形ある物は必ず時を経ると劣化し、場合によっては破損に至る事は物質化学や量子力学を専門的に学んでいない子どもであっても容易に想像が付くことでしょう。

 本日、私の愛用していたデジカメが不具合を起こし、親しい人の中で機材の取り扱いに詳しい人に点検を行って貰ったのですが、やはり破損していると云う事で間違いない事が判明しました。

 

 一般的に、高性能な電化製品の寿命は短いですが、新たな物を購入するきっかけとなる転機だとポジティブに捉える事もできます。

 寧ろ、不具合を起こしたタイミングが海外旅行中でなくて良かったと楽観視しています。

 

 

 失われた物や状況に対して未練を残すのではなく、気分を一新して、昨日からシューマン幻想小曲集Op.12 「飛翔」について最適な運指を考案中です。

 

 

 楽曲練習法として邪道なのは重々承知ですが、まずインテンポ(四分音符=168)で全ての音を鍵盤から拾っていき、主旋律だと判断した音を浮かび上がらせるにはどうしたらよいか、大雑把な方法一発で運指を決めていきました。

 

 雑に打鍵したので、運指を決定するに至るよりも、指番号を記載する事の方が時間を要したほどです。

 

 そうすると、下記添付画像のような箇所で抜く音の処理をどうするか、少し考えなければならない事が発生します。

 

 

 私の場合、1曲を通して物理的に届かない箇所が多々有り、左手忍術の如く使っているのです。

 これは、ショパン ノクターン 第5番 Op.15-2の練習時も同様です。

 

 ほんの少し手元をご覧になった先生にはさぞかし頭の痛い現象だっただろうと思います。

 事実として、私が1曲通して弾いてみた手元を披露する前に演奏を止められてしまったのですが、手元をご覧にならずとも、1曲を聴いてくださって所感を仰るだけで私は充分だと弁えていました。

 ここまで演奏を止める事に対して躍起になっていらっしゃる先生には、1曲通して演奏されると何か都合の悪い事情でもお有りなのかと懐疑的になってしまいます。

 趣味として取り組んでおり、特にコンクールなどを意識していない再開組にとってはピアノのレッスンは、「音楽を専門的に学んだ方からの感想をいただき、音楽的な改善点をご指摘頂く場」だと私は現時点では認識しているため、まずは生徒が練習成果を見せるために実際に弾いてみなければ判らないと思うのですが、「百聞は一見に如かず」ではなく、「一見せずとも一聞で全てが解る」先生の場合、このような「レッスンの受け方理論」は通用しないようです。

 これこそがまさに忍術です。

 

 個人的には、una corda使用時、自宅のアップライトピアノでは鍵盤がシフトしないのに対し、グランドピアノではシフトするので、高速アルペジオと鍵盤シフトとのタイミングなどについて先生とお話したい事があったのですが、私が実演しようとしてその話を切り出したところ、その件についてはすぐさま論点をすり替えられました。

 私の音を聴くのがそこまで苦痛だったのでしたら非常に申し訳ないです。

 このような事例については、コツを伝授して頂きたかったのではなく、「まずは私が練習してきた方法を披露いたしますので、何か致命的な勘違いなどございましたら是非ご指摘ください」と云うスタンスでレッスンに臨んでいました。

 

 

 話が逸れましたが、「飛翔」の場合、最高音であるDes音を1オクターブ下げると違和感が無いのですが、その後に続く音や前後の繋がりを考慮すると、やはり楽典を少しは学んでおく必要が有る事が解ります。

 楽典を制す者は独学を制す、今ではそう認識しております。

 

 使用不可能になった私のデジカメについてですが、燃えるゴミの日にゴミ袋に入れるのではなく、メモリーカードを抜いた上で適切な廃棄方法をお調べし、廃棄物が有害物質とならないよう処分する事にしました。

 

 

 21世紀に入り、主に環境保護の観点から、プラスチックやペットボトルの蓋、雑紙(厚い紙)など、ゴミの分別が細かく定められています。

 

 

 人との繋がりも同様で、必要の無い繋がりになった者自分が避けたい者どのようにお別れするか死別以外の方法で人との繋がりが切れる時、自分がどう振る舞うか、この点については非常に高度コミュニケーション力が問われると私は考えています。

 私が18歳の高校3年生の時、同年齢の或る男性が、

 「彼女と別れた後、お互いが気まずい思いをせずに生きていけるか否かが、本物の付き合いができたって事なんだよ。元カノが俺と将来どこか同じ業界に入って働く事になっても周囲に違和感を抱かせないようなポーカーフェイスをお互い作っていられたり、俺が有名人になった時に元カノがまだ生きていても、俺の未熟な過去を暴露されないような関係性を作るのって、相当な別れ際の技量が問われるんだよ。」

 と言っていました。

 非常に人間的に尊敬できる方だと私は当時から感じていました。

 

 大人になると、過去に関わった方々の人数減る事も少しは有りますが、減った場合であっても、新たに増えた者以前減った者から以前聴いていた事記憶として所有していたり、新たに増えた者増減に関わらず疎遠になった者の現況を把握していたりするもので、新たに増えた者疎遠になった者の過去の所業を知らずに、全く悪意なくその者を「友人」「知人」として屈託のない笑顔で話していると云う現象も見られます。

 

 しこりを残さずに関係を解消する事こそが対応スキルの高さだと私は考えています。 

 

 

 【本日のピアノの練習について】

 

 ・ハノン 8~14番

 ・バッハ インベンション第1~15番

 ・バッハ シンフォニア第11番 ト短調(暗譜済)

  (※ここまでそれぞれ1~2回通しただけ)

 

 ・ショパン ワルツOp.64-1(小犬のワルツ) 変ニ長調

 ・ショパン ワルツOp.64-2 嬰ハ短調

 ・ショパン エチュードOp.10-4(暗譜済)

 ・ショパン ノクターン第5番 Op.15-2 嬰ヘ長調(暗譜済)

 ・その他(スケール、アルペジオ、半音階、その他)

 

 ショパン ノクターン 第5番 Op.15-2以外は、過去にどなたかの先生の前で1曲通して演奏し、ご指導頂いた楽曲です。

 ピアノのブランクが長けれど、以前教わった事や、以前の経験はどこかしら今に繋がっており、バレエのような「完全なる初めて」の状態で取り組むのとは状況が異なります。

 

 証拠などなくても、経験した事は自分の中に息づいており、今でもすぐに不思議なほど克明に当時のレッスン内容を思い出す事ができます。

 第三者になりすましてレッスンを受けていた訳ではないので、探偵よりも、興信所よりも、何らかの記録よりも、自分の0次情報の記憶が一番頼りになります。

 

 学歴や職歴についても同様で、卒業生名簿や職員名簿を管理するのは「人」ですから、その「人」が、卒業生の学部学科・所属研究室が誤記載されたものを世に配布している事も有り得ます。

 本当に当時からの知り合いであれば、すぐに誤記載に気付き、記録された名簿そのものが誤りであると判断するでしょう。

 よくご存じない方が嗅ぎ回って素性をお調べしようとすると、誤記載に気付かず、誤記載を信じてしまうと云う現象が起こります。

 

 お金で売買された情報が役に立たないどころか、本物の知り合いがおらず、業者に金銭をお支払いして嗅ぎ回っていた事を示す事になる場合も有ります。

 本人の申告と、実態と、世に出回っている情報と、何を信じるか、その判断力が肝要となる事例に今年は多数遭遇しました。