柿の旬の時期も終盤に差し掛かっています。
皮を剥いて生のままいただくのが私の好みですが、なますの中に入れる調理法も有ります。
副菜としても水菓子としても活用できる優れもので、この季節に重宝しています。
素材の質がどうであれ、存在する以上、活用法を自ら工夫していき、満足のいくものを仕上げようとするのが、料理だけでなく何かを指導する時に必要な発想だと私は考えています。
「廃棄する」、「排除する」のではなく、要望が有る以上、どのように生かしていくか。
クライアントの要望にどう応えるか。
そもそも要望に応えたくない(応える気が無い)場合、クライアントの損害が最小限に留まるよう、早期段階にてお断りするのが得策なのか。
先週、胃腸の調子が芳しくない日が続いており、休日に近隣の胃腸科のクリニックを受診して参りました。
医師や看護師には、検査値や心音などの客観的情報を直接診て頂くだけではなく、診察が正確に行われるよう、心因性の疑い・関与と云う観点を常に忘れられないように、私から近況をお話する事にしています。
自分が患者として診察室に居る場合、医療従事者には、診察室内での患者の言動について守秘義務が課せられますから、業務中の医師や看護師に診察料をお支払いして近況をお話する事は非常に有益な行為です。
業務時間外のプライベートな時間に雑談をすると、相手の倫理観やその時の迸る感情によっては、周囲に吹聴される恐れが有りますが、確実に口外されない事(警察など、国家機関の要請を受けた場合を除きます)の保証を求める場合、私は業務中の医療従事者に患者として困り事を相談に行く事が多いです。
「秘匿の確実性」を求めるのなら、ストレスの原因となっている事の相談も有料でそれを専門とする相手の業務時間中に行うと長期スパンで見た場合に良い結果が得られると思います。
悩み事や聴いてほしい話が有るのなら、精神科や心療内科を思い浮かべる方も多いと思いますが、まず身体的所見として異常が無い事を確認するため、不調を自覚している部位の専門医のクリニックを受診するのが治療への近道です。
胃酸抑制薬を服用すれば1~2日で完治する症状について、向精神薬が処方される事が無いよう、受診する側としても訪れる専門医を誤って選択しない事を心がけています。
結果的に、医師により処方されたプロトンポンプ阻害薬を2日間内服しただけで、幸いな事に今では生の柿も少し摂る事ができるようになりました。
さて、診察室では今回の某音楽教室での指導放棄・債務不履行疑惑の件もお話しました。
患者の気持ちに寄り添う親切な業務中の看護師の方から、「そんな酷い事があったのなら、それがストレスでお腹の調子が悪いんじゃないかしら」と言われました。
業務中の医療従事者に診察室でお話すると、気分が清々します。
この看護師の方に、医師立会いの下、
「私はピアノの先生と全くコミュニケーションが取れないのですが、看護師の方々が相手だと、どこに行っても心境を打ち明けられます。それに、返答を得ると安心して、診察室を出る時には精神的に楽になっています。ピアノのレッスンは、自分が希望して趣味で通っていたはずなのに、レッスン室から帰る時、レッスン室へ向かう時よりも憂鬱で懐疑的な気分になっています。この違いは一体どこからくるのでしょうか。」
「看護学校で何かトークマニュアルを伝授されたのでしょうか。看護師の方々は『相手の本音を引き出す会話術』でも習得しているのでしょうか。それも全然嫌な思いをすることが無く本音を話せます。全員刑事や検察官などの取調官になれそうです。看護師免許は、弁護士免許と検察官採用試験合格証と臨床心理士資格を兼ねているのではないでしょうか」
とお話したところ、その場の医療従事者全員に爆笑されました。
看護師「そうねえ…私は特に学校でも就職してからもマニュアルなんて習った事ないけど、先輩の接し方を見て何となく身についていくものじゃないかしらね」
私「『何となく』…その『勘』が通用しない人種がいるんですよ…」
看護師「ほら、相手だって人間でしょう。真心で接していたら、患者さんもお話してくれるのよ」
私「その『真心』が全然伝わらない相手が居て困っているんですよ…それが『ピアノの先生』なんですよ。もう私、あの先生に『〇〇先生(私はこの看護師の事を敢えて「先生」呼びしています)のところで1年修行しろ!』、あの音楽教室には『教育と商売とを両立させる方法は◇◇(某大学経営者)に頭下げて教えて貰ってこい!』と言いたい気分ですよ」
…またまたその場の医療従事者全員に爆笑されました。
そして、看護師とお話しているうちに次第に私にも自然に笑いが込み上げてきました。
看護師「…まあ、私たちの所に『合わない人』が面接に来たら採用しないわよ。だって意思疎通できない人がいたら仕事にならないでしょう。また何か悩みがあったらここ(クリニック)に相談にいらっしゃいよ」
私「あ、もうその先生には関わらない事にしたので、『また』この話はしなくても済むと思います。ピアノを『習っていた』のではなく、ただ『通っていた』だけでしたね。
だってさあ、1回も先生の前でレッスン曲を弾いた事なくて独学で全部仕上げたの。仕上がったんじゃないの、仕上げたの、自分の中で。いっつも全然弾かせて貰えなくて2~3秒ぐらいで演奏止められたから、それを受付職員に行ったら、『先生に聴いて貰いたかったら、何で【聴いてください】って言わなかったんですか?』って逆ギレされたの。私、演奏止められた時に『うっせー、クソババア!お前は黙って聴いてろや!それが仕事だろうが!職務放棄すんなや!』とか怒鳴れば良かったのかな。1回のレッスンで私がピアノの鍵盤に触ってるの、毎回10秒未満だよ?この10秒ルール・レッスンってこの会社の特色なのかな。10秒は長い方で、5秒も無い時がほとんどだよ。『講師』とか名乗ってる人がさ、全っ然、私の音聴いてくれないの。
だったら独学でいいじゃん!って思ったね。
行っても『講師』とか名乗ってる人、私のこと5秒も待てないんだからさぁ。
教室全体の従業員から嫁いびりみたいな事をされていて、実質大人の嫌がらせ体験コースに通っていましたからね。『パワハラのコツ』、『証拠を残さない嫌がらせは録音禁止規約のもと行え』みたいな」
私「今回殺意を抱く人の気持ちが解るようになりましたからね。殺人犯になる前に自制して休会届を出しましたけど。
さすがに、
『レッスン室に2人でいると暴言吐きまくる先生を本当に殺して逮捕・起訴されてしまいそうなので休みます』
なんて言えなくて困りました。
不登校になる人って、誰かに追い詰められていて、自分を追い詰める相手に報復する事を自制する為に登校を自粛しているんじゃないですかね。だとしたら、不登校とか、出勤拒否とか、何かを休む人って、自分の殺意を自覚できて、自己分析ができていて自制心が強い人なんじゃないんですか。」
…(私も含め、全員爆笑)。
医師「…(苦笑)、△△さん(私の名前)のそのキャラ好き」
体調不良で胃腸科を受診したはずが、結果的に診察室で爆笑トークを繰り返す事になり、毎回このような看護師や医師の対応に精神的に救われています。
今回私の担当になったピアノの先生の前では全く話ができず、笑った事すらなかったのですが、この「トーク治療」により少し笑顔を取り戻す事ができました。
処方薬よりも、診察室内で不遇な目に遭った事を面白おかしく話す方が症状の改善に寄与するとは、皮肉な事です。
国家資格を保有した医療従事者たちが、業務時間中に患者の治療目的で悩み事を聴く行為は職務の範囲内であり、患者の気分が楽になると判断した場合、匿名ではなく、個人や法人の実名を訊き出したり、患者の方から実名を出して状況詳細を打ち明けられる事がしばしば有ります。
この場合、名誉毀損行為には該当せず、治療目的で診察時必要な情報提供をしたと解釈されるのが一般的です。
本来、音楽教室とは、「通っている側が歓びを感じるため」のものであるはずにもかかわらず、音楽教室で過剰なストレスを感じ、そのストレスにより生じた胃腸の不調がクリニックの看護師に話す事により改善されているとは、世の中は様々な人の支え合いによって成立しているものだと痛感します。
音楽教室のピアノのレッスンについても、「お客様」扱いする教室であれば、自然災害や数ヶ月間以上にわたる傷病理由でもない限り、レッスン曲名・レッスン回数・完成期限を保証して契約書を交わし、半額前払い、成功報酬として残りの半額をお支払いする形式にする事も講師に指導放棄させない一つの方法なのかもしれないと考えるようになっています。
当然、受講生が練習を怠った場合、受講生側に非が有ったとして、途中で指導打ち切りにする規則も必要だと考えられます。
講師に「納期」を突き付けなければ、指導放棄や不適切な選曲を平気で行い、会費だけを搾取し続けると云う悪徳商法がまかり通ってしまいます。
そのくらい「顧客の要望に全く応えられないどころか、レッスン時間中、顧客の過去を妄想して否定したり、暴言を吐いたりしてピアノの演奏技術についての指導をほとんど行わない事を疑問にも思わない講師」が出勤し続ける事が深刻問題なのです。
【本日のピアノの練習について】
・ハノン 3~8番
・バッハ インベンション第1~15番
・バッハ シンフォニア第11番 ト短調(暗譜済)
(※ここまでそれぞれ1~2回通しただけ)
・ショパン ワルツOp.64-2 嬰ハ短調(暗譜し直し)
・ショパン エチュードOp.10-4 嬰ハ短調(暗譜済)
・ショパン エチュードOp.10-12 ハ短調(暗譜済)
・ショパン ノクターン第5番 Op.15-2 嬰ヘ長調(暗譜済)
・その他(スケール、アルペジオ、半音階、その他)
本日は、ハノンをメトロノーム八分音符=160で3オクターブ×2往復練習しました。
あの人(ピアノ講師の事を「先生」とは呼んでいませんでした。本人も理由についてはお気づきでないのかもしれませんが、「先生」だとは思えなかったからです。「先生」とお呼びすれば楽曲の指導を行うのかと思い、少し持ち上げて「先生」呼びしましたが、相変わらず私のレッスン曲の演奏は許可していただけませんでしたね。レッスン時間中であるにもかかわらず、練習成果を全く聴こうともしない者は、レッスン室に存在するだけ邪魔です。レッスン時間、私を一人にさせ、「自主練習」させていただきたかったです。講師は不要です。不快になるだけでした。あの人物には来ていただかなくて結構です)にスケールを見て頂こうと下出に出て提案したのですが、
「スケールなんて人前で弾くこと無いから必要ないでしょう」
とのご返答でお断りされました。
その理論が適用されるのであれば、レッスン室で打鍵する行為=人前で演奏する事を前提とした曲の指導、となるのが筋が通った話だと思い、期待していました。
しかし、人前で演奏する予定の曲「ショパン ノクターン第5番 Op.15-2」を聴いて頂けるのかと云えば、そのような指導方針ではないようです。
人前で弾く事が無いから基礎練習は依頼しても見ない、私は、このような指導放棄をされていたのが事実です。
ゆえに、再び独学で練習を進めております。
ショパン エチュードOp.10-4の第43小節の右手の赤枠で囲んだ部分についてですが、
パデレフスキ版の楽譜には指番号が4で指定されているところ、再度5→4のオーバーラッピングで練習し直しました。
確認したところ、ウィーン原典版にはオーバーラッピングの指示が有ります。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございました。
この話はフィクションではありません。実在する個人・団体名を公開する事は控えますが、日本のどこかで本当に起こった事であるとここに誓います。