以前薔薇園で観賞した、フランスを作出国とするイブ・ピアッチェという品種の薔薇です。
フランス語表記は"Yves Piaget"だそうで、フランス語に馴染みがないと文字から発音をすぐに思い浮かべるのが難しいかもしれません。
私自身、このアルファベット表記を見た時、英語でもドイツ語でもないことは判りましたが、欧州の言語の中ではフランス語の確率が高そうだということぐらいしか連想できませんでした。
鮮やかな発色が映え、溌溂とした印象を受ける色調と、精緻な感じのする造りとの対比が美しいと感じます。
昨年までは庭園散策の時にマスクを着けていたのであまり感じられなかったのですが、少し近付いただけで強いダマスク香を堪能できました。
マスクを外して解放感に満ちた状態で庭園散策に興じていると、嗅覚だけで以てもそれぞれの品種の違いを僅かながらに感じ取ることができて非常に趣き深いです。
フランス語の話を出したので、この機会に外国語と音楽について記します。
まず、外国語と音楽との共通点は習得に際して幾つも有ると考えているのですが、今回は耳にした時に頭の中で思い浮かべる事に焦点を当てて記すことにします。
私自身、ピアノを再開する直前から少しずつ中国語を勉強しています。
中国語自体はまだまだ初級の出口が見えつつも脱出できていない段階で、漢字文化圏で育った私にとっては読み書き・ピンイン表記はまだ抵抗なく感じられるものの、鬼門はリスニングです。
日本語の漢字とは違って、中国語は特定の一文字の読み方が固定されている点では一文字ずつの発音について知識として蓄えることについては比較的容易なように感じられましたが、「少」と「小」など、似たような意味で発音も似ている文字が多いことや、「上」と「下」など、真逆の意味を持ちながら発音が似ている文字が多いのが難点です。
そこで、子どもの頃に習得していない外国語を大人になって初めて習得する過程に於いて、耳で聴いた時に頭の中で何を感じ、何を考えているのか、少し記したいと思います。
私の場合は何も見ずに耳にした時、音声に該当する文字の候補が幾つか浮かびます。
これは、中国語に限らず、日常生活であまり使わない日本語の単語や英語を聴いた時にも漢字やスペルが浮かぶ事があるので、普段馴染みのない言葉を聴いた時に脳内で起こる現象なのかもしれません。
馴染みの有る言葉を聴いた場合、頭の中に文字が浮かぶ前にその文字が意味する情景を思い浮かべることが多いですが、この件を周りの人たちに話してみたところ、多くの人たちの頭の中で同じような事が起こっていることが判りました。
言語が一切含まれていない音楽、特にソロで演奏されたピアノ曲を聴く時に何を思い浮かべているのか考えてみましたが、音が少ない楽曲であれば聴きながら譜面を想起する事が多いです。
言語に於いても音楽に於いても、元の記載があると考えられるものに関しては、意識せずとも元の記載を連想する癖がついているのかもしれません。
子ども時代(10歳未満)に少し通っていたネイティブの先生の英会話では、スペルを覚える前に耳で覚えた表現も幾つかあったのですが、このような習得の仕方は子どもだからできることで、或る程度の年齢に達してからは耳だけでなく文字にも頼りながら会話をしていた気がします。
上述の件を考慮すると、聴いた瞬間、文字や譜面を想起するので精一杯であるということは、相手の発している事を事実として認識することに留まってしまい、そこから自分が何らかの感想を抱いたり相手に返事をしたりする段階に到達していないので、まだまだ言語や音楽を使いこなしたり解釈したりするのは早い段階であるとも言えると私は考えています。
厳密な意味で言語や音楽の正しい聴き方というのはないのかもしれませんが、両者を聴いた時に頭の中で起こっていることが酷似しており、楽典や文法などの理論的な規則以外にも耳を使った時の脳の使い方についても共通する事があるのかもしれないと思い、今後も考察を続けていきたいと思います。
【本日のピアノへの取り組みについて】
・バッハ インヴェンション全15曲
・バッハ シンフォニア第11番 ト短調
(ここまで各1~2回ずつ通しただけ)
・ショパン エチュードOp.10-4 嬰ハ短調
・ショパン 即興曲第1番 変イ長調
・その他(スケール・アルペジオ・半音階)
本日もショパン 即興曲第1番の部分練習に取り組みました。
色々な楽曲に着手しては寝かせる行為を繰り返している気がしてならないのですが、1年後や2年後になっても叩き起こす時を見計らって再着手する予定です。
昨日言及した第23~24小節の箇所については、赤枠で囲んだ音符の出したい音のイメージを作ったら、右手だけひたすらインテンポで全ての音を拾っていく練習を重ねると上手くいきました。
結論として、この楽曲は慣れが物を言うと思います。
更に言えば、メカニックスキルに於いて「慣れている事」が必要条件である気がします。
本日は第29小節以降の中間部に入るまでの箇所が地味に聴こえながら難しいのではないかと感じて練習をしていました。
外国語を聴き取る時にも、主語や動詞などの骨組みよりも修飾語や目的語などがあまり強調されない割には聴き取りが難しい事がしばしばあるように、上達してくると目立たない箇所まで聴き取れた上で意味を汲み取る事ができるようになるのかもしれません。