ハロウィンの残り香とクリスマスの雰囲気とが融合した光景に遭遇しました。

 ハロウィンはオレンジと紫を基調とし、クリスマスは赤と緑を基調としており、この4色が上手く混合されて出来た偶然の産物のように思えてなりません。

 

 

 アメブロの皆様の投稿を拝読すると、人間関係のトラブルについて言及されている方が多く、過去の私の経験について少し思い出した事が有ります。

 

 

 「相手の都合を考えて行動する事」

 これが上手くできる為のステップとして、自分の「当たり前」が、相手の「当たり前」だとは限らない事認識する事が挙げられます。

 

 私自身、幼稚園児の頃、電話をかけるタイミングについて母親から細かく教えられた事が有ります。

 当時は一家に一台固定電話があり、コードレス電話機だとは限らないと云う時代でした。

 

 午後5時過ぎ頃、私の友人Aの母親に何か確認・伝達したい事があった時、私の母親は、

 「Aちゃんのお母さんは水曜日は働いているから、いつも帰りは午後6時過ぎでしょう。だから今電話をかけてもお母さんはいないでしょう。家にいるのはAちゃんのおばあちゃんで、確認したい事はおばあちゃんでは判らない事でしょう。だからお母さんが帰ってくるまで待ちましょう

 と言ったので、私は、

 

 「それなら午後6時過ぎに電話すればいいって事?」

 と言うと、私の母は、

 

 「Aちゃんの家はいつもお母さんが帰ってからすぐに急いで夕食の支度をしているから、その時間は夕食の準備中じゃないかしら?火を点けていたり、手が水で濡れていたりしたら、電話に出るのは難しいでしょう?」

 

 と言い、私が、

 「そう言えば、Aちゃんの家はいつも大体午後7時過ぎに夕食を摂り始めて、7時半には食べ終わってるって話を聞いた」

 

 と言い、

 「それなら7時40分ぐらいには少し落ち着いた頃かな?あんまり遅くなるとお風呂に入る時間だから、どうしても今日中に確認しておかなければならない事ならば、夕食の後に電話がかかってくるのが一番タイミングとしていいかもね」

 

 と母が促し、私は、自分が相手に今すぐ確認・伝達したい事が有ったとしても、常に相手の事情を考えて行動するよう心がける思考プロセスが幼稚園児の頃には既に形成されていたと思います。

 

 また、母が電話をかける時には、相手が親戚であれ必ず「今、○○の件で、3分ぐらいで終わる話だけど、このまま話していい?」などと、相手の了承を得てから用件を話し始めていました。

 よく社会人が取引先や顧客に電話する時、「只今お時間少々(「5分ほど」など具体的に述べる場合もある)よろしいでしょうか?」などと相手の了承を得てから用件を述べるのと同様の手順です。

 

 

 家庭教育や躾として、社会に出る前にまず個人間の連絡のマナーについて考えるのが私の周りでは一般的で、連絡ツールが固定電話から携帯電話、LINEに移行しても思考の基本は同じ基本問題を習得した後に応用問題を与えられているだけだと思うのですが、基本問題の習得すらできていなかったら果たして人間は成長した後どうなっているのか

 また、基本問題が、「見た事も無い」「幼少期に親と一緒に考えた事も無い」ものである場合、大人になってから基本を学び直さなければならないのではないか。 

 

 そこで、独学や答え合わせができて結果として習得できた場合、幼少期の埋め合わせができると思うのですが、「答え合わせ」の途中で自己主張ばかりして他人と衝突して結果的に誰も「答え合わせ」に付き合ってくれなくなる事もあるのではないか。

 

 

 そう考えると、私が今まで出会った、返信期限を一方的に決めて異常な程に返信を催促する人や、欲しくもない物(且つ、消費する物ではなく、廃棄するにも家庭ゴミの燃えるゴミの日に出せない物で、1m以上の大きさがあるなど、通常の家庭に置くには難しい物)を無理にプレゼントしようとしている人や、嫌がっている人を無理矢理自分の遊びに付き合わせようとする人たちは、幼少期に相手の都合を考える事について親から教えて貰っていなかったのかもしれないと思えてきます。

 中には、決して悪気はなく、善意が裏目に出た人もいるのかもしれません(少なくとも、プレゼントしようとした方からは嫌がらせの意図を感じませんでした。「自分の欲しい物が相手の欲しい物であるとは限らない」と云う認識が欠如した人なのだと私は捉えています)。

 

 これは、連絡マナーに限らず、人間関係の基本について家庭で教わっていないという事なのかもしれません。

 

 何か自分が行動を起こす事により、相手の時間空間健康状態所有物を奪ってしまう事がないか事前予測する癖を幼少期から付けておかなければ、思春期以降の人間関係に於いてトラブルを起こす事が明白です。

 私物を盗るだけでなく、(酷い場合は動物)を引き取るよう押し付けたり時間を割く事をお願いしたり(自分のお気に入りの10分以上の動画を今すぐ観るよう強要するなど)する事により、相手はどう感じるか、常に考えて行動させなければならないと思います。

 

 旅行のお土産一つ選ぶとしても、渡す相手の家族は何人か個包装されているか歯が悪い人はいないかアレルギーはないか日持ちについて冷蔵庫の場所を占領しかねないか渡してから相手が持ち帰る時にサイズが大きすぎないか、etc.様々な観点から相手に迷惑をかける要素が無いか考えている人がほとんどだと思います。

 

 食事中も、他の人が話をしている時に遮って自分の話を被せてするのはマナー違反などと親や親戚、幼稚園や小学校の先生に教わるのが普通だと思いますが、どれも身についていない場合、成人後の人間関係に於いてどこに行ってもトラブルを起こして逮捕されたり解雇されたりする危険性が考えられます。

 笑い事では済まない問題ですので、英語や受験勉強よりも、幼いうちからマナーの家庭教育を実践した方が良いと私は思います。

 

 「コミュニケーション力」とは、相手の都合を考える力なのかもしれないと今では考えています。

 

 

 

 【本日のピアノの練習について】

 

 ・ハノン 8~15番

 ・バッハ インベンション第1~15番

 ・バッハ シンフォニア第11番 ト短調(暗譜済)

  (※ここまでそれぞれ1~2回通しただけ)

 

 ・ショパン エチュードOp.10-4 嬰ハ短調(暗譜済)

 ・ショパン エチュードOp.10-12(革命) ハ短調(暗譜済)

 ・ショパン ノクターン第5番 Op.15-2 嬰ヘ長調(暗譜済)

 ・その他(スケール、アルペジオ、半音階、その他)

 

 バッハのインヴェンションを全15曲通して弾く練習をしただけで達成感に満ち溢れています。

 今、ショパン ノクターン第5番を毎日通して最低1回は練習しているのですが、通し練習だけ行っていると部分的に詰めが甘い箇所が日に日に目立ってくるので、再び中間部の強化に入る予定です。

 

 ピアノも、相手の都合を考えて演奏する事が求められる気がしてなりません。