブで踊ることもある。たいしたものでないにもかかわらず、意識的にそうすることが必要です。なぜならば、あたかもそういうことをしてはいけないようにされているから。

完全無欠に道徳的なイメージに閉じ込められてみると、ある瞬間それしか残っていません。

 
ユ・アイン:
そのとおりですよ。私達の目が大きくて出て行って文化芸術の水準が高まっていくだけに、その仕事をする人々もさらに多く広くなって多様化すれば良いですが、私はそのまま二十五才のとてもチョメナン俳優であるだけでしょう。それで‘なぜ幼い奴があんな話をするの’と蔑視されることがあるように、三十才、四十才にこういう話をして下さる先輩がおられれば良いと思います。この仕事をしながらも人間として幸福を求めることができると見せてくれる。

“仕事は、人間として生きていく本物の私の人生に比べれば軽いです”

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今は俳優らの世代も少しずつ変わる時点であるようだから変わらないでしょうか。

 
ユ・アイン
:世代が変わるというのを感じることはあります。ところで問題はこの若い年齢の演技者、あるいは歌手らが仕事を始めながらその間のシステムに自分をつりあうように合わせるといいますよ。当然そうすべきであるように。 <반올림>『四捨五入』 終わってからもたくさん見ました。 ‘芸能人はこのようにしなければならなくて。 このように笑わなければならなくて、行動しなければならなくて、芸能人は人多いところでこのようそうな帽子を押してかぶって通わなければならなくて...’そのさわやかな子供たちがこういうものまで考えていますよ。 そのように人間として土台が形成される前にこの底に飛び込むのはとても、良くないことであるようです。 それで子供らはしなければいいですね。 私がその年齢にまた戻りはしないし。 この仕事をしながら本当に自我を作るように願うのは欲です。 私も及ぼした奴、トライ声聞きながら仕事をしてきたし瞬間瞬間この仕事をしなくなければならないのではないか悩みましたよ。 “あの子はことをとても軽く思って”という人もいるだろうが、そのとおりですよ。 軽いです。 ことは私に比べて、人間で生きていく本物私の人生に比べては軽いです。 なのでこの仕事を始めようとする人々が幸せな俳優になることより、幸せな人になるのが先にということを考えて仕事をすればいいですね。 ちょっと自らを、幸せにさせればいいですね。

過去に戻るとしたらこの仕事をしない、という程大変だったとすれば、その間いったい何を動力で過ぎたようですか?

 
ユ・アイン
:馬鹿正直だったようです。(笑い)私の内信念と行かなければならない道が明らかだったし、それを持ちこたえることができた理由は、あせらなかったためであるでしょう。例えば人々は十年後の膨大で理想的な夢をかなえるために、十年という時間を犠牲にして妥協して送ることもできると考えるのではないか。学校に通うのもいくつかの面では似ています。その時間をさらに幸せに送るには、未来のために犠牲にする部分がありますね。 私はその過程の中で、十分に私の信念を守って、私が満足する生活を送りながらも目標に近づくことができると考えました。 必ず二十五に成し遂げなくても良くて、三十五でも四十五であってもいい。 その時間を短縮するために私を失うよりは、私を守りながらゆっくり行くのがはるかにましだと考えたのです。 事実、今このように何でもなることひたすら話しているけれど、私もやはりまた、どんなふうに変質するかも知れないと考えます。 だから、芸能人らが話す“初心守ります”が“常に同じように謙虚です”という意ではないと考えます。 初心ということは、私が何のために仕事をして、何を探していて、私の幸福は何かに対して、私の心の一番底辺にある考えであると思うのです。 それが常に1番になければならないのに、2番になって3番になる瞬間、変質していき始めるんです。 なのでいくら大変で死にそうでも1度は守ろう! (笑い)その次は現実的に少し後先になってものことですよ。


元記事:http://10.asiae.co.kr/Articles/new_view.htm?sec=people5&a_id=2010110808081871131
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ツイでのタブロの一件のことは、

文字としては、ハッキリ「タブロ」と名前を出してはいなかった気がするけれど、

放送を見れない環境の私でも、

「きっと、タブロのことだろうな。。。」

って推測できた。

他の韓国記事も読んでるから。



言及したら非難されるかもしれないことでも、

自分であるということが知られている環境で、

自分の考えを明らかにしたこと、

私はちょっと心配だったけれど、

そこもちゃんと想定してつぶやいてたんだね。



不自由とも思える環境で過ごしているからこそ、

一方向以外からモノ見るのは難しいことなのに、

ちゃんと冷静に本質を見ようとしている。





なんだか、

この若い彼にハッとさせられて、

考えさせられることばかり。






カサノバだろうが、なんだろうが、

そんな彼の“ほんの一面”はどうでもよくて、

オム・ホンシクという人そのものに、

どんどん惚れてしまう。。。。。