本日5月5日は国民の休日で、端午の節句の日です。
先日参拝した神社に掲げられていた鯉のぼりが印象的だったので、掲載しておきます。
爽やかさと勇敢さが入り混じったこの雰囲気を感じ取るだけで、開放感に溢れます。
湿地にキショウブが花を咲かせる時季に差し掛かりました。
ショウブ湯に用いられるショウブとは別の品種らしいですが、丁度良いタイミングで見かけたので掲載しておきます。
キショウブには晴天が良く似合います。
花の様子はこちら。
見付けようと思って見付けたわけでもなく、偶然池のほとりを歩いていた時に遭遇したのです。
案外、あらゆる物事との出逢いはこのような形で起こるものかもしれないと思う事がしばしばあります。
【本日のピアノへの取り組みについて】
・バッハ インヴェンション全15曲
・バッハ シンフォニア第11番 ト短調
(ここまで各1~2回ずつ通しただけ)
・ショパン ノクターン第5番 Op.15-2 嬰ヘ長調
・ショパン エチュードOp.10-4 嬰ハ短調
・ドビュッシー アラベスク第1番 ホ長調
・その他(スケール・アルペジオ・半音階)
単刀直入に記載します。
【舞台の上で演奏者が何を考えているか、客席に座っている立場の者は解らないのか】
私は、上手く取り繕ったとしても、相当熟練された俳優やプロの演奏家を除き、素人が舞台に立った場合は、鑑賞している者に解るものだと捉えていました。
ましてや、鑑賞している者がコンクールの審査員であった場合、誤魔化す術などないのではないかと考えていたのですが、実態は、審査員によりけりのようで驚いています。
以前、通っていた某音楽教室のピアノ講師の方が、レッスン中、子どものコンクール指導必勝法について語っていらっしゃいました。
コンクール必勝法ではなく、コンクール指導必勝法である事を強調しておきます。
「椅子に座って、最初の1音目を弾く前、頭の中で〇〇を考えるよう指導すると良い。審査員には何を考えているのかなんて全く解らないのだから」
この言葉を聴いた瞬間、
「演奏直前にそんな事を考えていたら、不自然に感じられて審査員どころか周りの人達に解るでしょう。世間に通用する訳がない。ましてや、相手が審査員だなんて、まず不可能」
と率直に思ったのですが、このピアノ講師の方が審査員を務めており、本人が客席で聴いても全く解らないと云う話が出たので、対面で密室に二人きりで1年以上私と一緒に居ても、私がコンクールや子どもの話に嫌気が差している事に気付かないのも仕方ないのかもしれないと察した次第です。
過去に実際そう指導してこられたとの事でしたが、もしかして、私がコンクールにもコンクール指導法にも興味がなく、私のレッスン時間に楽曲演奏指導ができないと全く意味が無い、毎回のようにコンクール指導必勝法について語る時、肝心な楽曲の中身や奏法については全く言及せず、メンタル面や対人対策面ばかり強調し、ピアノを習いに行っているのか人前に立つ時の度胸付け蘊蓄を聴きに行っているのか全く解らない、他の人の事はどうでも良いから私のレッスン時間には早く私の練習成果を確認しましょうよ、ここはいつから子どもを持つ保護者へのカウンセリングルームになったのでしょうか、と疑問を抱いている事にすら、この先生は気付いていなかったのかもしれません。
この受講コースが、将来指導者を目指す者を育成するコースであれば、このような話を続けても方向性としては問題ないでしょう。
ただ、大人の趣味の習い事として通っている生徒相手に何故このような話が続出するのか、私は不思議でたまりませんでした。
自分のレッスン時間中に、自分の話は一切なく、他の人の指導歴の話で終わる事がしばしば有り、何故自分のレッスン中に他の人が沢山登場するのか、自分のレッスン時間中すら自分は全く存在感がないのか、この先生は目の前に実際誰が居るのか把握して話をしているのか、などと考えを巡らせる事も有りました。
コンクールのコの字も私から発した事はなく、普通を目指して普通を望み、普通の教室に入ったつもりが、「ピアノのレッスンで遭遇した怪奇現象」の話の種が量産される経験となってしまう結果となりました。
実は私の考えている事も雰囲気から全く察知されなかったのかもしれません。
もしくは、私がレッスン時間中に名演技を続けていたのかもしれません。