猛暑ではあるものの、やや暑さが和らいだ気がする本日、帰りに新たなレンタルスタジオにてピアノの練習に取り組んできました。
レンタルシェアオフィスなど、レンタルルームが普及し、ピアノの練習室として使用されるレンタルスタジオに於いても多様化が見られる気がします。
30分間を一区切りとし、60分間が貸切の上限であるスタジオや、3時間毎の区切りで最大12時間貸切可能でシャワー室が完備されている練習室、他の楽器とのアンサンブルを想定して作られた練習室、ダンスの練習がメインでピアノは伴奏として用いられる事が想定された練習室など、調べていると私の想像を超えた形態のスタジオが存在して驚いています。
考えてみると、素人のサークルが演劇やオーケストラの練習として使用する場所にも需要があるため、アンサンブルを想定して作られた練習室が存在するのは必然なのですが、改めてピアノを用いた舞台芸術の豊富さを実感しています。
また、ピアノの練習を1名で行うために作られたスタジオの中に、敢えてアップライトピアノが指定されている所があるのが非常に興味深いです。
様々なピアノを弾く感覚を養うには、グランドピアノだけでなく、アップライトピアノでも問題無く弾けるよう練習する方もいらっしゃるのでしょう。
本日、YAMAHAのG3のグランドピアノを60分間貸切できるスタジオを利用したのですが、同じYAMAHAシリーズの中でもCタイプの方がショパンのノクターンや幻想即興曲の音色の優しい感覚にフィットする気がします。
最近、私は60分間の制限時間の使い方に慣れてきたのか、時間内にすべきことを全て終わらせる事ができるようになりました。
時間管理だけは成長したと言えます。
肝心なピアノの腕前は、ピアノが変わると自分が出している音に戸惑いが拭えず、打鍵の力加減に迷う事が多いので、今後も経験を積んで慣れていこうと思います。
メーカー問わず、アップライトピアノでショパンのノクターンや幻想即興曲を弾くと、非常に味気なく感じるようになり、「上級者」の方々がアップライトピアノでも繊細な音の違いを表現できている動画を視聴する度、「(超)上級者」の方々はピアノや設置場所によって弾き方を変えているのではないかと幾度と無く考えています。
もっと言えば、ピアノの種類や設置場所が変わっても自分の出した音を客観的にその場で聴き、僅かなタッチを調整できるのが「超上級者」なのかもしれないと思うようになりました。
【本日のピアノの練習について】
・バッハ インベンション第1番 ハ長調(暗譜済)
・バッハ インベンション第2番 ハ短調(暗譜済)
・バッハ インベンション第3番 ニ長調(暗譜済)
・バッハ インベンション第9番 へ短調(暗譜済)
・バッハ インベンション第4番 ニ短調(暗譜済)
・バッハ インベンション第7番 ホ短調(暗譜済)
・バッハ インベンション第8番 ヘ長調(暗譜済)
・バッハ インベンション第12番 イ長調(暗譜済)
・バッハ インベンション第13番 イ短調(暗譜済)
・バッハ インベンション第5番 変ホ長調
・バッハ インベンション第11番 ト短調
・バッハ インベンション第15番 ロ短調
・バッハ インベンション第14番 変ロ長調
・バッハ シンフォニア第11番 ト短調(暗譜済)
(※ここまでそれぞれ1~2回通しただけ)
・ショパン エチュードOp.10-4 嬰ハ短調(暗譜済)
・ショパン エチュードOp.10-12(革命) ハ短調(暗譜済)
・ショパン ノクターン第5番 Op.15-2 嬰ヘ長調
・ショパン 幻想即興曲 嬰ハ短調(暗譜済)
・その他(スケール、アルペジオ、半音階、その他)
ショパン ノクターン第5番 Op.15-2の中間部克服について、右手にばかり着目し、左手を疎かにしたが故、ピアノの種類や環境が変わると暗譜が飛ぶと云う現状から、左手のみの練習も中間部のみ最低3回は通して行うようにしています。
音を覚えていても身体に動作として身についていない場合、一音の抜けが起こる気がするのです。
PCのタッチタイピングにしても、画面に反映させようとしている文字を入力したつもりであっても、アルファベットの"A"を左手で打つ感覚が身についていなければ、"A"が抜けてしまうのとほぼ同様の理屈だと考えると解りやすいと思います。
その意味では、まだ私は音云々以前の問題として、身体の動作としてショパン ノクターン第5番 Op.15-2が染み付いていない気がしてなりません。
時間にあまり余裕が無い時であっても、毎日最低1回は通している日を4ヶ月間続けても、ピアノの種類が変わり、周辺にギャラリーが居ると動作にも音の意識にも迷いが生じる、これは年齢的な問題もあり、継続しても難しいものなのか、まだ鍛錬が不足しているだけなのか判りませんが、あと1ヶ月半は諦めずに継続して練習を続けようと思っています。
再開後に初めて譜面を見た曲を、1曲仕上げて人前で演奏すると云う事を成し遂げた時にまた新たな見解が生まれてくると思いますし、出場に挑戦しなければ、勇気が無く諦めてしまったと云う後悔の念に囚われ、今後「諦めた」と云う経験がコンプレックスとして私の中に蓄積される気がしてならないのです。
ところで、約1週間ほど前にようやく気付いていたのですが、第56小節と第57小節との内声が全く同じ音で構成されています。
上記赤枠で囲んだ箇所なのですが、このような細かい箇所を意識してショパンの意図を表現できるのが理想です。
練習すればするほど、私自身の至らない面が見えてきて、学ぶ事に上限はないと云う事を現在実感しています。
30代でピアノを再開して到達できる限界への挑戦に取り組んでいるような気がして、今、誰と競うというわけでもなく自分自身との戦いに闘志を燃やしています。