芍薬の花が見頃を迎え、先日、芍薬園へ赴きました。
色とりどりの芍薬の花を観賞していると、久々の庭園散策に心が潤うようでした。
まだ硬い蕾がようやく開きかけた状態は、少女から大人の女性へと成長する前の様子を想起させます。
こちらは成長過程の少女たちが集っているような印象。
やや赤みが強くなると隠しきれない色気を漂わせながら佇む女性たちのようです。
このような季節の植物を観賞できる庭園は、蜂や蚊などの虫が飛び交う事が多いのですが、今回はほとんど虫に悩まされる事なく快適に散策できました。
「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」と言われているように、芍薬は、地上部に伸びた一本の茎が枝分かれすることなく茎の先端に一輪の花を咲かせる生態から、美人の立ち姿を形容する植物として江戸時代から認識されていたようです。
地上部の様子が判り辛い写真ばかり掲載したので、全体像が判りやすい様子の写真を下記に掲載します。
この咲き姿はやや前かがみな印象を受けるものの、直線的で、率直な表現をしているかのように感じます。
余談ですが、花の散り際、芍薬は花びらが一枚一枚はらりと布を剥がすように舞い落ちるのに対し、牡丹は花の形状を保ったままボトンと落ちるのです。
本日ピアノの鍵盤に向かっていてふと思ったのですが、ペダルを踏んだりルバートをかけたりするショパンのノクターンの場合、美の分類としては、芍薬、牡丹、百合の大別した三種類の中ではどれに該当するのでしょうか。
特に正解は無い疑問ですが、百合のように風に吹かれて揺れる様子のような概念を想起します。
立てば芍薬 座れば牡丹 奏でる音色は百合の花
このようなフレーズが標語の如く脳内に閃き、美しい音色を追求したいと思いました。
本日は、大安の戌の日という事もあり、安産祈願のために神社参拝をした報告を多く受けました。
最近では、妊婦さん本人だけではなく、ご主人や親戚の方々も一緒に参拝する事が多いようです。
妊娠中から多くの周りの人達に大切にされて望まれて産まれてくる赤ちゃんは、きっと美しい心の持ち主に育つだろうと私は思います。
私の周りには、育児を「手伝う」のではなく、「夫婦で協力し合う」と云うスタンスの男性が多く、良い意味でジェンダーレスが進んでいると感じます。
江戸時代には女性に対してのみ用いられていた「美人」と云う言葉は、令和の時代、身体的性別を超越して万人が対象として用いられる日も遠くはないのではないかと考えることも有ります。
【本日のピアノへの取り組みについて】
・バッハ インヴェンション全15曲
・バッハ シンフォニア第11番 ト短調
(ここまで各1~2回ずつ通しただけ)
・ショパン ノクターン第5番 Op.15-2 嬰ヘ長調
・ショパン エチュードOp.10-4 嬰ハ短調
・ショパン エチュードOp.10-5(黒鍵) 変ト長調
・その他(スケール・アルペジオ・半音階)
そのような訳で、今からでも「音色美人」を目指すのも遅くはありません。
本日は、何となく通して弾いてみて、ショパン ノクターン第5番 Op.15-2に関しては封印した方が良いのではないかと思い始めました。
根腐れした個体が発生した生息地は、土壌から時間をかけて改良していかなければならないのと同様、地盤から考え直す方向でいます。
※システムエラーが発生したため、編集して再投稿しました。