早朝から極寒で、寒気が五臓六腑に染み入るほどでした。

 寒さも度が過ぎると肌の感覚として痛みを強く感じる気がします。

 

 

 寒さに慣れると、凍えているどころか、却って澄んだ心地に浸る事ができる年もあるのですが、今年はまだその境地に達していません。

 

 子どもの頃、冬の厳しさに耐える詩歌や物語を観たり読んだりした時、何故暖かい処に移住しないのだろうと私は常に疑問を抱いていました。

 このような厳しい環境に耐えるのではなく、早く脱出する方法を考える方が賢明だと密かに、そして純粋に心から感じていた私は、大人になった今、「冬の時代」に耐えるのではなく、「冬の時代」を避けて生きる行動様式を身につけました。

 

 何が「冬の時代」なのかは人それぞれ異なる価値観が有ると思いますが、苦難にはまず近付かない、これこそが動物の本能です。

 

 よく、「やりたい事は何ですか?」、「好きな事は何ですか?」と問われますが、「やりたくない事をしないこと」「不快な事が含まれていない事」が前提にあると返答すると怪訝そうな顔をされます。

 しかし、ここで声を大にして言いたいのですが、不快な事を避けて生きていたら、それだけで毎日が見違えるほど快適になると思います。

 一回きりの人生、私は快適に生きていくつもりです。

 

 

 【本日のピアノへの取り組みについて】

 

 ・バッハ インヴェンション全15曲

 ・バッハ シンフォニア第11番 ト短調

 (ここまで各1~2回ずつ通しただけ)

 

 ・ショパン ノクターン第5番 Op.15-2 嬰ヘ長調

 ・ショパン エチュードOp.10-4 嬰ハ短調

 ・ショパン バラード第1番 ト短調(一部のみ)

 ・その他(スケール・アルペジオ・半音階)

 

 本日は昨日に引き続き細々と練習していたショパン バラード第1番のパート毎の練習の続きに取り組んだため、シューマンはお休みです。

 

 

 練習する時のパート分けについて見直す必要が有るのですが、私は第138小節から第150小節までを「大パートの中の小パート」として捉え、この部分だけ強化していったのですが、バラード第1番のような大曲を練習する時、「木を見て森を見ず」にならないように全体像の中の一部分である事を意識しながら部分練習に取り組むのが非常に難しいです。

 

 この部分については、軽快に跳ねるように右手で表現しながら左手の強調すべき音を響かせるのが難しく、メカニック的な事に言及すると、左手が想像以上に跳躍するので慣れが重要です。

 

 毎日様々な楽曲に取り組んでいて感じるのですが、実は私はバラード第1番についてあまり熱意が湧いていないのかもしれません。その証拠に、最新エキエル版の楽譜を購入していません。

 ただ、それはあくまでも相対的な熱意であり、他の楽曲に対して以前から抱いていた憧憬の念が強すぎるだけなのかもしれません。

 

 

 【ピアノのレッスンでスケールを視ていただくことについて】

 昨年から非常に気になっていたので、周囲のピアノ経験者に訊いてみました。

 

 子ども時代、ピアノを習っていた時、レッスン中スケールを視ていただいた事が有るか。

 

 結果、カデンツァまで含め、全調レッスン中に取り扱われたと云う方がいらっしゃいませんでした。

 実は私が今まで習っていた先生がスケールを特別熱心にレッスンしてくださっただけで、レッスン中に毎回長調・短調共に視てくださる先生の方が珍しいのかもしれません。

 もしかしたら、ピアノを習いに行って、自分から先生にスケールを視ていただく事をお願いする事自体、珍しい事なのかもしれません。

 

 バレエのレッスンで毎回ポジションを変えてバーレッスン時にプリエをレッスンしてくださるのも今私が当たり前だと認識しているのですが、実は当たり前ではないのかもしれません。

 

 基礎練習を見ていただける先生は貴重です。