徐々に涼しくなり、秋の気配が高まってきました。

 

 

 涼しげな白いハイビスカスの花の写真を添付します。

 先月、植物園の温室に咲いていたのですが、暑苦しくない印象で、且つ切なげでもない、爽やかな雰囲気に惹かれました。

 

 

 標題の件ですが、日本では、義務教育時代から「皆勤賞」として、一日も休まず決められた時刻にそこに居る事が優れた事とされていました。

 最近では、この風潮は次第に廃れつつありますが、効率良く物事をこなすことよりも、そこに居る事時間拘束される事に重きを置かれていたと私は感じます。

 

 社会人になっても、仕事量・質ではなく労働時間で以て労働量を図る風潮が強く、自らの仕事を時間内に全て終えて定時で上がる社員よりも、定時を過ぎても仕事を終えることができず職場で残業をしている人賞賛される傾向が少し前まで有ったように思います。

 

 上述のような、質を問わない「時間貢献賞賛思考」について、私は以前から非常に疑問を抱いていました。


 私の印象的な経験として、中学時代、何かを達成するにあたり、

 「どれくらい頑張りますか?」

 と云う教師の問いに対し、

 「自分が納得するまでです」

 と私が回答した時、ふざけた答えだと判断されたことが有ります。

 

 他の生徒達は物事に取り組んだ具体的な時間を回答したらしいですが、私の物事への捉え方として、費やした時間ではなく、質、自分の満足度などを重視していたため、このような回答になりました。

 

 上述の件は、何かを達成するにあたり、時間を短縮する努力よりも、規定時間をやり過ごすこと重きを置き、価値が有ると見做すため起こるやり取りだと今では考えます。

 

 

 皆勤賞の件に関しては、健康状態を保つことを努力した結果「も」反映されていると思うので、否定しませんが、どう頑張っても健康面の問題や家庭の事情、その他諸々の事情が原因で皆勤できない人が、休んだ分を埋める為に尽くした行為について「も」認めることをしなければ、そこに居さえすれば質を問わない制度として捉えられても致し方ないと思います。

 

 皆勤賞が賞賛され、点数化される風潮に過敏になり、受験の推薦のため親に叱られたくないために、体調不良でも絶対に早退しない(もし早退しようものなら保護者が虐待を行うほどに荒れ狂い、保護者が担任教師に物を投げつけにくるような、担任教師も恐怖心を抱いていた、とんでもないモンスターペアレント達です。それゆえ、教師が早退を促しても梃子でも動かぬ者が多発していました)同級生も多く、この件については非常に疑問を抱いていました。

 

 体調不良を心配されて保健室に連れて行かれそうになった同級生のうち、

 「もし保健室に行ったことが親に発覚したら親が家で荒れ狂うので、それはできません。」

 「書類に『欠課 1』と記載されないのなら休みます」

 などと教師に懇願する者も散見されました。

 

 

 私自身、あまり身体が丈夫な方では無かったので、義務教育時代はどう努力しても一年間も皆勤できなかったと云う事情も有り、この件に関しては周囲の大人から欠席する度に毎回叱責されていた経験から、皆勤できなかった時点で人格否定されていたように思えました。

 何故肉体的に苦しんでいる時に精神的にも追い詰められなければならないのか、非常に疑問でした。

 

 体調不良時に正式に医療機関を受診して医師の指示通り自宅療養して何が悪いのか今でも理解できません

 

 

 「皆勤」が評価されて加点されると、周りの大人たちがそれに振り回されて子ども達の健康状態を悪化させている気がしてなりません。

 問題の本質は、「実際の健康状態はどうなっても構わないから、紙の上での肩書を『皆勤』にしてほしい」、このような思考が蔓延っていたことです。

 自分の子どもが上辺だけ取り繕って規定時間座っていて「出席1日」をとってきてくれれば、何も学んでこなくても構わない、しかしどんなに体調が悪くても何とかその場を凌いで「出席1日」の肩書は絶対に取ってくることが義務「皆勤」が評価されて推薦入試などに加点されると、このような保護者が増える訳です。

 

 子どもの健康状態の現実と向き合わず、「皆勤」と云う肩書だけを追求した結果、実際の子どもの健康状態が改善される訳も無く、子どもが体調不良で授業中机に伏せていても大人も見て見ぬ振り、注意などしようものなら保護者から『皆勤』と書かれないと推薦とれないんですよ!」などとクレームがくる社会が既に病理的だと思います。

 

 「出席日数」「数字だけを追い求めた結果、前日夜、救急車で運ばれて入院している子にも、親が早朝病院を訪れて、「今から学校に行けば『出席』になる」と、医師の指示に逆らい、出席点、出席点、と騒ぎ立てている光景は、子どもの健康状態よりも世間体を優先しているからではないでしょうか。

 

 「登校して何をするか」はどうでもよく、「出席日数を確保すること」最優先事項になっているご家庭が多いように思います。

 

 上述の件は、保護者の考え方に問題があると私は考えています。

 

 

 

 人の命や健康状態より肩書を重視するのは太平洋戦争中の思想ではないでしょうか。

 

 

 

 話がだいぶ逸れましたが、長時間物事に費やす事が、時間を短縮する努力よりも価値が有ると見做されると、生産性に関しての意識が低くなることが危惧されると思います。

 勿論、そこに居なければ成立しない、振替のきかない性質の物事も有ると思いますし、「そこに居る事が価値が有る」事も有ると思います。

 

 

 大学時代、全く同じ実験の課題が出された際、一定時間より早く終えたら加点される制度が有りましたが、或る分野に関しては本来このような考えが適用されるべきではないかと思います。

 「同じ条件で同じ作業を課せられて、2時間も3時間も差がつく場合、遅く終える人は社会に出ても低い評価しか下されない」

 このような学校側の考えから適用された制度です。

 

 また、実験器具破損・紛失1回で減点○点(大抵、半期に2回以上破損すると定期試験で満点取っても単位は絶望的である設定)と規定されていたので、備品を大切に正しい方法で早く取り扱うことも要求されていた訳です。

 

 「規定時間をやり過ごすこと」ではなく、「時間を短縮する努力をした結果」が問われるのがこの制度で、非常に理にかなっていると私は当時から考えていました。

 劇薬なども頻繁に取り扱うことから、体調不良時は自己申告で欠席し、後日振替も可能だったので、時代の流れもあったのかもしれませんが、評価基準が高校までと真逆で、非常に快適に過ごせたのを思い出します。

 

 

 

 【本日のピアノの練習について】

 

 ・ツェルニー30番練習曲集 12番(同音連打)、13番

 ・バッハ インベンション第1番

 ・バッハ インベンション第2番 

 ・バッハ インベンション第13番

 ・バッハ インベンション第9番

 ・バッハ インベンション第4番 (暗譜済)

 ・バッハ インベンション第7番 (暗譜済)

 ・バッハ インベンション第8番 (暗譜済)

 ・バッハ シンフォニア第11番

 ・ショパン プレリュードOp.28 No.15(雨だれ)

 ・ショパン ノクターン第20番(遺作)(暗譜済)

 ・バッハ 平均律 第1巻 第1番(ハ長調)(プレリュード部分のみ)

 ・バッハ 平均律 第1巻 第6番(ニ短調)(プレリュード部分のみ)

 ・その他(スケール、アルペジオ、その他)

 

 本日、ショパンバラード第1番革命も未着手のまま終えたのですが、上述の皆勤(の肩書)至上主義の件を思い出して、体調に無理が有る日に着手しても仕方ないと思い、バッハ平均律第1巻第1番を譜読みしてみました。

 

 昔、実験を終えるスピードに関しては相当な結果を毎回叩き出していたのですが、ピアノの練習の効率に関してはあまりよろしくないように思います。

 人間向き不向きがあるのだとつくづく感じます。

 

 最近思うのですが、趣味効率を求めることは矛盾に満ちているのではないか、と。

 

 ピアノの練習昨年2020年8月28日以降毎朝皆勤なのが、10代の頃あんなに学校を体調不良で欠席していたことを思い出すと信じられません。

 

 

 それにしても、周りの人の親たちが自分の子どもの体調不良を全然受け容れられずに、

 「皆勤の子が○人もいる中で、あんたは何でこんな時に熱出すの!」

 と怒り狂っていた状況は異常です。 

 

 

 もっと現実と向き合いましょう。

 虚弱体質の子は他の子と同じようには育ちません。

 どんな体質の子どもを産んでも育てる覚悟を持って、出産に臨んでください。

 

 各地の豪雨の被害が無い事を願っています。