本格的な寒波が到来し、街行く人達の防寒着として、コートの他に帽子やネックアイテムが多く見られるようになりました。
雑踏の中、知人とすれ違った時、装いの影響でお互い気付きにくくなっていますが、お互いに存在を認識した時、軽く会釈を交わす事が多いように感じられます。
以前何らかの形で関わりを持ち、生活様式の変化により疎遠になったとしても、偶然街ですれ違った時には、「お久しぶりです」などと声を掛け合うのが一般的だと思います。
私は、現在進行形で関わりを持っているバレエの先生とも生活圏内が同一であるので、10年に2~3回は偶然百貨店などで鉢合わせた事が有ります。
この時、良好な関係を築いているとお互いが認識していれば、「あら、こんにちは」などとお互いに自然に声を掛け合う状況が生まれます。
レッスン時間外に、教室の外ですれ違った場合、先生のプライバシーに配慮し、私は「先生」と云う言葉や固有名詞を含む呼称では呼ばず、第三者が偶然お声掛けの場面を目撃したとしても「先生」の素性が判らないように気遣いをするよう心がけています。
習い事の先生も人間ですから、休日に買い物をなさる事もおありでしょうし、生活圏内が同一であれば休日に偶然遭遇する事も充分考えられます。
どのような立場であれ、相手の休日のプライバシーを尊重するよう私は心がけながら、且つ、言葉による挨拶やアイコンタクトを無視する事なく過ごすようにしています。
ここで、何か後ろめたい事情をお持ちの方と偶然街で遭遇すると、相手の方から逃げるようにそそくさと去って行くので非常に判りやすいです。
「おはようございます」、「こんにちは」などの言葉を交わす挨拶を目を合わせてしようとするどころか、会釈前の段階で隠れなければならない事情を初めから作らない事や、作ってしまった場合は謝罪するなど、日々の心掛けが肝要だと思います。
嘘を嘘で塗り固めている自覚が有ると、偶然すれ違った時、疚しさからくる逃避癖がつき、会釈すらできなくなる方々が多いです。
単なる勘違いによる悪意なき「真実と異なる申告」を繰り返している方の場合、堂々と「お久しぶりです!元気にしてました?」などと無垢な笑顔と共にお声掛けされる傾向にあります。
私の存在に気付かなかった場合、不自然な行動をとって隠れることなどせず、表情一つ変えず歩いていらっしゃいます。
気付いていないのですから、当然の事です。
これらの経験を振り返って、知人の存在に気付いて身を隠す事をしなければならない普段の言動を控えたいと再認識しました。
【本日のピアノへの取り組みについて】
・バッハ インヴェンション全15曲
・バッハ シンフォニア第11番 ト短調
(ここまで各1~2回ずつ通しただけ)
・ショパン ノクターン第5番 Op.15-2 嬰ヘ長調
・ショパン ノクターン第20番(遺作) 嬰ハ短調
・ショパン エチュードOp.10-4 嬰ハ短調
・ショパン エチュードOp.10-12(革命) ハ短調
興味本位でショパン ノクターン第9番 Op.32-1(ロ長調)の譜面を開き、一通り音取をしたのですが、下記添付画像の第22小節の左手部分(緑色の枠で囲んだ部分)がノクターン第5番の音高と同じなのではないかと感じ、第5番が挿入されているのかと云う錯覚に陥りました。
下記添付画像は、ショパン ノクターン第5番 Op.15-2(嬰ヘ長調)のもので、第1~2小節の左手部分(緑色の枠で囲んだ部分)が同じ音価・音高なのです。
第9番のしんと張り詰めた寒さの中に金属が散らばって音を立てているような繊細さに惹かれ、少し音を拾っていったのですが、次の練習候補曲のうちの1曲に第9番を挙げようと思います。
今年2月から練習を始めたショパン ノクターン第5番 Op.15-2(嬰ヘ長調)に関しては、レッスン中、先生の前で一度も1曲を通して演奏する事が無く独学で仕上げた曲として認識しておきます。
そこで、第9番については、第28小節および第30小節にヘ音記号表記を右手で弾く音が早速出現します。
その後の方も譜面を少し眺めただけで、第5番のようにマイノリティな左右分担を考える箇所が頻回にわたり出現するので、取り組み甲斐がありそうです。
着手する楽曲については、未だに候補の段階ではありますが、少し音を拾っていくとショパンの楽曲にありがちな流れが見えてくるような気がしてなりません。
ピアノを独学する魅力は、自覚している虚言や実態と異なる建前を平気で述べる悪質な者と関与せずに済む事です。