最近、真冬とは思えない程の暖かい日が続いており、過ごしやすく非常に有難いです。
昼間はコートが必要無いほどの気温にまで上昇しています。
今は山茶花が満開になり、花びらが舞い散って道路沿いに散乱している状況も見受けられます。
あと2ヶ月ほど経ったら桜の開花についての話題で賑わいそうです。
近年の温暖化の影響が強く、桜の開花は平成初期の頃には4月上旬である事が多かったのですが、現在は3月中に開花し、見頃を迎える事が増えました。
日本では、入学・入社シーズンは桜が満開である事が想定され、各商業施設の新生活応援フェアに於いては、桜が満開であるイラストが描かれる事が多く見られます。
私の小中学校時代は90年代だったのですが、入学式の頃に桜が満開となる事が多く、丁度新学期が始まる時期であったため、クラス全員の集合写真を満開の桜の花の下で撮影するのが習わしでした。
そのような習わしの中、中学時代の或る年、入院が必要な病気で学校を長期欠席せざるを得なかった同級生が同じクラスになった事があります。
この年は、私のクラスだけその同級生が退院して登校するまで集合写真の撮影を保留し、GW明けの5月に葉桜の下でクラス全員の集合写真を撮影した記憶が今でも鮮明に残っています。
担任教師が、
「転校生でもないのに、欠席した人を一人だけ右上に載せるのは、クラスの仲間だと認めていないような気がしてならず、集合写真の撮影日について校長先生に相談に行った」
との旨、HRでお話をされた記憶が有るのですが、今思い返すと、クラス替えをしたばかりの中、一人だけを枠外に載せる事によりクラス全員に疎外感を抱かせないようにと云う想いが強く込められた行為なのではないかと感銘を受けています。
欠席理由にもよるのかもしれませんし、写真関連会社との契約にもよるのかもしれませんが、このような担任教師の陰での想いが、「仲間外れをしない」と言葉で何度も伝えるより教育効果が高いのではないかと大人になった今しみじみと実感しています。
実際、長期欠席後に登校した同級生は、完治した後、クラスの中で仲間外れになる事がなく、友達に囲まれて登校していた事を思い出すと、学校側のこのような細やかな対応の重要性について強く感じています。
満開の桜の花の下での撮影ではなく、背景が葉桜になってしまった事については、私の知る限り誰一人として愚痴を吐く者がおらず、担任教師の想いがHRで語られた事により一人一人に響いたのではないかと思います。
生徒達に「欠席した生徒も仲間に入れろ」と指示するのではなく、先生が自ら仲間に入れる事により、病気で欠席した生徒を仲間だと認める行動で示してくださっていたのではないかと温かい気持ちになります。
【昨日(1/15)のピアノへの取り組みについて】
・バッハ インヴェンション全15曲
・バッハ シンフォニア第11番 ト短調
(ここまで各1~2回ずつ通しただけ)
・ショパン ノクターン第5番 Op.15-2 嬰ヘ長調
・ショパン エチュードOp.10-4 嬰ハ短調
・シューマン 幻想小曲集Op.12 飛翔 へ短調
・その他(スケール・アルペジオ・半音階)
昨日、普段と比較して朝から身体に怠さを感じたので、バッハのインヴェンションをランダムに数曲選んで練習しようと思ったのですが、この練習曲はどれも外し難く全15曲を1番から順番に練習していきました。
その結果、他の楽曲に着手しきれなかったのですが、楽曲を選んで練習していると、抜粋して部分練習をするのと同様、切り捨てた部分や着手しなかった楽曲に対して、私がレパートリーにしようと考えている楽曲から仲間外れにしている意識を感じ、何とも居心地が悪いのです。
時間も体力も有限なので、着手する楽曲を絞らなければならないのですが、毎日練習に取り組んでいると、その日に切り捨てる楽曲について、非常に悩む事が多いです。
この点については、優先順位をつける事も大切だと割り切ってローテーションしていく方向にシフトする考え方も有ると思うので、前向きな捉え方を考えていきたいと思います。