韓国のジャンヌ・ダルク「柳寛順（ユグワンスン）」

池田名誉会長の人物紀行（７）

「歴史の巨人」と語る

乙女よ立ち上がるときは今！　より。

「救国の乙女が平和と幸福の礎勝利の果実を我らにもたらした」（森田稔訳）

ロシアの作曲家チャイコフスキーの傑作オペラ「オルレアンの少女（ジャンヌ・ダルク）」の一節である。

この世に、正義の信念に行きぬく乙女の声ほど、強く、尊く、美しいものはない。１５世紀のフランスには、ジャンヌ・ダルクが登場した。２０世紀の韓国には、柳寛順が躍り出た。時代の光明は、尊き使命に舞いゆく乙女の生命から発する。

その乙女の像は、今まさに行進せんとする姿に見えた。ソウルの奨忠壇（チャンチュンダン）公園の一角。優美なチマ・チョゴリを纏い、大きな松明を掲げて、足を踏み出している。なんと誇りと勇気に燃えた顔（かんばせ）か！「韓国のジャンヌ・ダルク」柳寛順の瞳は、澄みわたったソウルの天空の下、彼方の未来を見つめていた。

韓国の小学校では、彼女の賛歌が歌い継がれてきた。“やよいの空を仰ぎ見てユガスン姉さん思い出す牢の中でもマンセ（万歳）さけび青空も見ずなくなった”“今もあの声きこえそう青空見上げ呼んでみる”（姜小泉作詞、中村修訳）。愛する祖国が最も苦難の嵐にさらされていた時に、命を賭して立ち上がった乙女。その恐れなき音声は、人々の心に深く響き続けているのだ。

柳寛順は１９０２年（別説あり）、忠清南道（チュンチョンナムド）の天安郡に生まれた。３人の男兄弟と共に、兎を追い、栗拾いや茸取りをして、野山を駆け回る活発な少女だったようだ。母・李少悌（イソジェ）は、近所の貧しい家と食べ物を分かち合う自愛の女性であった。寛順も母の差し入れをたずさえて、使いに行くのを誇らしく思ったという。母から「思いやりの心」を受け継いだ寛順は近所の幼い子らの面倒をよく見る、心優しい乙女でも会った。

１９１０年、日本は恩義を踏みにじり韓国を併合する。それ以前から、悪逆非道な支配が、寛順の一家にも影を落としていた。父・柳重権（ユジュングォン）は、志が高く、勇気ある教育者だった。地域の有志と独立を目指し、「民衆の啓発」に尽くした。「教育こそ祖国独立の基盤」との信条で、私財を投げ打って、興湖（フンホ）学校を創設したのである。しかし、経営に行き詰まってしまった。日本人のあくどい高利貸しから借金をし、むごい取立ての拷問に遭った父は、自らが運営から身を引くことによって、学校を守った。この不撓不屈（ふとうふくつ）なる父の「信念の炎」は愛娘・寛順の命に烈々と燃え盛っていった。

１９１６年、１４歳になった彼女は、故郷の天安を離れ、ソウルの梨花（イファ）学堂（現・梨花女子大学の前身）の学寮に入った。彼女の村を訪れたアメリカの女性宣教師が、才能を見抜き、その推薦で給費生となったのである。多くの善意に支えられての学校生活に深く感謝し、報恩の心で真剣に学び、努力する寛順であった。人の嫌がる仕事も自ら引き受け、皆から慕われる太陽のような存在と光っていった。

最後の一人まで

時代は大きく動いていた。１９１９年２月８日、東京から独立運動の火の手が上がった。これを契機に３月１日、ソウルで「独立万歳！」を叫ぶ運動が沸き起こった。それは地方へ一気に拡大した。万歳運動は、学生が先駆を切った運動である。と同時に、女性が決然と立ち上がった覚醒運動でもあった。封建制度の殻に閉ざされていた女性たちが、太極旗（たいきょくき＝韓国の国旗）をつくり、次々と身を投じていったのだ。

「万歳」―　それは、理不尽に蹂躙された祖国を断固と守り、人間の尊厳を示す命懸けの魂の勝鬨（かちどき）であった。学校が休校となり、寛順は天安に帰省した。陰険なる官権の監視を前に、故郷の人々は、未だ息を潜めていた。わが故郷も、敢然と立ち上がるときが来た！　

寛順は、独立を呼びかけるため、地物と有力者など周辺の村々を回り始めた。乙女は訴えた。「自由を持てずに生きることは、生きていることになりません」。使命に燃ゆる寛順の熱誠の訴えに、一人また一人と、村人は奮い立っていった。真剣の二字に貫かれた乙女の対話が、心を開き、心をつかみ、心を揺り動かしたのだ。彼女は、２０日間、数百里を歩き通し、語り抜いた。

「最後の一人まで！最後の一瞬まで！」運動の拡大に執念を燃やす。寛順のモットーであった。

轟く「万歳！」

ついに、天安郡で最も大きな市が開かれる並川（ピョンチョン）市場で、決起する運びとなった。決行の前夜。寛順は夜更けの暗い険しい山道を登った。翌日の独立運動の蜂起を確認する合図を発信するためだ。息を弾ませながら頂上に着き、松明に火をともす。高々と掲げ、暗闇に目を凝らした。すると、四方八方の山々から、次から次へと烽火（のろし）が上がっていった。その紅の光は２４ヶ所にも広がったという。明けた４月１日の正午、並川市場には数千人の人々が続々と集まってきた。群衆の前に、ひときわ大きな太極旗が打ち立てられた。運動の主宰者が独立宣言文を読み上げたあと、柳寛順が壇上に立ち、演説を始めた。「独立万歳の叫びは戦前李の村々にかけることなく伝わっています。我々が脱落していいものでしょうか、皆さんも我々も独立を勝ち取るため万歳を叫びましょう」（姜徳相著『朝鮮独立運動の群像』青木書店）。話し終えた寛順は、声高らかに「朝鮮（チョンソン）万歳！」と叫んだ。すると、仲間が太極旗を掲げて、「万歳！」と呼応した。それを、きっかけに、市場は「万歳！」「万歳！」の連呼が轟き渡っていった。

デモ行進が開始された。大きな太極旗を手に先頭に立つのは、寛順の両親である。徹底した非暴力の平和的な行進だった。にもかかわらず、恐怖に駆られた官憲が小銃の引き金を引いた。この銃撃で、寛順の父・柳重権が倒れた。さらに残忍な無差別発砲で、多数の同志が犠牲となった。その中には寛順の母・李少悌も板のである。寛順は目の前で、最も尊敬する正義の父と母を相次いで奪われた。そして自らも、不当に囚われの身となった。

悪を見過ごすな

牢獄では過酷な拷問が続いた。しかし、いかに脅されようと、彼女は屈しなかった。移送の車からも、編み笠を被らされたまま、群衆に「独立万歳！」と叫び抜いた。共に獄に入った同志が溜め息をつくと、叱咤した。「拷問がつらいと言っても悪逆を黙って見過ごしているよりも、楽な事ではないか！　断じて戦おう！」。一人の乙女が、どれほど強靭にして、崇高な精神闘争を貫き通せるか。あまりに神々しき歴史が、ここにある。

秋が深まる頃、同じ牢の女性が別の部屋で出産した。赤ん坊を抱いて戻ってきた母親に、寛順は「おしめ」を手渡した。温かい。寛順が自分の体に当てて温めていたのだ。彼女は一方的な裁判に臨んでも、祖国への誇りと正義の信条を堂々と言い放った。だが残虐な拷問と栄養失調で、体の衰弱は激しかった。寛順は面会の兄に語った。「物足りないけれど自分は義務を果たしたと思う」（『朝鮮独立運動の群像』）。１９２０年１０月１２日、気高き一生の幕は閉じた。

乙女達が命を投げ打って燃え上がらせた「三・一独立運動」の火は、中国の「五・四運動」に連動した。アジア・アフリカ諸国の独立運動にも、その精神の大光は広がった。

創価の父・牧口常三郎先生と戸田城聖先生が師弟の出会いを結んだのも、この時代であった。全世界の民衆が、自分自身の幸福の万歳を、愛する祖国の反映の万歳を、そして人類の平和の万歳を誇らかに叫びゆくためには、生命の尊厳と平等の大哲学が絶対に必要である。両先生は、未だかつてない壮大な世界市民の連帯を築き始めた。日本の軍部権力と戦い抜いた師弟は、韓国そしてアジアへの思いは格別に深かった。戸田先生が自らの獄中闘争を振り返りつつ、韓国の殉難の乙女たちの話をしてくださった事も忘れられない。その目には涙が光っていた。

寛順の座右には、ジャンヌ・ダルクの伝記があった。ジャンヌの如く、永遠に光を放つ使命の青春を走りぬくことを固く決意していたのだ。今、寛順ゆかりの梨花（イファ）女子大学でも、創価の女子学生が母校愛を光らせ学んでいる。韓国の国花は「無窮花（ムグンファ）」。その名の通り、夏から秋へ窮（きわ）まることなく咲き誇る花だ。

韓国でも、日本でも、世界中で、華陽の友が「正義と友情の華の対話」を、朗らかに勇敢に繰り広げている。一人ももれなく健康で「幸福勝利の青春万歳を！」と、妻と祈り行く日日である。

２００９年８月９日号

聖教新聞掲載より、抜粋