クリスマス間近となり、各地のケーキ屋さんのショーケースにクリスマスを意識したデザインのケーキが並ぶようになりました。
今から25日まで、飲食関連業界は繁忙期を迎えると思います。
学生時代、一時期、知人がクリスマス用のチキンをデリバリーするアルバイトをしていたのですが、12月24日、25日の両日はほぼ寝る暇もないほどに働いていたと言っていました。
この知人に、アルバイトは遊びではないとは言え、そこまで一生懸命働けて辞めようと思わなかった理由は何なのか尋ねてみると、
「家で配達を待っているお客さんに喜んで貰えて、バイト代まで貰えて、こんなに自分のやっている事が皆の役に立つと思うとやりがいのある仕事だと思えたから少々体力的に厳しくてもやっていけた」
「嫌々チキンを買わされているお客さんが居なさそうだったし、家に届けると皆が喜んでいる反応があるから、頑張れた」
との返答で、やはりやりがいは仕事をする上で非常に重要なのではないかと今改めて感じています。
私自身、学生時代の一時期アルバイトをしていた飲食店で、私の勤務店舗含む数店舗を近隣に経営している社長から、
「君たちには、このアルバイトをして、お金以外に得たものを最低一つは身につけてこの会社を退職してほしい」
と言われていました。
「アルバイトをしてお金を稼ぐ、これは当たり前の事。この会社は、従業員に、何か一つで構わないから今後の人生に役に立つ事を仕事を通して身につけさせ、次のライフステージに送り出す事を一つの目的にしている」
との一種の教育機関の統率者の発言とも捉えられるような事をよく耳にしていたのです。
嫌々義務的に出勤するぐらいであれば、辞めて頂きたい。
陰で仕事を誤魔化す人材を社会に出さないようにしたい。
このような社長の経営・人材育成理念が強い会社でした。
そこで、「立ち仕事を5~6時間続けられるという自信がついた」、「学校以外の場所で同世代の話し相手ができた」、「電話応対の基本が身についた」などの、一見従業員の利益にしか捉えられない事項が、巨視的に見ると実は数年後の社会に還元されている事が解りました。
今振り返ると、まだ社会に出たことの無かった学生時代、この会社に応募して採用され、この社長のもと勤務できて良かったと心の底から感じています。
最近、働く事に関して初心に返って考える事が多かったのですが、学生時代のアルバイト経験や20代の頃の社会に出たばかりの勤務経験から得た考え方がその後の人生に影響を及ぼす事が多いのではないかと私は思います。
このアルバイト先でできた友人が、
「私、本物の友人って、一緒に働いた事がある人の中から作るものだと思う。
学校は何か共通の利益を産み出すために共同作業をしているわけじゃないし、部活だって責任感を持つって意味では働く事とは違うでしょう。
たかがアルバイトとは言え、同じ時給で同じ場所で働いていると、その人の本性が解るんだよね。信頼できる相手なのかどうかが。」
と言っており、畏れ多くも私は信頼のおける相手だと認定され、辞めた後に自宅に遊びに行ったりする仲になったのですが、今思えば、給料を頂いている立場で雇い主の文句を陰で言ったり、仕事を怠けたりする発想が無かったのは、私の資質によるものだけではなく、この社長の誠実な経営理念のお陰でもあると気付き、かけがえのない経験をしたのだと感謝しております。
【昨日(12/21)のピアノへの取り組みについて】
・バッハ インヴェンション全15曲
・バッハ シンフォニア第11番 ト短調
(ここまで各1~2回ずつ通しただけ)
・ショパン ノクターン第5番 Op.15-2 嬰ヘ長調
・ショパン エチュードOp.10-4 嬰ハ短調
・ショパン ノクターン第9番 Op.32-1 ロ長調
・シューマン 幻想小曲集Op.12 飛翔 へ短調
昨日、記事投稿前に就寝してしまったので今朝投稿しています。
ピアノを再開した頃も今も、子どもの頃や中学生の頃に習っていたピアノの先生にもう一度続きを習いに行きたいと云う感情が密かに私の中に芽吹いては消え、芽吹いては消え、どの先生の教室に通っても納得できない気がしてなりません。
もうそれは叶わない事なので諦めなければならないのですが、辞めて20年以上経っても「良かった」、「また習いに行きたい」と思える教室が本当に存在する事に驚いています。
結局、私は先生選びと云う点に於いて、親を超える事ができなかった。
毎回痛感するこの事は、嬉しい事でもあり、由々しき事態でもあります。
それならば独学で何とかして乗り越えようと云う企画を立てています。
これこそ、やりがいのある事だと思います。