相変わらず酷暑が続いていますが、茎が立派な向日葵の花を見ると前向きな気分になります。
向日葵の花は率直に何かを伝えようとする生命体のようで、見ていて爽快感が溢れてきます。
人とのコミュニケーションに於いても、何かを伝達する際、率直な言い回しやジェスチャーと、婉曲的なそれとが有り、以前から私は前者に好感を抱いていました。
芸術作品や「魅せるため」のパフォーマンスを除き、他人に余計な事をあれこれ邪推させない気配りが感じられたと云うのが一つの理由です。
しかし、最近になって思うのですが、婉曲的な方法で以て他者に何かを伝える行為に対して、私は潜在的に発信者の「逃げ」「甘え」の姿勢を感じていた事が判りました。
「いつも綺麗に使っていただきありがとうございます(水道の前に貼ってあるシール)」
「それで合ってると思う?(間違いに気付くよう注意喚起)」
上記のような言い回しの、特に相手に訂正を求めるよう促す意図で嫌味っぽい口調で発せられる叱責については、以前から発する者に叱責法の引き出しが少ない事を感じていました。
「そこ間違ってるよ」
そう一言だけ言えば、言われた方も素直に誤りを正す事ができると思うのですが、誤りを率直に指摘すると相手に嫌われるのではないかと云う恐れを抱いているのでしょうか。
特に、教育に於いてこのような注意喚起は逆効果であり、私の場合、このような嫌味っぽい口調の叱責をされると、
「合っていると思うから言動に移したのですが、まさか私のことを"間違っていると確信した上で故意に誤った言動をするような、組織を乱す、何かを企んでいる人間"だと疑っているのでしょうか」
と、次第に信頼関係の崩壊にまで発展するわけです。
同じ内容を伝達するにしても、その方法により人との関係性に変化をもたらすものなのだと痛感しています。
「察してほしい」、「察してくれない方が悪い」、これは伝達方法が下手な者の責任転嫁に過ぎないと私は考えています。
【本日のピアノの練習について】
・バッハ インベンション第1番 ハ長調(暗譜済)
・バッハ インベンション第2番 ハ短調(暗譜済)
・バッハ インベンション第3番 ニ長調(暗譜済)
・バッハ インベンション第9番 へ短調(暗譜済)
・バッハ インベンション第4番 ニ短調(暗譜済)
・バッハ インベンション第7番 ホ短調(暗譜済)
・バッハ インベンション第8番 ヘ長調(暗譜済)
・バッハ インベンション第12番 イ長調(暗譜済)
・バッハ インベンション第13番 イ短調(暗譜済)
・バッハ インベンション第5番 変ホ長調
・バッハ インベンション第11番 ト短調
・バッハ インベンション第15番 ロ短調
・バッハ インベンション第14番 変ロ長調
・バッハ シンフォニア第11番 ト短調(暗譜済)
(※ここまでそれぞれ1~2回通しただけ)
・ショパン エチュードOp.10-4 嬰ハ短調(暗譜済)
・ショパン エチュードOp.10-12(革命) ハ短調(暗譜済)
・ショパン ノクターン第5番 Op.15-2 嬰ヘ長調
・ショパン 幻想即興曲 嬰ハ短調(暗譜済)
・その他(スケール、アルペジオ、半音階、その他)
先週頃から、たとえ他人の眼や耳を欺く事ができたとしても、自分自身を欺く事はできないものだと痛感することが多いです。
率直に言うと、テクニック不足の箇所を誤魔化すと、自分自身が一番テクニック不足を痛感すると云う事です。
そして、ショパン ノクターン第5番 Op.15-2 嬰ヘ長調について、
・主部のテンポが速すぎる
・装飾音の部分に関し、左手の拍の取り方がおかしい
・中間部云々の前に、全体的に問題点が有るのではないか
上述のような事を考えるようになりました。
ノクターンの譜面は難しいので取り組み甲斐があるのかもしれません。