或る商業施設の入口に花手水が置かれており、街がクリスマス一色の雰囲気の光景に包まれていた状況で、黄色と紫色との組み合わせに却って新鮮さを感じました。
陽気さと物憂げな感じを併せ持つ印象です。
アメブロの中で、そろばんの話題が出ていたので、少し言及します。
私が小学生の頃、義務教育の算数の時間に、僅かではあるものの、そろばんを用いて2桁の加減のみ教わりました。
乗除については、そろばんでは一切教わっておりません。
繰り上がりのある足し算や、繰り下がりのある引き算の場合、暗算もしくは筆算を用いた方が速く答えを導き出せるため、頭の中で暗算をしながら「計算結果」をそろばん上で示す同級生が多かったのが印象的です。
私の小学生時代は90年代だったので、そろばんは廃れ気味でした。
2000年以降はエクセルを学ぶ方々が断然多くなっていた気がします。
上記添付画像の配置で"15"を示していた気がします。
私は、特に珠算教室へ通っていた訳では無いのですが、学校で先生が計算問題を出す際、「願いましては」と仰ったタイミングで「五珠(1つの珠で5つの数を表わす)」を全て上に弾き、児童たちが全員計算の準備をする習慣は今でも鮮明に覚えています。
私の母の時代は、「お祓いましては」と声掛けをする習慣があったようで、小学生時代から感じていた事なのですが、地域性や時代の問題なのか、教える先生の方針によるものなのか、疑問です。
今の団塊世代以上の方々から、就職先でそろばんを用いて計算していたと云う方々の声を多く聞いていました。
五捨六入をおこなう必要がある業務に就いている方にとっては、このそろばんの概念は非常に便利なのではないかと思います。
そもそも、そろばんの存在が五捨六入を導入する思考の大元だったのかもしれません。
大学生の頃、或る実習先で初めて五捨六入の計算で記載するよう当たり前のように指示され、違和感を抱きつつも頭の中で必死で計算していた頃が懐かしいです(この実習先の職員の方々の暗算の速さに打ちのめされました…by関数電卓に頼っていた世代)。
【本日のピアノの練習について】
・バッハ インベンション第1~15番
・バッハ シンフォニア第11番 ト短調(暗譜済)
(※ここまでそれぞれ1~2回通しただけ)
・シューマン 幻想小曲集Op.12 「飛翔」(※練習中)
・ショパン エチュード Op.10-12(革命)(暗譜済)
・ショパン エチュード Op.10-4(暗譜済)
・ショパン エチュード Op.10-5(黒鍵)
・ショパン ノクターン第5番 Op.15-2 嬰ヘ長調(暗譜済)
・その他(スケール、アルペジオ、半音階、その他)
せっかくそろばんで"15"の配置を思い出したので、ショパンエチュードOp.10-5(黒鍵)の練習を再開しました。
曲調が12月の煌めく人工的なシルバーとゴールドの繊細な点滅で形成されたイルミネーションを想起させます。
ショパン ノクターン第5番 Op.15-2について、第54~55小節にかけて、ヘ音記号で記されたDis音がタイで結ばれているのですが、私はこの箇所を左1→右1と受け渡しで指のすり替えを行い、繋いでいます。
1年4ヶ月間在籍していながら、先生の前で鍵盤の上での「実演」をお見せする機会が一度も無かったのですが、私は自分の最善運指ぐらいは自分で決められると云う先生のご判断でしょうか。
私は今まで、新曲に取り組む時、先生の指示で運指を決めた事が無い気がします(今回の先生の前では運指や音色以前の問題として、全く聴いていただけなかったと云う稀少体験をしました。普通、生徒自ら拒否しても「弾いてみて」と言われると思うのですが、私の場合は「弾かせて頂けなかった」のです)。
自分の「最適解」は自分が一番把握している事で、たとえ先生であれ、他人が口を挟むものではないのだと私は思います。
「他人の意見に耳を貸さない」のではなく、「先生が私に意見(助言)しない」と云う稀少体験は全国探してもほぼ見当たらないので、生徒側が先生に指導方針を逐一助言する事も必要だと再認識しました。
本日はスケールを全調4オクターブ×2往復練習したせいか、気分が晴れ晴れします。
「お祓いましては~」
「楽譜を譜面台に置く」
「御明算!!(書き込んである運指を見ただけで演奏を聴かなくても解ります)」
ピアノの前で他人の世間話を嫌々聴いて焦れったい想いを募らせるよりも、自己流で構わないので自分で練習している方が清々します。