気品を感じる薔薇の花です。
1959年にアメリカで作出され、ガーデンパーティーと名付けられた品種です。
純粋な白の一部分がほのかに紅色に色づくさまは、清らかな乙女の象徴のようで、心惹かれます。
最近、紙媒体のカレンダーを使用している方が減ってきているようですが、チョコレートで有名なロイズが発行しているロイズローズガーデンカレンダーは観賞用としても美しい薔薇の写真が多いです。
年末になると、北海道外でも、ロイズ展やオンラインなどで何か1品購入するとカレンダーがプレゼントされる期間があり、添付写真は昨年12月にいただいた2021年ロイズローズガーデンカレンダーです。
実用的な話ですが、分解して楽譜の裏紙にする方法も有ります。
ショパンのノクターンOp.15-2の楽譜は4枚から成るのですが、巧く繋ぎ合わせて蛇腹構成の厚紙を作ると、折り畳んで収納でき、開けば譜面台に一枚の紙が乗る形になるので、ページを捲る必要も無く、重宝しています。
ショパンのノクターンOp.9-1は5枚、ノクターンOp.9-2は3枚から成り、ロイズローズカレンダーを裏表紙にすると丁度良くまとまります。
ノクターンOp.9-1は寒色系の構成ページを探していたのですが、ラベンダーに近い色合いの青紫が主体になってしまいました。
余談ですが、ロイズの生チョコはオーレ(紺色のパッケージ)が一番人気で、ロイズ催事場では真っ先に完売しているのをよく見かけます。
【本日のピアノの練習について】
・ツェルニー30番練習曲集 12番(同音連打)、13番(テンポを一定に保つ)、15番(アルペジオ)
・バッハ インベンション第1番
・バッハ インベンション第2番
・バッハ インベンション第13番
・バッハ インベンション第14番
・バッハ インベンション第9番
・バッハ インベンション第4番 (暗譜済)
・バッハ インベンション第7番 (暗譜済)
・バッハ インベンション第8番 (暗譜済)
・バッハ シンフォニア第11番
・ショパン プレリュードOp.28 No.15(雨だれ)
・ショパン ノクターンOp.9-2
・ショパン ノクターン第20番(遺作)(暗譜済)
・ショパン エチュードOp.10-12(革命)(暗譜済)
・ショパン エチュードOp.10-4(暗譜済)
・ショパン バラード第1番
・その他(スケール、アルペジオ、その他)
本日は6時間以上ピアノに触れることができて満足です。
◆ショパンの左手アルペジオ伴奏部分の指使いについて
思い当たる節が多く、ショパンのノクターンOp.9-1の音を少し鳴らしてみて、やはり手首を回すだけでなく指くぐりを多用すべきだと確信しました。
ごく一部を取り上げても、上記添付画像の赤枠で囲んだ部分に関しては指くぐりを用いなければ音が繋がりにくく、手首を回したり手を広げたりする箇所と指くぐりを用いる箇所とを分別しています。
◆ショパン プレリュードOp.28 No.15(雨だれ)の右手と左手の使い分けについて
第3小節と第4小節の水色枠で囲んだ箇所のメロディーの音を美しく響かせるには、バッハのシンフォニアで学んだように内声を右手と左手のどちらでとるか、熟考する必要が有ると思います。
現段階では、青枠で囲んだ部分を右手、それ以外の部分を左手でとるのが最善策だと判断しています。
◆和音全般について
昨年から、ブログ記事内にてメロディーに和音が含まれているのが苦手だと記してきました。
先日のレッスンにて、先生から、親指を支える筋肉がまだ発達していないことがその一因だとご指摘を受けました。
ピアノを再開した昨年1月末と比較すると、掌の厚みが倍ぐらいになり、屈筋が発達したことを実感しているのですが、親指側に関してはまだ全然足りないとのことです。
これから地道に和音やオクターブの練習を積み重ねていこうと思います。
ショパンのバラード第1番のオクターブの連続部分(コーダの終わり)についても、親指の支えの筋肉が未発達なのです。
◆ピアノへ取り組む際の心境について
私が今、毎日ピアノの鍵盤に向かい、その日のピアノとの触れ合いが終わり、蓋を閉める時に毎回心配している事は、いつか必ずピアノと訣別する時がくること、そしてその訣別の契機となるのは、恐らく私にとって良い事柄ではないであろう事が既に予測出来ていること、更に、「次」にブランクを作ってしまうと、もう「再開」は絶望的であることです。
毎日毎日、「今日が『最後』かもしれない」、そのような想いを抱きながらピアノの蓋を閉じています。
そのような想いから、練習時間が長ければ上達するとは限らないと解っていながらも、一日のうち、可能な限りずっとピアノに触れているのです。
そして、可能な限り多くの楽曲に着手し、上達したいと思う反面、多くのものを身に付けてしまっては、「最後」を迎えた後の喪失感が大きくなってしまうことを憂慮しています。
今年の冬、ショパンエチュードOp.10-4のレッスンを終えた後、達成感と同時にこの種の不安感が沸き起こってきていました。
失うものは「程々のもの」でなければ、自分自身の心境に折り合いを付けることが非常に難しいのです。
私が毎日効率の悪い練習方法をとっているのは、失った後の自分の精神状態を潜在意識の中で予測しているからなのかもしれません。
ショパンエチュードOp.10-4が上達するよう毎日願い続け、邁進していた頃は、清らかな乙女の如く純粋な想いでピアノに向かうことができましたが、今では、失うことの恐ろしさを考えると、これ以上、上達したくないと思うこともしばしば有ります。
「過不足ない及第点こそが至高」、この指針はこのような場面でも発揮されようとしています。
現時点では、まだ対面レッスンを行っていただけるとのことで、非常に恵まれた環境の中で生活しています。
良き先生とのご縁をいただいたので、この環境が続くことを心より願っています。