散りかけの銀杏の木が活き活きと輝いて見える一日でした。

 

 

 標題の通りですが、中学生以上になると、生徒の在り方により先生の指導力の培われ方が違ってくると私は考えています。

 これは、二者間に限らず、生徒が集団でいる場合にも該当します。

 

 簡単な例えを出すと、学校の授業中、教室中が静まり返り、少しでも授業内容に疑問を抱く生徒が居ると即座に質問が飛び交う状況下では、先生側も授業に関連した事柄全般の予習を丹念にせざるを得ないでしょう。

 一方、私語や居眠りが目立つ教室の授業の場合、先生の注力すべき箇所は「どうしたら自分の話を聴いて貰えるか」「私語をしている生徒達には何か生活上問題が潜んでいるのか」と云ったものになり、学習内容への追求は二の次になりがちです。

 

 

 公立学校に於ける40代以上の指導力不足の教員を量産している原因は、その教員が若い頃に培ったスキルが現在通用しなくなっていると云う社会(生徒・保護者の通学スタンス)の変化にあるのではないかと私は考えています。

 

 

 同様の理論として、顧客サービスを提供する会社もまた、20年前に提供していたサービスと同じ方向性で経営していた場合、社会構造の変化に伴い、新規顧客獲得を見込めないと云う事も考えられます。

 

 会社が変わるのか、顧客が変わるのか。

 お互いに歩み寄るのか。

 

 何か飲み物を欲しているとして、30年前に茶葉を販売していたA社に「茶葉を急須で淹れるのは今どきの時代にそぐわないから、ティーバッグ商品を販売してほしい。できればペットボトル飲料を販売してほしい」と要望を出すのか、A社の存在は無視して今既にペットボトル商品を販売しているB社の商品を購入するか。

 A社の経営者は、「ペットボトルが流通している今だからこそ、うちの特長は敢えて茶葉を自宅で淹れて飲む人だけをターゲットにしよう」と思うのか、「他の会社も販売しているから多数派のペットボトル飲料を開発しよう」と方針を切り替えるのか。

 

 

 話が逸れましたが、私は、先生の指導力を培うには、生徒が要望を出すなり態度で示すなりしなければならないと考えるようになりました。

 そして、先生のやる気を引き出すのは生徒の役目でもあります。

 

 

 この件についてですが、某大手音楽教室にピアノを習いに行って、発表会を意識したレッスンをする気のない先生(会社)や生徒が存在するのが事実です。

 何故そのような会社の経営が成立するのか不思議で仕方がなかったのですが、上層部の方と電話でお話して判った事が有りました。

 

 ピアノを習いにきている生徒が全員ピアノを上手く弾けるようになりたいと思っているわけではない。

 ピアノを習いにきている生徒が全員ピアノを弾きたいと思っているとは限らない。

 

 この衝撃の事実です。

 「レッスン中、『私はピアノを弾きたいです』と、先生に自分から要望をお伝えした事は有りますか?」

 会社の上層部の方からこの質問を受けて私は返答に窮しました。

 思わず、「レッスンスタイルは先生に従うのが通例で、自分の要望なんて言ったら即追い出されるに決まってるじゃないですか!!あなたは私を陥れる気ですか?大体、要望を言うのなら、家庭の愚痴を言うなと云う内容を先に言っていますよ。そもそもそれが原因で前のピアノ教室を辞めてきたのにここでもまた同じような話を聴かされてウンザリしているんです!!」と反応しそうになって、我に返りました。

 

 私「体験レッスンの時に先生に直接私の要望をお伝えしたので、当然当初の意図が伝わっているのだと思いました…」

 

 私「ピアノのレッスンを受けに行くと云う事は、遊びに行くのではないのですから、当然ピアノの技術力を上げる為に通っているに決まっているでしょう。」

 

 会社「…? 楽しみたいだけの方もいらっしゃるので、そこはお客様によります

 

 私(話が噛み合っていなかった根本的理由はこの会社経営理念だったのか…)

 

 私「会社は演奏の実力を付けさせる事が債務で、私は毎月規定の月謝をお支払いする義務があります。会社の販売しているものは、ピアノの技術力ではないでしょうか。

 今年2月〇日に、10月の発表会の曲のレッスンをするとお互いに合意した時点で、8ヶ月間レッスンに通えば1曲人前で演奏する指導をする・受けるという『契約』が交わされたと解釈できますよね。

 今年9月時点に於いて1曲を通したレッスンが全く無い時点で会社はサービスを提供する気が無かったものだと考えられます。現時点に於いて楽曲が仕上がっていない(そもそも先生の前で一度も通して弾いたことが無い)と云う事実から、今年2月の『契約』が一方的に破棄されたものと見做し、何らかの責任を取って頂く事を考えています。」

 

 色々とお話した結果、この会社にはそもそもピアノを上達させる意思が無い事に気付き、愕然とするご返答が沢山有りました。

 会社側の反応を伺っていると、本当に悪意が無い様子で、私の方が驚いています。

 

 

 「『先生を指導させる』ためには、生徒側も逐一確認しなければならない事が沢山あり、指導方針に意見・要望を言わないと、『指導しなくても構わない旨、了承した』と見做される世界が有る。」

 

 この音楽教室に1年3ヶ月間在籍して初めて判った事です。

 理不尽な目に遭った気がしますが、社会勉強だと捉えるしかないのでしょうか。

 

 ここで、何故今の30代前後の世代が教育についてモンスターペアレントと化しているのか解った気がしました。

 「毎日毎日先生に意見しなければ、自分達が子どもの頃に受けたような教育が受けられないかもしれない」と云う、社会常識の変化を敏感に感じ取っている方々の言動なのかもしれません。

 

 そして、私自身、理不尽な目に遭ったと認識した内容をお問い合わせして、クレーマー扱いされそうな気配を察知し、モンスター客と単なる質問との境界線がますます判らなくなっています。

 

 

 

 【本日のピアノの練習について】

 

 ・ハノン 5~14番,21,22番,30番

 ・バッハ インベンション第1~15番

 ・バッハ シンフォニア第11番 ト短調(暗譜済)

  (※ここまでそれぞれ1~2回通しただけ)

 

 ・ショパン エチュードOp.10-4 嬰ハ短調(暗譜済)

 ・ショパン エチュードOp.10-12(革命) ハ短調(暗譜済)

 ・ショパン エチュードOp.10-5(黒鍵) 変ト長調

 ・ショパン ノクターン第5番 Op.15-2 嬰ヘ長調(暗譜済)

 ・ショパン ノクターン第20番(遺作) 嬰ハ短調(暗譜済)

 ・その他(スケール、アルペジオ、半音階、その他)

 

 本日は朝からお休みで、早朝とお昼に分けて練習を行いました。

 

 久々の記事投稿ですが、相変わらずハノンとバッハインヴェンションの練習を毎日続けています。

 密かにエチュードOp.10-5(黒鍵)の練習を再開しています。

 

 ショパンのノクターンに関しては、もうあの先生の前で弾く事は一生無いのだと思うと、今日一日で上達が実感できました。

 

 「ピアノの先生の前で笑ったことが無い」事を自覚したのは、バレエのレッスン中で、バレエを習い始めて1年目に先生から「何故いつもレッスン中そんなに暗い顔をしているのか」と言われ、笑顔でいても許されるレッスンが存在する事に人生で初めて気付きました。

 そう考えると、ピアノのレッスン中・前後に愛想笑いすらしたことが無いのは印象が悪かったのかもしれません。

 私は真剣味の意思表示をしたつもりだったのですが、相手にはそう伝わっていなかった恐れがあります。

 

 (指導歴10年以上の)先生は過去の生徒達の鏡かもしれません。

 逆も然りで、同じ先生に5~10年間以上習っている(習っていた)生徒達は先生の鏡とも言えると思います。

 

 習い事も学校も職場も友人も、自分に合っていないと気付いたら、意見を述べるのではなく早めに離れるべきだと改めて実感しています。