9月23日、秋分の日です。
昨日に引き続き、ヒガンバナが律義に色鮮やかに咲き誇っています。
昔から、秋分の日には「おはぎ」をいただく習慣が有り、自宅周辺でも「おはぎ」が販売されているのをよく見かけました。
「おはぎ」はもち米とうるち米(普通の米)を混ぜて炊いて作るもので、餅をついて作る物ではないそうです。
一般的に、春分の日にいただく「牡丹餅」にはこし餡が用いられており、秋分の日にいただく「おはぎ」にはつぶ餡が用いられるとのことです。
今では、きな粉がまぶしてある物や、胡麻、青のりがまぶしてある物が多く出回っています。
時代と共に、地域差もあまり無くなり、種類も豊富になっていくのだと思います。
最近、「Pianoサプリ 続 ピアノを弾くからだ DVD付 (黒河好子 著)」を購入して読み始めました。
基礎的な内容ですが、基本に立ち返って振り返るには最適なトレーニング本です。
本著を読んで、手足のポジションについてクラシックバレエに似通った部分が有ると感じました。
ピアノもバレエも西洋が発祥地であるが故、何らかの共通点が有るのかもしれません。
全くの素人見解ですが、クラシック音楽の原点が教会音楽で、祈りを捧げる意味合いが強く、第三者に披露し、出来栄えを競うことや評価されることは目的としていなかったのではないでしょうか。
バレエについては、イタリアで発祥し、当初は貴族たちが踊りに参加することを目的とされていたと知られています。
17世紀に入り、フランスにてルイ14世がオペラ座バレエ学校にて舞台芸術として確立し、他人に見せるためのものと云う概念が産まれました。
この時、完全に、舞台に立って踊る側と鑑賞する側に二分されていたようです。
西洋に浸透しているキリスト教の基本的な思想として、「他人のため」と云うものが有りますが、クラシック音楽の原点となった教会音楽の場合、「神のため」であり、「他の人間に聴かせるため」ではなかったのではないかと考えられます。
この点については、完全な素人見解で、何ら考察をした訳ではありませんが、クラシック音楽もバレエも、「その場の皆が参加して想いを共有するため」と云うのが起源で、社交の為の手段と云う意味合いが強かったのではないかと私は考えています。
勿論、息を合わせて行う為には他人を思いやる事が必要不可欠な要素ですが、出来栄えについて競い合って他者から評価を得るために存在した訳ではないのではないか、というのが現時点での私の見解です。
日本の農業に於いて、祈年祭や新嘗祭が行われていたことや、貴族たちの遊びとして知られる「蹴鞠」が行われていた感覚に近いのではないかとふと脳裏を過りました。
まだまだこの点については完全なる私の推測の域を出ない為、今後学んでいこうと思います。
【本日のピアノの練習について】
・ハノン 1~20番の中から5曲
・バッハ インベンション第1番
・バッハ インベンション第2番
・バッハ インベンション第13番
・バッハ インベンション第9番
・バッハ インベンション第4番 (暗譜済)
・バッハ インベンション第7番 (暗譜済)
・バッハ インベンション第8番 (暗譜済)
・バッハ シンフォニア第11番
・ショパン ノクターン第20番(遺作)(暗譜済)
・ショパン エチュードOp.10-12(革命)(暗譜済)
・ショパン エチュードOp.10-4(暗譜済)
・バッハ 平均律 第1巻 第6番(ニ短調)(プレリュード部分のみ)
・バッハ 平均律 第1巻 第1番(ハ長調)(プレリュード部分のみ)
・ショパン バラード第1番(一部のみ)
・その他(スケール、アルペジオ、その他)
最近、バッハのインベンション第2番の出だしのテーマの雰囲気が出ないので、何度か「弾き直し」をしています。
インベンション1曲1曲をとってみても、納得のいく仕上がりになることはそう容易とは言えず、本日は第7番が会心の出来であったものの、第9番の途中の左手の指使いを間違え、そこから左手の立て直しができなくなってしまいました。
まさに「慢心は禁物」です。
バッハの楽曲については、どこかで致命的な間違いを犯すと、立て直しが難しく、インベンションやシンフォニア1曲であっても全く気が抜けません。
ショパンの革命については、再びオクターブ奏法を学習し直し、ペダルを小刻みに意識しています。
例によって季節の変わり目により発熱中なので、健康第一で今後も頑張っていこうと思います。