Q1.「人が怖い」と主訴を申し立てる者は、何故警察ではなく精神科に駆け付けるのか。

 「何者かが自分を陥れようとしている」、「嫌がらせをされている」、などという初回の申告は、医師に対してではなく、警察もしくは労働局に対して行った方が解決に結び付きやすいと考えるのが通常である。

 被害妄想であれば、「何者かが自分を陥れようとしている気がする」という表現になるはずなのだが、「何者かが自分を陥れようとしている」と断定しているにもかかわらず、警察に通報せず、捜査権限の無い医師に真っ先に相談しに行くのは何が目的なのか

 

 Q2.「あなたのために」という名目で何かを特定の相手に与えようとして、相手から受け取りを拒否された者は、何故すぐに引き下がらないのか。

 依頼された訳でもないのに、自発的に「他人のため」に手作りのお菓子を配ったり、「他人のため」に選んだDVDなどを観るよう強制する者は、「自分のため」に他人に与えているのではないか。

 真の「他人のため」の授与であれば、相手に精神的・時間的負担を強いる事は無いはずである。

 

 

 経済格差、貧困問題、産まれた家で全て決まる、などと主張している者が存在するが、実際に周囲を見てもアメブロの投稿を見ても、貧困に陥っている者は精神的な貧困気質が特徴として挙げられると感じる事が非常に多い。

 30代後半から40代の司法試験三振者が「もしあの時合格していたら、今頃は『家のローンの支払いがきつい』なんて愚痴でも同僚と言いながら~」などと記載しているのを見ると、現実逃避しているシミュレーションの世界ですら金欠の愚痴を他人に聴かせているのかと呆れ返る。

 実際、私自身が20歳前後の時に出逢った人達が発していた事とほぼ同様の内容を、今アメブロ内で多く見かけるのを確認すると、幾ら国が経済支援を施しても、気質が変わらない限り、人々の不満は募るばかりだと私は考えている。

 そして、10代後半の頃の発言内容は、30代、40代の生活と関連している。

 「どうせ就職はない」と言っていた者は、本当に非正規雇用のままであるし、「私は公認会計士になって専業主婦並みに家事ができる兼業主婦になる」と高校生の頃周囲に公言していた者は、本当に20代前半で公認会計士の国家試験に合格し、結婚し、出産した今でも会計士の業務に就いている。

 

 前者の思考は、他人に経済的にネガティブな愚痴を聴かせ、話題を共有する事を望んでいるがゆえ、それが現実になったのだと30代の今、私は結論付けている。