柔らかな陽の光に包まれながら、どこか切なげに咲く牡丹(ボタン)の花です。
牡丹(ボタン)と芍薬(シャクヤク)とは、よく似ており混同しやすいのですが、花の形ではなく、葉の形で容易に見分けが付きます。
最初に掲載した写真では判り辛いと思いますので、別の個体の牡丹(ボタン)の様子を添付します。
葉の形がギザギザなのが判ると思います。
写真の通り、牡丹(ボタン)は雨に打たれながらも花の形を保ったまま咲くのが特徴で、散り際も花びらが一枚一枚ひらひらと舞い落ちるのではなく、花びらが舞う事なく崩れます。
芍薬(シャクヤク)との違いとして広く知られている、牡丹(ボタン)特有の枝分かれの様子が判りやすい写真も掲載します。
根元をよく見ると枝分かれしているのが確認できると思います。
どこかしら和の雰囲気を感じられる、控えめでいて厳かな佇まいが4月にしとしとと降る雨に似つかわしい気がします。
最近、対面で買い物をした時、飛沫防止のビニールカーテンの影響か、お会計の途中や帰り際に店員さんに言葉をかけることが少なくなりました。
少額のクレジットカード払いなどで店員さんの手を煩わせた時や、ビニール袋に食品とその他日用品とをいただいた時などは、「恐れ入ります」、「ありがとうございます」などと、私は、自分が買い物客の立場であったとしても以前から自然に言葉として発していました。
日本の接客サービスは、全国チェーン店であったとしても神経が細やかで心遣いが感じられる事が多く、私はその度にお礼の言葉をかけ、お互いが気持ち良く利用できるよう心掛けていただけに、少し寂しい気がします。
個人間のやり取りを挙げても、親しい間柄であっても、自分から写真を見せてほしいなどと頼んだ後、メールに添付して送って貰った後に、「わざわざ送ってくれてありがとう(「一緒に行った時に見たけど、私のカメラでは撮っていなかったから助かったよ」などと、状況に応じてこの後に何か付け加える事も有)」などとお礼の言葉を述べますし、それは何かを相手に無償でして貰った時には当然述べるものだと思っていました。
私自身が知り合いに頼まれて指定された状況の写真を送った際、
「遅いよ、送るって返事貰ってからこっちはもう30分も待ってるんだよ」
「えー?何これ?ブレてる。もっと上手に撮れないの?」
などと、時間を割いてPCを起動してフォルダの中を探したり、縮小作業(メールに添付できるサイズにPCで縮小する操作)をしたりした事へのお礼の言葉はなく、文句を言われた経験が有り、このような言動は人を不快にさせると感じた事から、私自身の振る舞いも見直そうと考えた結果でもあります。
上述のような文句をぶつけられた相手は、疎遠にし、10年以上前には交流が無くなりましたが、自分が何かを無償で依頼し、無償でして貰った場合、その巧拙を問わず、まずは自分の依頼に対して時間と労力とを割いていただいた事へのお礼の言葉を述べるのが人として自然な行為なのではないかと私は考えています。
ピアノを再開し、花の散り際について注意深く観察するようになった今、曲の終わりの音の離鍵やペダルの使い方だけでなく、日頃の小売店での対面での買い物での自らの振る舞いについても考え直すようになりました。
文字数を省略しなければならないツールや、ネット通販が普及している今だからこそ、このような事に気を配る必要が有るのかもしれません。
【本日のピアノへの取り組みについて】
・バッハ インヴェンション全15曲
・バッハ シンフォニア第11番 ト短調
(ここまで各1~2回ずつ通しただけ)
・ショパン ノクターン第5番 Op.15-2 嬰ヘ長調
・ショパン エチュードOp.10-12(革命) ハ短調
・ショパン エチュードOp.10-4 嬰ハ短調
・その他(スケール・アルペジオ・半音階)
昨夜からこのような事を考えていたので、本日は、通して弾いてみた後、上記全ての楽曲の終わりの数小節だけを弾いてみて、終わり方に拘りました。
バッハのインヴェンションの場合、ペダルを全く使わないので離鍵だけに気を配ればよいのですが、ショパンの楽曲はペダルの使い方にも注力しなければ語尾伸びの話し方をしているようなだらしない終わり方になってしまうので、難所に気を配る前に最後まで気を抜かない事が肝要なのだと気付いたのが本日の練習結果です。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございました。
明日からも細々とではありますが、練習を続けていきたいと思います。