銀杏並木の銀杏の木が色づきはじめ、澄み渡る秋晴れの中、神々しく輝いて見える時期に差し掛かりました。

 

 

 一年のうちでも、冷暖房を使わずに快適に過ごせる貴重な期間です。

 秋の物悲しさは感じられず、夏のような陽気な印象を持つ雰囲気が私のお気に入りです。

 

 

 本日10月31日はハロウィンの日です。

 「株はハロウィンの日に買え」と云う格言がありますが、本日よりも今年の10月4日(投資の日)10月16日の方が買い注文を出すのに相応しかったと感じるのは日経平均株価のチャートを確認しても明白です。

 今年の10月は波乱が格言はあくまでも格言として留め、実際の相場の動きを自分で確認してから実行に移すのが賢明だと改めて実感した1ヶ月でした。

 

 つい昨日、私の持ち株のうちの一つの銘柄である、証券コード2353 日本駐車場開発の分配金計算書が自宅に届きました。 

 

 

 毎年のように期末配当の金額が上がっていき、有難い限りです。

 

 この封筒を受け取るのも今年で19回目となりました。

 19年以上前の大学生の頃に証券会社の口座を開設し、細々と広義の投資を続けてきた私にとって、日本駐車場開発と共に歩んできた19年間については非常に考えさせられる事が多かったです。

 2005年に170JPY前後を推移しており、リーマンショック前の2007年から2014年まで一度も100JPYを上回ることがなく、株式取引を始めて僅か3年目で、7年間もの塩漬けを経験しました。途中で35JPYまで下がった時には損切りせずにナンピン買いをして辛抱強く待ち続けた結果、昨年2022年11月には200JPYを突破、昨年2022年末には310JPYまで大幅上昇すると云う結果になり、長期スパンで見たところ、平均取得株価の3倍近くに達したことになります。

 

 業績が下がっていた時期であっても、毎年欠かさず分配金をくださった会社に感謝いたします。

 

 ところで、株式の銘柄を幾つか保有していらっしゃる方は、分配金(現金)の他にも株主優待を受け取る機会が多いと思うのですが、その株主優待Quoカードである場合が多いのではないでしょうか。

 私は株主優待でいただいているQuoカードの使い道が見付からず、換金することも考えていたのですが、ジュンク堂書店で楽譜が販売されていることをアメブロで知り、Quoカード楽譜の購入に充てることにしました。

 Quoカードはジュンク堂書店やコンビニで使用可能な金券です。

 

 情報提供してくださった方、本当にありがとうございました。

 

 

 現行NISAの上限金額が120万円と規定されており、非課税投資枠が毎年120万円与えられるとは言え、上限金額を超えて普通口座から投資せざるを得ない株式NISA制度が導入された2014年以前から保有し続けていた株式については分配金にも20.315%の税が課されるため、株主優待はどの口座から投資しても雑所得として20万円を超過しない限り課税されない貴重な財産だと認識しています。

 

 この分配金に課せられる税率は、現在20.315%となっていますが、私が投資を始めた頃は10%でした。

 10%から20.315%に税率が引き上げられたのは2014年に現行NISAが導入されたタイミングであることから、来年新NISAが始まったタイミングで「また」税率について引き上げのお知らせがあるのではないかと危惧しています。

 

 長期スパンで見ると、現行NISAをロールオーバーして新NISAと併行して使うことを5年間続けるよりも、早めに売却して新NISAに乗り換えていた方が良い場合もあるのかもしれません。

 コロナショック以降、以前の相場の動きとは異なる動きが見られる事が多く、ますます瞬時の判断を要求されているような気がしてなりません。

 

 

 【本日のピアノへの取り組みについて】

 

 ・バッハ インヴェンション全15曲

 ・バッハ シンフォニア第11番 ト短調

 (ここまで各1~2回ずつ通しただけ)

 

   ・ショパン 即興曲第1番 変イ長調

 ・リスト 愛の夢 第三番 変イ長調

 ・その他(スケール・アルペジオ・半音階)

 

 ショパン スケルツォ第1番の練習記を少しずつ記していたことを忘れたわけではありません。

 現在、スケルツォ第1番は塩漬けの時期で、頃合いを見計らって再開する予定です。

 

 実態を記すと、リスト 愛の夢 第三番に心惹かれて、この楽曲を練習していると他の練習曲に手を付けられない状態です。

 

 ピアノの練習も資産運用も、最低限の元手が有る事を前提として、長期スパンで見て所有するものを育成することが肝要なのだと19年間以上にわたる株式取引を経験して痛感しています。

 株式取引と異なり、ピアノの練習について7年間も低迷することがあるとは思えないのですが、1ヶ月先の刹那的な喜びやその場凌ぎを20年間以上続けられるとは到底思えません。

 

 そして、長期スパンで見る事ができるのは、精神的な余裕がある時に限られ、一喜一憂とは対極にあるのではないかと最近感じる事が多いです。

 

 一喜一憂に振り回されず、常に長期スパンを考えられるようになったのも、ピアノを再開して3年間以上経過した今、物事の達成には或る程度時間が必要だと実感したからです。

 「量より質」だと予てから考えていたのですが、或る程度質を考えられるようになると、結局は(積み重ね)が必要なのだという結論に至りました。

 その「量」とは、一日の練習時間や練習曲数のことを指しているわけではなく、毎日練習を続けた期間です。

 

 何事に於いても、長く続けていると、一喜一憂「一憂」は気に留める必要がないのだと達観できるようになります。