1967年3月、大樹(ダイジュ)19歳は羽田国際空港出発ロビーに立っていた。
昨日、岡山から在来線ど大阪まで行き両親と新幹線で東京に来た。
そして浜松町からモノレールで羽田についた。
東京は冷たいみぞれが降っていた。
ホノルル行きJAL109便、搭乗案内のアナウンスが聞こえた。
チェックインのためサムソナイトスーツケースを預けてチェックインを終えた。
両親はみぞれの中、外の見送りデッキに行った。
日本とはもうお別れだ。
搭乗手続きを終え、出発ゲートへ行った。
大樹は飛行機は初めての経験だった。
高校を卒業しI-20私費留学ビザを取得するまで約1年間かかってしまった。
岡山に領事館がないので鈍行電車で神戸のアメリカ領事館へビザを取るために、何度も岡山から神戸の領事館に通ったことか。
所持金$200、スーツケース1個、そしてポールアンカのOne Way Ticket ではないが飛行機の片道ティケットだけだ。
中学時代からロスアンゼルスに移住している岡山出身の同年代の女性と文通をしていた。
彼女の親が身元引受人(スポンサー)になってくれた。
公費留学ではなく私費留学はいろいろな書類をそろえなくてはならない。
ロスアンゼルスの彼女にいろいろな書類を送ってもらうため時間がかかってしまった。
大樹は公費留学できる頭は持っていない。
英語の実力はさっぱりゼロ状態だ。そして金もない。
しかしアメリカへの憧れは強かった。
アメリカのテレビ番組、ララミー牧場、ハイウエーパトロール、アイラブルーシー
サンセット77、ベンケーシーなどのドラマに感化され、アメリカへの憧れが強まった。
ロスアンゼルスの彼女との文通は日本語でよかった。
波乱万丈貧乏留学物語を時間があるとき、思い出しながら書きますので、よろしくお願いします。
-to be continued-