以前薔薇園を散策していた時に観賞した可憐な薔薇の蕾を愛でています。
1986年にアメリカで作出され、プレイガールと名付けられた品種です。
その名前に反して謙虚な佇まいを感じさせます。
一重咲きの花に雫が滴り落ちる様も美しいと感じます。
自然界に生息する植物の様子を漢字一文字で表現するには軽率でおこがましいと感じることが多いのですが、この光景を表現するとしたら、「凛」です。
決して「儚」「泡」のようなものではなく、確固たる生命力が感じられます。
【本日のピアノの練習について】
・バッハ インベンション第1番
・バッハ インベンション第2番
・バッハ インベンション第13番
・バッハ インベンション第9番
・バッハ インベンション第7番 (暗譜済)
・バッハ インベンション第8番 (暗譜済)
・バッハ シンフォニア第11番
・ショパン プレリュードOp.28 No.15(雨だれ)
・ショパン ワルツOp.64-2(嬰ハ短調)
・ショパン エチュードOp.10-12(革命)(暗譜済)
・ショパン バラード第1番
・その他(スケール、アルペジオ、その他)
9ヶ月ぶりぐらいにショパンの雨だれの楽譜を開いてみました。
バッハのシンフォニアを練習していると、多声部弾き分けの技巧が向上したのではないかと思えてくることが有るので、ふと雨だれのことが脳裏を過りました。
第3小節から第4小節にかけて、左手と右手のどちらを使うか迷う箇所が出てくるのですが、赤枠で囲んだ箇所は右手、青枠で囲んだ箇所は左手と、無難な結果に落ち着きました。
第75小節の赤枠で囲んだ部分について、全て右手、全て左手、右手と左手を使う、この3パターンが考えられるのですが、両手を使った方法が一番理想とする音を出し易い気がします。
まだ運指については試行錯誤段階なので、ショパンの雨だれを思い出した日に考え直す予定です。
パデレフスキ版とヘンレ原典版の楽譜を持っているのですが、見比べても表記の仕方が全く異なり、良い部分を抽出する作業に時間を費やしそうです。
単に音を出すだけだと、荒々しい雷と雹の連続になりがちな箇所が多いので、雫と雹の部分を意識しながら練習できるようになるのが目標です。
「雨だれ」と一言で表現しても、様々な降水の種類が有るので、その辺の表現が難しい処です。
昔、小学生の頃、同い年の人がピアノの発表会でこの曲を凄く上手に演奏していたのが今でも忘れられません。
私の勝手な持論ですが、思春期に差し掛かる前の年齢の子どもで、ピアノで情緒的な表現に長けているのは国語が感覚的に非常に得意な人あるような気がしてなりません。
中学生以上になるとその傾向は顕著なものではなくなるのかもしれませんが、小学生の理屈抜きで何かを感じ取ることに長けている時期、文系脳は宝ではないかとすら思っています。
私自身が真逆のタイプであったからそう感じるのかもしれませんが、あの時期の「感覚」を大切に育てると良い方向に向かうのではないかと常に思います。
問題のショパンのバラード第1番のオクターブ部分について、本日も練習に励みました。
この曲は一曲通すこと自体困難を覚えるのですが、その分学ぶ事も多く、取り組み甲斐が有ります。
ショパンのバラード4曲について、聴いた時のイメージを天候に関連した漢字一文字で表すと、
1番 霞
2番 嵐
3番 虹
4番 霧
です。
2番以外は全て実体として存在しないもののように感じられるのです。
当初、1番は「風」だったのですが、全体的に良くも悪くもつかみどころのない雰囲気を感じ取り、もやがかかったような「霞」のイメージに変わりました。
地や木の要素があまり感じられないのがショパンのバラード4曲に共通する印象です。
強いて言うならば、2番には所々岩が崩れ落ちるかのような光景が連想されますが、基本的には「嵐」です。
学生時代、化学元素周期表の元素を全て(と言っても当時は112番まで)特性も含めて漢字二文字で表現して埋めていって完成していくゲーム(現在出回っている中国語表記ものとは異なります)が周りで流行っていました。
人によって作成したものが全然違うので、それぞれの人の秀逸な表現を集めて「秀逸な作品」としてまとめて完成形を作ったり、学生の間では常に面白い遊びが流行るものです。
学部生の実験で「2時間加熱して~(略)その後、精製し、」などという工程が有ると、その2時間で様々なゲームが流行ります。
本日の私の気分は、何故か「爽」です。