極寒の中、商業施設の花手水が目の保養となりました。
神社仏閣の手水舎が感染症の影響で使用自粛が叫ばれる社会情勢下で普及したのが花手水なのではないでしょうか。
逆境に置かれても、常に何か生活の中に愉しみを見出す方々の工夫が凝らされていると感心しています。
私のこれまでの経験上、気温が極端に変動した直後は、繊細な色合いよりも鮮やかな色合いの方に惹かれる気がします。
そう考えると、繊細な色合いを感じ取れるのは、まず自分の感情や体調が安定した状態にある事が前提なのかもしれません。
そして、周囲の人達の感情の機微を敏感に察知し、それに対して応える事ができるのも同様、まず自分の感情や生活基盤が安定している事が必要条件なのではないかと考えている私は、自分の心身を安定させる事は即ち周囲の人達への思いやりを持てる余裕を持つ事に繋がるので、自分のために何かを優先させる事は自己中心的なようで実は他人のためでもあるのではないかと常に考えています。
標題の、気温の変動により判った事は、気温が著しく変動した直後は、自分自身の身体が環境に適応できておらず、普段の自分の感性と異なる状態に変化している場合も考えられるため、重大な決断を下すタイミングとしては向いていないと云う事です。
ただ、そのタイミングが自分の平常心とは異なる感性を産み出すため、何か新たなアイデアを産み出すチャンスとして上手く利用できるのではないかと淡い期待を抱いています。
【本日のピアノへの取り組みについて】
・バッハ インヴェンション全15曲
・バッハ シンフォニア第11番 ト短調
(ここまで各1~2回ずつ通しただけ)
・ショパン ノクターン第5番 Op.15-2 嬰ヘ長調
・ショパン エチュードOp.10-4 嬰ハ短調
・ショパン バラード第1番 ト短調(一部のみ)
・その他(スケール・アルペジオ・半音階)
本日は、おざなりになりがちであったバッハ シンフォニア第11番(3声のインヴェンション)を声部ごとに独立して練習し直しました。
バッハのシンフォニアはあと2曲「いつでも弾けるレパートリー」に入れておきたいのですが、現況、様々な楽曲に着手して維持する事が非常に困難なため、保留にしておきます。
本日もスケール全調練習しました。
スケールを練習する事によって得られる効果の一つに、その調性に耳を馴らす事が挙げられます。
これはピアノを再開した直後から実感しているのですが、ピアノの鍵盤に向かってすぐ、もしくはハノンの1番を練習した後に曲の練習に入るよりも、まずはその練習する曲の調性のスケールを4オクターブ×2往復練習してから曲の練習に入った方が練習すると云う儀式めいた行為でありながら、自分の気分がその曲に向かう傾向が有ります。
この練習スタイルを確立してからは、ピアノの椅子に座ってから楽曲の最初の一音を奏でるのが難しい事に気付き、次第にスケールを後回しにしてバッハのインヴェンションの第2番もしくは第7番、場合によってはショパン ノクターン第5番を最初に練習する事も有りましたが、今月に入り、再び最初にスケールから練習するスタイルに戻しました。
もうすぐピアノ再開3周年を迎えます。
18歳や22歳、24歳までに習得したあらゆるものは、自分の力ではなく、親の力なのではないかと思い、それが確信に変わった約3年間でした。
交友関係にも、様々な物事との出逢いにも、自分の意思が含まれているかのようで、環境に関与しているのが親であり、それはほぼ全員に該当する事です。
私がSNSにほとんど興味を示さず、ネットで交流する事に意義を見出せないどころかLINEをするのは時間を浪費するだけだと感じているのは、親を超える的確な事を発言する人に今まで出逢った事が無いからなのかもしれません。
親や未成年からの付き合いの周囲の人の一言はGoogle検索で得られるどの情報よりも的確で有益で、その情報源となるものは全て未成年の頃に無意識のうちに築いた関係性の中に在る事を考えると、今後私がピアノの練習を続けても進歩が見られないと云う捉え方もできます。
実は、再開前からこの事には気付いていました。
それを証明するための3年間でした。
偶然指導放棄に遭ったように見えますが、必然の結果です。