すみれ色がグラデーションに連なった葉牡丹です。

 この絶妙な色合いに心惹かれます。

 イルミネーションの金属的な雰囲気では決して醸し出す事のできない、自然の織り成す風景の中で偶然作り出されたすみれ色

 

 

 やや間延びしていますが、このくらい成長した葉牡丹も春先に見かけるのは和やかな気分になって良いと思います。

 

 

 葉牡丹は、鉢植えとして栽培されていることが多いとの事でしたが、行政が中心となって管理している花壇に植えた場合でも、見栄えが良く、春先に相応しい風景を構成する一因となっているように思います。

 

 

 さて、先日のピアノのレッスンにて、私自身の中学時代よりも今の方がピアノが下手になった気がすると云う話を以前から先生に持ちかけていたので、少し先生からご指摘頂いた事が有ります。

 

 「昔よりも耳が肥えて、理想が高くなったのでは?」

 

 この言葉には少し思い当たる節が有りました。

 

 私自身、昨年の今頃から、実は中学時代よりも技巧的な部分は上がっているのではないか、以前よりも譜読みがだいぶ早くなったのではないか密かに感じる事が多々有ったからです。

 ただ、明確な根拠を示すことが出来ず、この密かな疑惑確信に変える事ができずにもどかしい気分で過ごしていました。

 

 そもそも、下手・上手と云う自己判断の基準は、主観によるもので、率直に表現してしまえば自分が満足できているか否か、この基準に委ねられていると私は思います。

 それでは、自分自身の満足度は一体何に左右されるのか、突き詰めていったところ、自分の理想にどの程度近付けているのかという事ではないかと考えました。

 

 即ち、その時の数値化・可視化できない自分の理想という漠然とした価値観に対して、不足している要素質・量が大きいと感じた時、自分は下手だと自己判断を下す訳です。

 その時その時の自分の理想同士を比較するのは極めて困難であるため、自分の理想が過去と比較して上がっている事自体、自覚していなかったのではないかと感じる事も有ります。

 

 人間の欲望・理想は際限ないので、どの辺で自分を納得させられるかピアノの練習はこの点についても深く考える必要が有ります。

 

 

 

 【本日のピアノの練習について】

 

 ・バッハ インベンション第1番 ハ長調(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第2番 ハ短調(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第3番 ニ長調(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第13番 イ短調(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第9番 へ短調

 ・バッハ インベンション第4番 ニ短調 (暗譜済)

 ・バッハ インベンション第7番 ホ短調(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第8番 ヘ長調(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第12番 イ長調(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第5番 変ホ長調

 ・バッハ インベンション第15番 ロ短調

  ・バッハ シンフォニア第11番 ト短調(暗譜済)

 ・ショパン エチュードOp.10-4 嬰ハ短調(暗譜済)

 ・ショパン エチュードOp.10-12(革命) ハ短調(暗譜済)

  (※ここまでそれぞれ1~2回通しただけ)

 

 ・ショパン エチュードOp.10-3(別れの曲) ホ長調

 ・ショパン ノクターン第5番 Op.15-2 嬰ヘ長調

 ・その他(スケール、アルペジオ、半音階、その他) 

 

 ショパン エチュードOp.10-3(別れの曲) ホ長調について、突き詰めると際限なく、終わりが見えてこないので、一旦保留としました。

 

 耳が肥えてきたからこそ、自分の至らない点に気付く事ができ、自分の粗に向き合わざるを得ず、日々課題の必要性を感じるのかもしれません。

 

 

 (譜読みだけでなくブログ記事を書くのも早くなったのでは…?本日はページを開いてから15分経過した時点で投稿に至りました)