花びらが柔らかそうな初々しい雰囲気の薔薇の花です。

 

 

 1990年イギリスで作出され、ライラック・ローズと名付けられた品種です。

 この桃色が純粋そうな雰囲気に拍車をかけている気がします。

 

 

 最近、よく考えていることは、大人になって何かを他人に習うことの難しさについてです。

 

 一般的に、義務教育修了後、または18歳以降になって、物事を直接教える習慣が日本には無かったと思います。

 進学するにせよ、就職するにせよ、結婚するにせよ、その「集団」の雰囲気を察知し、何が要求されているのかを推測し、自分で判断して自分で実行に移し、何も咎められる事が無ければ「及第点」、何か叱責される事が有ればその場で正す、このような風潮が蔓延っていたと思います。

 義務教育修了後は、基本的に、他人から下される評価は全て減点法式で、それが当然なのだと思っていました。

 

 他者から何か情報を伝達される場合であっても、それが正しいとは限らないので、無意識のうちに、まずは情報の真偽を見極めるところから始めていたように思います。

 何か指示された場合でも、悪意が含まれていることを想定し、その場では「承諾」とも「拒否」とも捉えられる意を上辺だけ示し最終的には自分の判断で実行に移す、これは大人が自然にしていることなのだと思っていました。

 

 

 少し考えてみたのですが、社会に出て、最初に仕事を始める時、誰かに仕事の仕方を教わることがなく一人で全て任せられる人が一定数いるのではないでしょうか。

 教職がその最たる例で、最年少で新卒の22歳の時から学級担任を持ち、中学校や高校であればその科目の教科担当を学校でたった一人で受け持つ事も全く珍しくありません。

 養護教諭(保健室の先生)も、基本的に学校に一人ですから、「職場」で「仕事の仕方」を訊く相手がいない状況の社会人は沢山いると思います。

 

 他にも、栄養士薬剤師の場合であっても、「学生時代のたった数週間の実務実習が最初で最後の仕事の仕方を教わる時」で、「職場の専門職は自分一人である人は凄く多いです(※「最初から一人」になる可能性が高いのが、医師や看護師との決定的な違いです)

 考えてみれば、高校時代から、私の友人は、結果的にこのような立ち位置になっている人達ばかりで、「職場の同僚」の愚痴も噂も賞賛も全く聴いた事が有りません

 そもそも「職場に同僚も先輩もいない」のです。

 仕事内容について相談できる相手は職場の中に一人もいません

 

 技術職で大手企業に就職した場合であっても、その支店にその専門職が「一人だけ」配属されるケースは枚挙に暇がありません。

 

 院に進学せず、学部卒で就職する場合、最年少で22歳、修士修了の場合は24~25歳の時からずっと「自分一人」全ての仕事をこなし、査定にくるのは自治体の監査役の人だけということも全く珍しくありません。

 それこそ、職場のお花の活け方から備品の発注など、通常経理が行うべき仕事まで、全て一人でこなさざるを得ず、引継ぎは就職したその年度の最初の3日~1週間だけで、新卒が全てを一人でやり遂げる、このような「即戦力」が求められる職場では、研修期間もなければ何かを指示する人もいません。

 

 裏を返せば、これらの資格職は全て学校を卒業しなければ資格を取得できない仕組みになっており、その「学校を卒業できる要件」が、「仕事をこなせること」であるとも言えます。

 自学自習ができない学生は、どこかで自然淘汰されていくのです。

 

 その「自学自習」とは、学科試験で及第点を取る事「だけ」ではありません

 

 このような環境で育っていると、他人に何かを教わるということが非常に難しくなってきます。

 

 今、「定期試験対策塾」「卒業試験対策予備校」「国家試験対策予備校」「公務員試験(教員)対策予備校」が繁盛していますが、「仕事の仕方を教える塾」基本的に有りません。

 社会に出たら、職場によっては「誰も何も教えてくれない」、「そもそも自分が『最初から』他の職員を指導する立場に置かれる可能性が高い」、このような特性を持つ資格試験を受験する者が、試験対策予備校に通うこと自体、その仕事に適性が無いのではないかとすら思えてきます。

 

 考えてみれば、私の周りは、友人だけでなく、親戚の多くがこのように「最初に社会に出た時から『一人で全ての仕事をこなしてきた人』ばかりでした。

 開業したばかりの病院に、院卒で薬剤師として就職し、「前任の引継ぎすらなく」就職初年度から「一人で全ての業務をこなさざるを得なかった」友人もいます。

 

 他人と自分とを比較して嫉妬したり優越感に浸ったり、周りの人の愚痴を言ったり、世間の風潮に安易に流されたりしない人ばかりが友人であるのは、この環境要因が大きいのではないかと思います。

 もしくは、このような人が「一人で仕事をこなす」職場に適任であるとも言えます。

 

 

 振り返ってみれば、私自身、中学校卒業時に担任教師から、

 

 「あなたは困ったことを一度も私に相談しにくることがなく、いつも自分で全てを解決しようとしてきましたね。」

 

 との旨が記載された紙を受け取った記憶が有ります。

 当時は、生活上の問題点などは全て自分で解決すべきことで、担任教師に何か相談事を持ちかけるなど全く発想が無かった上、個々の悩み事を教師が解決できるわけがないのだから、何故このようなことを記載されるのか不思議に思っていました。

 周囲と比較して、目上の人に懐く事がほとんどない自覚は当時から有りましたが、それは、

 

 「担任教師に話して解決するような種類の問題では無い」

 「何かを他人に話すことにより、脅しの種となり嫌がらせ行為の被害を産むなど多大なるデメリットが生じる」

 「そもそも担任教師とは、友達関係ではない」

 「話すことにより生じるメリットよりも、この相手の場合、デメリットの方が大きい」

 

 このような思考に基づいていました。

 当時から、自分で判断する事自分の身を守る為にはこれが必要不可欠だと認識していました。

 

 

 

 【本日のピアノの練習について】

 

 ・ハノン 1~20番の中から10曲

 ・バッハ インベンション第1番

 ・バッハ インベンション第2番 

 ・バッハ インベンション第13番

 ・バッハ インベンション第9番

 ・バッハ インベンション第4番 (暗譜済)

 ・バッハ インベンション第7番 (暗譜済)

 ・バッハ インベンション第8番 (暗譜済)

 ・バッハ シンフォニア第11番

 ・ショパン ノクターン第20番(遺作)(暗譜済)

 ・ショパン ワルツOp-64-2(嬰ハ短調)

 ・ショパン エチュードOp.10-12(革命)(暗譜済)

 ・ショパン エチュードOp.10-4(暗譜済)

 ・その他(スケール、アルペジオ、その他) 

 

 今、レッスンでショパン エチュードOp.10-12(革命)を丁寧にやり直しています。

 レッスンに3版持ち込み、1種類の楽譜には全て指番号を記載しています。

 

 先生曰く、Op.10-4を聴く限り、大人のピアノ学習者にとって一般的に難しい「テンポを上げる事」が、予習の段階で自然にできているのは、「昔、沢山の曲を宿題に出されていたから」ではないかとのことです。

 

 そして、先月から、この先生から、「足りない部分を教えれば他の曲も全部独学でできるのでは」と言われています。

 勿論、何らかの試験コンクールに通用するという意味ではなく、自分なりに楽しめるという意味合いで発せられた言葉である事は自覚しています。

 また、私自身、義務教育時代から、今までピアノに限らず様々な「先生」たちから、常に「放っておいて一人でやらせた方が良い人」だと言われてきたので、その人間性がどこかに滲み出てそう判断されたのかもしれません。

 

 

 私生活に関する雑談が一切無く、割り切ったクールな関係であること、この関係性が非常に心地良く、良き先生と出逢えたことに感謝しています。