数日前、突き刺すような午後の陽射しの中、芍薬(シャクヤク)が謙虚な佇まいで花を咲かせていました。
やや小ぶりの花径と、純白に近い色合いとが楚々とした雰囲気を醸し出しています。
外観通り、香りも控え目でした。
芍薬園もそろそろ見納めかと思いきや、品種によっては5月下旬に見頃を迎えるものもあるとの事で、まだ楽しめそうです。
昨日の記事を投稿した後に思い出したのですが、私が小学校5年生の時のピアノの発表会で、中学1年生の男の子がシューベルトの即興曲Op.90-2を繊細なタッチで演奏していたのを客席で鑑賞していた当時、内面が実直なのだろうと感じていました。
25年以上経っても覚えている光景が有る事も不思議ですが、当時の先生の方針だったのか、毎回、生徒(門下生)達はクラシックの有名曲を与えられていたので、印象に残る楽曲を他の方が演奏しているのを聴くと、今でも当時の様子を思い出す事が有ります。
心の中に生き続ける音楽とは、確かに存在するのです。
【本日のピアノへの取り組みについて】
・バッハ インヴェンション全15曲
・バッハ シンフォニア第11番 ト短調
・ダカン かっこう ホ短調
(ここまで各1~2回ずつ通しただけ)
・ショパン エチュードOp.10-12(革命) ハ短調
・ショパン エチュードOp.10-4 嬰ハ短調
・ショパン スケルツォ第1番 ロ短調
・その他(スケール・アルペジオ・半音階)
昨日からダカンのかっこうが気に入って、練習曲の中に入れています。
再開直後に懐かしくなって楽譜を購入した曲ですが、小学生の頃とはまた違った想いで鍵盤に向かっています。
昨日、特に何も考えずにインテンポで通して弾いてみたら、随所に登場する左手の八分音符を自然とバッハのインヴェンションを奏でる感覚で打鍵していたので、ふと楽譜の解説を読んでみると、ダカンはバロック時代の作曲家であることが判明しました。
トリルの入れ方も再考しなければならない予感。
そして、私は結構クラシックピアノの勘が付いてきた予感。
深く考えずに感覚的にタッチを浅めにこの曲の爽快感を沁み込ませながらクールな感じで弾いていると、テンポが四分音符=126ぐらいになり、細身で無表情な北国のカッコウを想起しますが、もう少し愛嬌のあるカッコウを目指そうとは…あまり思いません。
カッコウには托卵をする習性があり、冷徹さと狡猾さが求められるのです。
体温変動が激しい個体が生き抜くためには、暢気な雰囲気にはならないはずなのです。
昨日から薄々気付いていたのですが、誇張でも何でもなく、この曲を自分の納得のいく完成度で奏でるにはOp.10-4の十六分音符の細かい部分を違和感なく弾けるぐらいのスキルが必要なのではないかと考えています。
子どもの頃、ピアノの先生が私の練習曲のお手本を弾いてくださった時、ソナチネやモーツァルトのソナタの楽曲のほんの一部だけに着目してもタッチの質や音色が私とは比較にならなかった事を思い出すと、メカニックスキルやテクニックの差は、初中級に分類されている曲を少し演奏しただけでもすぐさま判るものだと改めて実感しています。
これはバレエの基本の動きにも茶道のお点前にも言える事だと思います。
私もそろそろ上級者のフリから本物の上級者になれそうな予感…。
【スケルツォ第1番 練習記録】
昨日分類した第Ⅱパート:第69小節~第109小節を更に抜粋しました。
◆第69小節~第94小節の練習について
上記添付画像のピンク色で囲んだ音に重きを置き、黄色で記した音の流れを作る事を意識すると良いと思ったのですが、第77小節以降はフレーズの区切りが存在しないのか、以前聴いていたCD音源が無ければこの譜面から分析するのは非常に困難です。
やはりこの辺は上級者のフリと云うか、托卵して他の鳥に肝心な事を任せるカッコウの本性が拭えません。
◆第Ⅲパート:第305小節~第388小節(ロ長調の中間部)の右手跳躍部分の旋律について
第310小節及び第319小節(下記添付画像青枠で囲んだ部分)の旋律がどこなのかあやふやな状態です。
ピンク色で囲んだ音を旋律だと認識しています。
故に、現在、第310小節のFis音を私は旋律として捉えていないのですが、この点について確たる自信が持てません。
そして、第319小節の赤枠で囲んだ音の中からどれを選び抜いても音楽として違和感を覚えないので、感覚的にしっくりくる音を
H durだと云う事を考慮すると、フレーズの終わりの第320小節の旋律が主音に戻っている事から、ドミナントやサブドミナントなど考えるための情報は与えられているはずなのですが、現段階の私が考えても結論が出ないので、参考にしたのが第331小節以降の旋律部分です。
現時点では、上記添付画像の赤枠で囲んだ音は全て旋律として認識して差し支えないのではないかと考えています。
この水色のマーカーを引いた音が内声のように見えて異名同音で記載されているのが何とも意味有り気で、ショパンが故郷を離れたウィーンからどのようなメッセージを発しようとしていたのか疑問を抱きます。
こう記載していると、今まで如何程に適当に感覚だけでこの曲の中間部を奏でていた気になっていたのか判ります。
明日からも、形として作る事と、完成度を上げる事とを両立しながら練習に取り組みたいと思います。