商品名でも、店舗名でも、web上の話の登場人物でも、名付けには製作者の何らかの意図が有ると思います。

 咄嗟に例として挙げた人名についても同様です。

 

 

 

 アメブロの中で、ピスタチオ味チョコレートをはじめとしたお菓子を掲載している方が多いので、先日、私も丁度見つけたアルフォート プレミアム ピスタチオを購入してきました。

 

 

 期間限定だそうです。

 

 現在、ピスタチオ味チョコレートは人気が高いのか、ダースプレミアム ピスタチオカレ・ド・ショコラ ピスタチオ売切れでした。

 

 肝心な、アルフォート プレミアム ピスタチオをいただいた感想は、チョコレート部分がピスタチオを溶かして甘味料を加えたような自然なピスタチオの感覚で、チョコレートというよりも、ペーストしたピスタチオをそのまま口にしているかのようでした。

 香ばしい感覚で、人気商品となるのも頷けます。

 

 以前は、緑色のパッケージのチョコレートと言えば、抹茶味の確率が高かったのですが、今ではピスタチオ味に取って代わられようとしている程、ピスタチオ味流行しているようです。

 

 ところで、このアルフォートの名付けの由来ですが、ALFORTという単語自体に意味が有るのではなく、お菓子のチョコレート上にデザインされた帆船「冒険」「夢」「ロマン」の意味を込め、ALFORTという言葉をイメージしたらしいです(製作会社ブルボンの公式発表によると)。

 Adventure頭文字Aと、ALFORT頭文字Aとが一致するので、何らかの単語の組み合わせから構成されているのかと思いきや、完全なる造語だとの事で、全く違和感を抱かなかったので驚きです。

 

 イニシャルAは、物事の始まり積極性開拓精神を想起させるので、お手軽に頂けるチョコレートにはうってつけの命名だと思います。

 

 

 咄嗟に例として挙げた人名の場合にも、「Aさん」「Bさん」と記載すると、登場順の場合や、挙げる出来事に関する主要となる人物順の場合など、投稿者にとっての優先順位や、人に関する捉え方如実に表れる気がしてなりません。

 それ故、私は、タイプ数が多くなっても、人名のイニシャル表記は極力避けるよう心がけています

 

 時折見かける、仮名を用いる記載も同様です。

 

 仮名の場合、実在の人物のイメージを一言で要約している要素が有るのに加え、投稿者自身が、文中で自分自身の事を幾ら「私」と表現していようと、投稿者自身HNを設定している場合、投稿者自身の、仮名を付けた人物との状況の捉え方が浮き彫りになります。

 

 例えば、投稿者仮名を付けた人物とが、ほぼ同世代対等な関係性の場合、ほぼ同じ時代に多い名前を付けていれば辻褄が合うのですが、投稿者自分自身にファンタジーの世界に登場しそうなHNを付け仮名現実にその世代に多い名前であった場合、投稿者自分自身の身を現実から遠ざけて安全な場所に置きながら仮名を付けた人物を一方的に吊るし上げたい心理が透けて見える事が非常に多いです。

 

 巧妙な計算が不得手な私としては、初めから、イニシャル表記仮名を避ける事により、無用な誤解を防ぐよう心がけるようにしています。

 他者への名付け呼称は、記載内容よりも雄弁に相手への捉え方を語ります

 

 

 

 【本日のピアノの練習について】

 

 ・バッハ インベンション第1番(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第2番(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第3番(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第13番(暗譜済)

 ・バッハ インベンション第9番

 ・バッハ インベンション第4番 (暗譜済)

 ・バッハ インベンション第7番 (暗譜済)

 ・バッハ インベンション第8番 (暗譜済)

 ・バッハ インベンション第12番 (暗譜済)

 ・バッハ インベンション第5番

 ・バッハ インベンション第15番

  ・バッハ シンフォニア第11番(暗譜済)

 ・バッハ シンフォニア第8番

 ・バッハ シンフォニア第9番(運指考案中)

 ・ショパン エチュードOp.10-4(暗譜済)

 ・ショパン エチュードOp.10-12(革命)(暗譜済)

 ・ショパン エチュードOp.10-8

 ・その他(スケール、アルペジオ、半音階、その他) 

 

 本日は、ショパンのノクターンの気分ではないので休止。

 バッハ シンフォニア第9番運指を考案しながら、第8番よりも工夫できるのではないかと思い始めています。

 

 「3声のインヴェンション」と記載せずに、「シンフォニア」と記載しているのは、私がインヴェンションの延長だと捉えていないから、そして、子ども時代に習っていた時の記憶が微かに残っていると云う事を意図しているからです。

 

 

 ところで、バッハを教えられないピアノの先生方が私の子ども時代と比較して増えているというアメブロの投稿を見て、バッハを積極的に教える先生方にばかり出逢ってきた私は驚愕しています。

 再開後暫くして習いに行った先生もバッハを推奨していらっしゃいましたし、子ども時代は、どの先生に習っている同年代の人達も、ツェルニーとバッハ、古典派ソナタがセットであった気がします。

 

 より良い指導方針が有るのか、大人の場合はバッハを希望しても却下されるのか判りませんが、シンフォニアなどの3声以上のポリフォニーは、教える側の根気が必要とされると思います。

 大人になって、バッハの大切さに気付いた素人なら、同じ曲を数ヶ月間練習する事も厭わないと思うのですが、バッハは指導教本から削除される傾向にあるのか、アメブロの投稿を見ても恐ろしくなります。

 

 チョコレートのフレーバーのように「期間限定」流行り廃りクラシック音楽界にも持ち込まれるとは到底思えません。