標題の通りなのですが、私の物事に取り組む時の指針です。
スペードのエースはトランプゲームの中で、1枚持っているだけで汎用性が高い事は多くの方々の共通認識として根付いていると思います。
私の生き方の指針として、スペードのエースを欲している訳ではありません。
欲しいものは、ダイヤのキング1枚で、加えて、全ての種類(スペード、ハート、ダイヤ、クラブ)の7を併せた計5枚を維持する事です。
6以下のカードは所有しない方が好ましく、8からQの段階に在るものについても、現段階に於いては特に興味を示していません。
一点豪華主義よりも、広く浅く、トランプで言えば7のカードの概念に象徴されるような位置付けのものを4種類全て揃えておきたい、そして邪魔なものは進んで切り捨てていきたい、初めから関わる気すらない、それが私の指針です。
ピアノの楽曲の完成度についても、ダイヤのキング1枚に匹敵する何か1曲は常に持っておきたいのですが、エースと呼べる1曲まで極める気は毛頭なく、クラシック曲の中で様々なジャンルの4曲をトランプのカードで例えると7のレベルで維持しておきたいと云う心持です。
これは、ピアノに限らず、何か趣味に取り組む時の私のスタンスです。
添付画像は、東京都庭園美術館来館時に購入したオリジナルトランプの絵柄です。
以前購入した物で、久々に取り出してシャッフルしてカードを出してみたところ、皮肉なことに、引いたカードはジョーカーでした。
そこまで強力なものを身につけようとしているわけではないのですが…。
「何でもできる何でも屋」は、都合よく利用されやすく、責任を押し付けられやすいので、「私の意思によりお引き受けできかねます」と告げるより、「どう頑張ってもできません」と云うニュアンスでお断りをした方が、この社会情勢では不快な物事を回避して結果的に幸福度が上がるのです。
運転も雪かきも「できません」、スマホの操作も「できません」、愚痴に付き合う共感・傾聴も「できません」、と云う姿勢を提示した方が、自分のために時間を有意義に使える環境を作り出しやすいのです。
スペードのエースだけでも1枚持っているだけで負債だと認識している私に、ジョーカーは不要なのです。
【本日のピアノの練習について】
・バッハ インベンション第1~15番
・バッハ シンフォニア第11番 ト短調(暗譜済)
(※ここまでそれぞれ1~2回通しただけ)
・シューマン 幻想小曲集Op.12 「飛翔」(※練習中)
・ショパン エチュード Op.10-12(革命)(暗譜済)
・ショパン エチュード Op.10-4(暗譜済)
・ショパン ノクターン第5番 Op.15-2 嬰ヘ長調(暗譜済)
・その他(スケール、アルペジオ、半音階、その他)
昨日記載したおざなりになっているスケールの調性について、変ト長調→変ホ短調→ロ長調→嬰ト単調、と練習に取り組みました。
シューマンの幻想小曲集Op.12「飛翔」の練習法についてですが、拍感を取り戻すために、ピアノの椅子から離れ、立ち上がって足で8分の6拍子を刻み、その体感を得てからメトロノーム八分音符=176に合わせて乗せていく方法を採りました。
そこで、本日右手変ニ長調の右手アルペジオ部分(下記添付画像参照)を通して流しながら感じていた事なのですが、耳障りが非常に心地良いのです。
本件、ショパン エチュードOp.25-1(エオリアンハープ)をお勧めされても、練習する事について、音の感覚的にあまり受け容れられなかった理由について考えてみると、エオリアンハープは変イ長調で柔らかな感触で過度にロマンチックで私のイメージではないと云う拒絶反応を示したのです。
一方、シューマンの幻想小曲集Op.12「飛翔」の変ニ長調の右手アルペジオ部分に関しては、神秘的で細かな煌めきを感じ、憧憬の念を抱くことが多いのです。
これらの感情は、操作できるものではなく、自然に沸き起こるもので、第三者が幾ら誘導しても私の心が傾く事が無いのは自分で認識しています。
また、本日、ショパンエチュードOp.10-4の練習に1時間以上投じていたのですが、これこそ完成度をダイヤのキング1枚にしておき、他にレパートリーとして完成度を自分の納得のいく次元で維持する事が私の趣旨です。
キングは王様であるから、王様への指導は必要ないと見做され、指導放棄されてしまっていたのかもしれませんが…。
某大手音楽教室を選んだのも、スペードのエースレベルの完成度は要らない、毎日90分程度自宅で練習し、数年通って4曲程度、カード7のレベルで穏やかにレッスンして頂ける事を意図していたからなのです。
解りやすい例えで言えば、
「特に難しい事は考えずに、お互いのプライベートに深入りせず、中学生の頃に習っていたような感覚で、特にコンクールで受賞を目指す訳でもなく、楽典の筆記試験を課される訳でもなく、趣味として楽曲を定期的に1曲習いたい」
と云う事だったのですが、結果的に1年4ヶ月間在籍しても先生の前で1曲通して弾く事が一度も無いと云う非常に稀有なレッスン時間を過ごす(≠「レッスンを『受ける』」とは表現いたしません)結果に至りました。
私は、講師の居住形態や子どもの生活状況など全く興味なく、さっさとピアノを弾いて直すべき箇所をご指摘頂く事をエンドレスに希望していたので、雑談には無言対応に徹していたのですが、私にピアノの鍵盤を触られるのが余程都合が悪いのか、あの手この手を使い、講師のプライベートトークが炸裂…。
講師と仲良くしようなど毛頭思わず、割り切った関係を望んでいたので、「そんなどうでもよい話をする暇があったら、ピアノ弾きましょうよ」と毎回毎回思いながらピアノのレッスンに通っていました。
他の生徒さんの噂話とか興味有りませんから…。
「講師の方は私の演奏を聴いて何らかの反応をするのが仕事だと認識できていますか?自分の話を聴いて貰いたくて教室に通っているのなら、契約違反ですよ」
と、本日お電話をかけさせていただきました。
現在、会社で前代未聞の上席対応となっています。
私は、レアカードなど望んでおらず、「普通」、「大衆」を望んで生きているのですが、そのスタンスが全く伝わらなかったようです。
「普通であること」を切望して入会したのですが、会社創立以来のエリア内最大事件となりました…。
対会社へのスタンスはジョーカー路線を取らせていただきます。