前回記事にて、ピアノの「初級 中級 上級」について言及しましたが、今回は中級出口上級者について少し考えたいと思います。

 

 

 

 まず、演奏力を備えている事は言うまでもないと思うのですが、その演奏力培う環境と、維持できる環境を整える事ができることが重要だと私は考えています。

 定期的にまとまった時間、本人の肉体的・精神的コンディションが整った上で、練習する時間と練習するピアノとを用意できるか、この点です。

 

 自分以外の他者と同居している限り、日常生活を送る上で何らかの制限を受けると思いますが、その他者がピアノに取り組む事について難色を示していないか、この点は非常に重要です。

 子どもの習い事は勿論の事、大人が何か趣味に取り組む際、周囲に自分の行為を阻害する者が居ないか、この点は重視すべきで、自分の趣味嗜好に理解の無い者と交流が有る限り、趣味を続けるだけで困難を極めます。

 したがって、自分に悪影響を及ぼす者と関わらなくてもよい環境を自ら意図的に作る必要があります。

 

 

 本日は母の日ということで、カーネーションが用いられた花手水を掲載します。

 近隣のお花屋さんには、カーネーションの花束を買い求める人で溢れていました。

 私の母は健在ですが、あと15年後にも健在でいてくれるよう、カーネーションを贈りました。

 15年以上前、私が大学3年生の頃、母が生命の危機に瀕し、一時期は別れを覚悟していたのですが、奇跡的に助かり今に至ります。それ以来、「20歳過ぎても親があれこれ干渉してくる」などと云う類の愚痴を耳にする度に、親があれこれ干渉できるほど元気なのなら話し合いができて良いではないかと思うようになりました。

 

 最近では、緑色のカーネーションもあるようで、定番の赤以外にも選択肢が豊富で選ぶ楽しみも増えたのだと科学技術の発展を嬉しく感じます。

 

 

 【本日のピアノへの取り組みについて】

 

 ・バッハ インヴェンション全15曲

 ・バッハ シンフォニア第11番 ト短調

 (ここまで各1~2回ずつ通しただけ)

 

 ・ショパン ノクターン第5番 Op.15-2 嬰ヘ長調

 ・ショパン エチュードOp.10-12(革命) ハ短調

 ・ショパン エチュードOp.10-4 嬰ハ短調

 ・ドビュッシー アラベスク第1番 ホ長調

 ・ショパン スケルツォ第1番 ロ短調

 ・その他(スケール・アルペジオ・半音階)

 

 最近、ショパン スケルツォ第1番の練習に精を出しています。

 第305小節からロ長調に転調する右手跳躍の連続ですが、ようやく奏でたい音の理想像がおぼろげにではありますが見えてきました。

 

 

 昨年の秋頃は、跳躍に慣れて鍵盤を外さなくなったなどと次元の低い事で喜んでいたのですが、その時よりも実力が付いたのかもしれません。

 

 そして、手を焼いていた、第110小節から第124小節まで続く左手と右手とが呼応する部分の練習法について、この部分は左手のアクセント部分と右手の赤枠で囲んだ部分だけを弾いてみて音楽としてのイメージを作ってから全ての音を弾く練習方針に切り替えました。

 

 

 右1と左1とがクロスする結果になりました。

 

 そして、ここ数日間、割と本気で無謀なるスケルツォ第1番とエチュードOp.10-4のやり直し(この曲の部分練習を1週間以上放置すると完成度が下がるので維持するだけでも一苦労しています)をしていたら、暗譜していたはずのショパン ノクターン第5番 Op.15-2の暗譜が所々飛んでいるのではなく、本当に過去に暗譜したのか怪しく思えるような惨状になっていました。

 

 毎日ピアノの練習に取り組んでいて感じる事は、上級者の方々は、複数曲維持する方法を既に習得しているのではないかと云う事です。

 

 

 私がピアノコンクールにほとんど興味を示さない理由の一つに、コンクールで如何程に良い結果を得たとしても、それはあくまでもその瞬間だけの事で、一生涯の実力を示すものではないと云う事情が有ります。

 ピアノを再開した時、私は既に30代後半に突入しており、年齢を経ると共に、全てに於いて向上する事よりも現状を維持する事が非常に困難になる事を覚悟していたので、その時だけ、期間限定で出来る事には価値を見出さなくなっていたのです。

 

 得る喜び、失う事への恐れ、その私の葛藤を解消するには、コンクールに参加する事は却って逆効果なのです。

 

 永久保存できないものだからこそ、取り組む価値を見出しています。