--------------------------------------
[エキサイト翻訳]
2010.06.10
ユ・ヨンジン
“このインタビュー以後ではインタビューをしないつもり” -2
文:カンミョンソク
写真:イ・ジンヒョク
ユ・ヨンジンがスタジオで使うコンピュータ モニターにはバイクに乗る彼の写真が敷かれていた。 インタビュー前にもしばらくバイクに乗ったという彼は自身の趣味生活に似合う黒く焼けた皮膚と硬いからだを持っていた。 SMまたは、アイドル音楽に対するすべてのお話を後にして、直接会ったユ・ヨンジンはそんなに元気で活気に満ちる姿の残ろうだった。 それは彼が去る15年以上SMのダンス音楽を作ることができた理由だっただろう。 スタジオよりはするリデービスンの上がさらに似合いそうな彼は今でも相変らず彼の話のように‘巨大な’ダンス音楽を作りたがって、“ダンス音楽だから今まで真っ青にならないで音楽を作ることができたようだ”と話す。 もしかしたら私たちは商業的な結果だけを見て彼が音楽を作る態度まで誤解したのではないだろうか。 ユ・ヨンジンの音楽がなぜそのように作られるかを理解したいなら、続くインタビューを確認してみるように願う。
社会批判的な歌詞らも使った。商業的なアイドル音楽でそのような歌詞を使うことに対して批判的な視線もある。
ユ・ヨンジン:感覚的な単語を使う愛歌は多い。それで少し違うように行きたいというのが初めての考えだった。東方神起やH.O.T.がこういう歌を歌った時初めには子供たちの歌と踊りを楽しむだろうが何度も繰り返して鑑賞するならば歌詞が耳に入ってきて、誰かは歌詞の内容に関心を持つこととも考えた。 ‘O-正.反.合.’はイ・スマン先生が社会の変化を話す時五情飯ごうを話すのにそれを君が必ず一度扱ったら良いといって使ってみたことだったし。 東方神起の舞台を見て楽しんで関心なかった社会問題に対して関心を持ってインターネットで検索でもやれれば少しでも他の方向を見せることができはしないかと思った。 歌で社会を変えるというそのような目的ではなくて、歌詞を通じて何か話してみたかった。 もちろんそのような歌詞に対して好き嫌いが分かれるということも知っている。
“東方神起はすべてのことが完ぺきにかみ合わさったチーム”
|
音楽と舞台、そして歌詞まであなたは曲のすべての部分で刺激を与えようとするようだ。
ユ・ヨンジン:合う。文化は衝撃であるから。マイケル・ジャクソンが‘借りることは’を呼んで文ワーキングをした時全世界の流れが変わっていないのではないか。いつかはそのような瞬間を作りたい。
だが、そのような衝撃は大衆性やアイドル グループという特有の位置を考えて調節しなければならないようだ。歌手らに曲を与える時はどんな事を考慮するか。
ユ・ヨンジン:チームごとにみな違う。スーパージュニアはそのように度が過ぎた側で偏向するよりはパフォーマンスに適切にウィットも混ぜながら大衆的な感じを持っていくのが良いチームのようだ。それで適切に面白味と大衆性を等しく整えたかったが、そうするうちに考えたのが’Sorry Sorry‘のせた。f(x)はもう1年目のグループなのに、‘Nu ABO’を初めて聞いてとても衝撃的で先んじる歌と考えた。 それで大衆的な興行も重要だが、こういう新しいものらを果敢に、とんでもなく試みれば人々に衝撃を与えることができそうだった。 会社でもそのような考えであったし。
H.O.T.と東方神起、シャイとか同じ男性5人組グループらはどうなのか.
ユ・ヨンジン:H.O.Tはその時とても幼い友人らであったのに、彼らの通常の話を入れたかった。人生経験は書いたがエネルギーは一杯になっていて、したいことは多いができるのはあまりないから不満は多くて。それで攻撃的態度を持った状態を表現したかった。そして舞台ではH.O.T.がある瞬間巨大に見えたら良いと考えた。 アイドルが蚕室(チャムシル)主競技場で公演したのがH.O.T.行って初めてであったのに、そういうのをする時子供たちが巨大に見えたらと思った。 ‘子供’という広い砂漠で <매트릭스>ウイ人物のように黒いトレンチコートを着た人が一人で歩いていくイメージが思い出されて、初めから最初から大きい舞台にあるのを考えて使った。
巨大な舞台や強いパフォーマンスという点でH.O.T.と東方神起は似た部分があるようだ。
ユ・ヨンジン:東方神起は踊り歌全部私が別に何をする必要なしでとても上手にするから色々なものをみなさせてみたかった。特にH.O.T.のように巨大な舞台ができそうだった。それが完成されたのが‘ライジング サン’であったのに、その歌は私の心の中の風を成し遂げてくれた曲だった。十年超えてダンス曲を作りながら振りつけ、ボーカル、踊る能力と構図まですべてのことが完ぺきにかみ合わさったことその時が初めてだった。 そうしたらこの友人らがこういうものもできるかと思って与えた曲が‘Tonight’という曲であったのに、音域対をとても広く使う曲だった。 ところで子供たちが本当にしたよ。 (笑い)それで私も調子にのって即興的にアドリブを作ってさせたがすべてしたよ。 それでこの子らは私がしてみたいのがあればすべてしてみれば良いだろう(笑い)したくてメンバー一人一人の能力を極大化させることができる曲を構想した。 そしてシャイニはとても難しかったり攻撃的であることをするよりはもう少しやさしい部分を加味したら良いと考えたし、私が本来ソロ アルバム時期から限定されたコード中にメロディを使う作業を勉強したが、これがこの頃トレンドも合致するのがあって要素を加味した。
“ますます独特のアイディアと複雑な構成が必要だ”
|
時代により作り出す曲のスタイルがずっと変わる。この頃ダンス音楽のトレンドはどのように変わると感じるか。
ユ・ヨンジン:初めて曲を作る時から変わらないと考えるのは、音楽がますますクロスオーバーなるという点だ。どんなジャンルでもずっと新しくジャンルを派生していて、ますます独特のアイディアと複雑な構成が必要になるようだ。その点で新しいアイディアを試みるのを恐れてはいけないようだ。 プルレガイドゥピスの‘Boom Boom Pow’のような曲はミニマリズムに近い程シンプルな構成を持って本当に実験的だと感じたが、米国の人々はそれを途方もないヒット曲で作った。 そのような歌を作って受け入れる光景がうらやましいこともした。
その点でこの頃あなたも新しい試みをしようとするようだ。‘美人’という‘Sorry Sorry'と作る方式は似ているが意図的に韓国的なメロディライン構成を入れようとしたようだ。
ユ・ヨンジン:合う。ひとまず‘Sorry Sorry’ととても他のものをするという考えはなかった。‘Sorry Sorry’を歌手らからとても好んだし、似合ったりもしたから。それでそれを必ず避けて行くと考える代わりにその延長線上で作った。妻が大学時代国楽をほどほどにしたが、それで妻にサムルノリ長短を推薦してくれと言ってサムルノリで太鼓を叩くリズムを聞きながらそれがメロディになることができると考えた。 ‘美人’の前部に出てくるメロディはそのような感じで始まった。 大衆音楽作曲家と明確に限定された幅はあるがその中(案)ではさらに特化された音楽をしたい。 ‘ごめん’というメロディが単純に反復されてもその流れの中で多様な変化を与えたかったし。 自ら熱心にしている。 (笑い)
特にサウンド的な面で話をすると思うが積んであげる方法がさらにち密だった。‘リンディンドン’でポクションのトンも印象的であったし。とても乾燥することもせずとても広がって他のサウンドを取って食べることもなかったよ。
ユ・ヨンジン:声一つ一つが段々に積もるレイヤーに忠実なためにたくさん努力する。大衆がダンス音楽を聞く時はキック、スネオ、ハイ初物の、ポクション同じいくつかのものなどだけ聞くことになる。そこにメロディとベース、ストリング程度なのにダンス音楽はそのような声らだけ区分しやすく入れれば作ることはできない。その下に多くの声を隠さなければならない。全くリズムに使われないようでもリズムを持った声らもあって。 最も基本的な声を先に入れて、その次にそれを満杯になるように聞こえることがある声らをずっと入れる。 すべての声をみなよく聞こえるようにする訳には行かないが、聞こえなくても空間を満たすソースらを使う。 ある時はLPノイズを入れたり、どんな曲は直接口で効果音を賭けもして。 ‘Sorry Sorry’でもグラス ポクションという声が入ったが、それが事実コーヒー飲むマグカップをドライバーのプラスチック取っ手で殴って作った声だ。 去る15年の間経歴が積もりながらそのようなとんでもないアイディアを直ちに実際作業に投入できるノウハウができたようだ。
“常に私の引き受けた持分(役割)を常にする助力者になりたい”
|
そのようなアイディアは音楽を独学で習いながら可能になったのか。固定観念から抜け出しているから。
ユ・ヨンジン:合うように見た。私は他の見方をすれば時期をのがした。ピアノをかなり習いたかったが家が貧しくてピアノを習うことができる環境ではなかった。幼い時期ご両親と落ちて弟(妹)らを私が育てなければならない状況であったし。大きくてピアノを習おうとした時はまさに歌手生活を始めた。そうするうちに軍隊で文選対に服務しながら兵長月の時ぐらいからコード理論と作曲法とコード進行パターン同じ物を勉強した。 その時ピアノを鷲他法で打ちながらコードに対して習った。 (笑い)ところで除隊してすぐにアルバムを出したせいでまだピアノは鷲だ。 (笑い)その時周辺であの子はコードをどのようにあんな話にもならないのをにがいかといいながらそうしないでくれとしたが、私の耳にはそれが若干不協和音のように聞こえることがあってもそれが合ったと感じられた。 こういう発想がますます大きくなったようだ。
それで音楽をメロディでなくリズムに受け入れるのか。
ユ・ヨンジン:先輩らが君はなぜボーカルをリズムと考えるかとした時、私はマイケル・ジャクソンを布施といった。なぜ彼が中間に‘ア!’というチュ・イム間同じ物を入れるだろうか。そのような部分は振りつけして一緒に考えるべきだと考える。そのような部分の発想から分岐を打ち始めた。H.O.T.の強打から今の東海(日本海)やユンホまでSMにも音楽としたい友人らが多い。 その友人らに私は君が今からいくら熱心にピアノをひくといってイルマ氏のような方々を凌駕することはできないと話す。 代わりに君が上手にできるのを作れという。 バカのように見えても新しく接近できる方法が必要だ。 すでに12音階にできるのは皆行っている状況だと前に曲を作ろうとするなら本当にとんでもないアイディアが必要だ。 コンピュータをガラス窓に投げたが合って飛び出してくる声がリズムで使われる日もくるかもしれない。 それでいつまで作業するかも知れないがとんでもないアイディアをずっと出そうとする。
ひょっとして4集アルバムを出すつもりはないか。
ユ・ヨンジン:イ・スマン先生もアルバムは煙たいといって、私も考えはある。ただし会社に負担を与えることは嫌いだ。私がしたいといえば会社は渡すことだ。だが、アルバムを5000枚とったが“ユー理事様900枚しか出て行きませんでした。残り4100枚どうします”こうした話聞けば私が大変なようだ。(笑い)負担にならない状態でデジタル シングルでも私が歌を着実にしているとのことを聞こえてくれたら良いという気がする時発表したいことではある。
ミュージシャンとしての目標は何か。
ユ・ヨンジン:私は今までインタビュー要請がきたり、東方神起が放送をするのに少しの間何を教えたりという場面を撮ろうという時みな断った。このインタビュー以後ではインタビューをしないつもりで。私は一方でずっと私の役割をしているのがより良い。歌手が主人公ならば彼らにフォーカスが正確に合わされるべきで、私がプロデューサーという理由で視線を受けるのは嫌いだ。私はSMにでも歌手ら皆に助力者になりたい。常に私の引き受けた持分(役割)を常にする助力者. 八十になってもスタジオでリズムを作ることができるならば本当に幸せなようだ。
元記事:http://10.asiae.co.kr/Articles/new_view.htm?tsc=001001005&a_id=2010060917190092417&pg =
--------------------------------------
歌手としてSMからデビューしたのに、
自分自身が歌手活動をすることは、ほとんど考えていないのかな?
メディアで出さずに、デジタルシングルでいいと考えてるんだ。。。
この人は、
縁の下の力持ちとしての自分が自分らしいって思ってるみたいだね。
表に出て輝いている人も、
こういう人の存在がなければ、成り立たないってことだ。
この人の作った東方神起の曲、
Tri-angle
Rising Sun
O-正・反・合-
Purple Line
全部好きだ。
アレンジ等々含めたら、これだけじゃないけど。
東方神起を高く評価してくれてて、
なんでもやらせてみたいと思ってくれてたんだ。。。
きっと、今でもその考えはあるんだろうなぁ。
何事もなく活動していたら、
次にどんな曲を考えてくれてたのかが、とても気になる。
インタビューに応じたのも、
少しでも東方神起について語りたかったのでは、、、、?
な~んて思ってしまう。。。。
グループの雰囲気や力量、カラーに合わせたプロデュースをしているのだから、
自分のためにはどんな曲をつくるんだろ?
3集までは出てるんだね。。。
なんだか、
この人が作って、この人が歌う曲も、聴いてみたくなったなぁ。