昨日、某大手音楽教室で受けた処遇について、周囲の人に話したら、会社経営の在り方が問題なのではなく、担当ピアノ講師が泥棒なのが問題なのではないかと言われた。
私もそう思っている。
年配の方々とお話したのだが、最近はレクチャーをせずに時間が過ぎるのを待つだけの教育関係者が増えているのではないか、とのご意見を頂いた。
よく、大学教授が休講にしてばかりで補講をせず学生に何ら学問を提供しない事について国内で問題になっているが、給料と地位だけが得られればレクチャーを省いてもよいと考え、実行している者が一定数存在するように思われる。
幸い、私の出身校でレクチャーレス・ハラスメントを受けた事はないのだが、レクチャーを行わない事に対して受講生も声を上げずに黙って単位を受け取ってしまう態度がバブル崩壊後30年間以上続いていた業界があるのではないか。
真面目にレクチャーを行わない事に対して反発する受講生や教員を追い出すシステムが出来上がっているため、レクチャーレスこそが正義だと圧力をかける風潮さえ感じられる。
その一方で、科学技術の発展と共に非常に高い水準のレクチャーをこなすことができる教育者も増えたのではないか。
この意識の格差が激しく、中間層が激減しているのではないかと私は感じている。
どのような分野であれど、レクチャーレス教員が自分の担当になった場合、受講生側としてできることは、早期退会もしくは告発である。
前者は、習い事などのカルチャースクールで行うのが効果的で、後者は、高校や大学など、1人の受講生に対して教員が多分野にわたり関わる機関で行うのが効果的である。
レクチャーレスが成立するのは、教員側にも問題があるが、受講生側が黙認している事が主な原因でもある。
レポート代行、読書感想文代行、このような不正を積極的に請け負う者が存在し続ける事ができるのは、依頼する者が存在するからである。
レクチャーレス教員の担当時間を受講し続けるのもレクチャーレスに加担しているのと同様。