早いもので、睡蓮(スイレン)の開花が見られました。

 真夏日の蒸し暑さが続く中、水面でゆれるような葉と共に開いた花を目にすると、僅かながらに涼を得る気がします。

 

 

 水辺が好きな私には、睡蓮(スイレン)を眺めているだけで、束の間の静寂の雰囲気に包まれるようで満ち足りた気分になります。

 

 電車に乗っていても、耳からはアナウンスが、目からは広告が絶え間なく入り、日常生活の中であらゆる雑音を振り払って何かに集中する状況を作り出す事が難しくなった今、私は足を止めて植物の様子に見入る習慣が身に着きました。

 情報過多の時代、精神的な静寂を得る時間を意識的に作り出しています。

 

 ピアノもその他の趣味も、精神的な静寂の中で楽しみたいものです。

 

 

 【本日のピアノへの取り組みについて】

 

 ・バッハ インヴェンション全15曲

 ・バッハ シンフォニア第11番 ト短調

 ・ダカン かっこう ホ短調

 (ここまで各1~2回ずつ通しただけ)

 

 ・ショパン エチュードOp.10-12(革命) ハ短調

 ・ショパン エチュードOp.10-4 嬰ハ短調

 ・ショパン スケルツォ第1番 ロ短調

 ・その他(スケール・アルペジオ・半音階)

 

 昨日記事を投稿した後、入浴中にふと考えていたのですが、シューベルト即興曲Op.90-2ダカンかっこうを美しく奏でるためにはバッハ2声3声の練習曲を極める事が必要条件なのではないか。

 意外にもダカンかっこうが気に入って毎日の練習曲に加える事になりそうです。

 

 

 スケルツォ第1番 練習記録】

 

 今年5月17に分類した第Ⅱパート:第69小節~第109小節を昨日同様更に抜粋しました。

 ◆第94小節~第109小節の練習について

 テンポが速い楽曲なので、練習時、常に旋律について意識し続けなければ鍵盤をなぞるだけの行為になってしまい、何を弾いているのか、何がしたいのか判らなくなるので可視化しています。

 

 

 現時点では上記添付画像のピンク色で囲んだ音に重きを置きながら練習しています。

 可視化して気付いたのですが、青枠で囲んだ音同士が見事に同じで、何らかの意味が有るのではないかと云う事です。

 

 激情的な音楽の中で少し可憐な印象を受ける箇所で、この箇所は非常に好みです。

 私個人の好みの問題として、高音が素早く煌めく箇所は、楽曲によって惹かれるものとそうでないものとに分かれるのですが、この楽曲に於いてはお気に入りなのです。

 この抜粋した箇所の中にもエチュードOp.10-4のように手を広げる練習が有り、課題は山積みです。

 

 

 ◆異名同音が用いられている箇所について

 昨日記事を投稿した後、気になっていたのですが、第333小節~第335小節に出現する異名同音について、結果的には同じ鍵盤を用いるにもかかわらず、表記が異なる事がスケルツォ第1番に限らず溢れんばかりに存在します。

 ※下記添付画像の水色マーカーを引いた部分のうち、青矢印で指している箇所です。

 

 

 小節が進んでも、この3小節間に於いて全て同じ鍵盤を使う事は明らかですが、何のためファのダブルシャープソのナチュラルを使い分けているのか。

 

 ショパンプレリュードOp.28-15(雨だれ)第27小節から第28小節にかけても同様に感じている事ですが、同じ鍵盤を用いていながらも、異なる表記が明らかに意図的に用いられています。

 

 東京駅を出発し、西へ進む予定の新幹線のぞみ号と、東へ進む予定の新幹線はやて号とが、同じ東京駅に停車している状態で「東京駅に停車している新幹線」の中でも識別が必要な状況と少し似ているような気がします。

 

 もう少し適切な例えを出すと、東京都大田区は多摩川を越えてしまえばそこには神奈川県が在ります。

 しかし、大田区は東京23区の中では西側で、神奈川県との都県境に在るとは言え、所在地を表記する時には東京都である事には変わりありません。

 幾ら都県境に近い大田区でも、東京都の中心部の千代田区や中央区であっても、表記は東京都です。

 

 鍵盤の境も、気持ち的には近いのではないでしょうか。

 

 これは、決して鍵盤の端を弾くと云う意味ではありません。

 

 即ち、上記添付画像の場合、打鍵する対象となる物自体は同じですが、ファのダブルシャープの場合は、ソの鍵盤を指定しつつ実際のソよりも高い音程を想定し、ソのナチュラルと使い分けているのではないかと云う見解です。

 

 前後の内声の流れを全て弾いてみると、これは辻褄の合う話です。

 

 大人びた小学生は発育の遅い中学生よりも実年齢が上に見える事を例に挙げた方が的確だったかもしれません。