マリーゴールドのような形状でミステリアスな色合いの薔薇の花です。
フランスで作出され、ルイ14世と名付けられた品種です。
オールドローズの中で最も黒に近い薔薇の品種だとのことです。
命名の由来として明確なものは無いとのことですが、ルイ14世はクラシックバレエをこよなく愛し、パリ・オペラ座バレエ団の起源となる王立音楽アカデミーを創設されたと言われています。
ご自身も舞台でバレエを踊られたほどにバレエに思い入れが有ったらしいです。
先日、ルピシアだよりが届いていました。
毎月20日前後に到着しています。
今月は日本茶の特集。
もう少し涼しくなると煎茶が美味しくなってくると思います。
予てより考えていたことなのですが、日本語の中で、関西弁のイントネーションと、首都圏で話される所謂標準語のイントネーションとで、決定的な違いが有り、日本語をこの二種類に大別すると、普段、何かを表現する際、強勢を置く箇所が無意識のうちに設定されています。
関西弁の場合、「2,450円でございます。」と発音する時、
「にせんよんひゃくごじゅう(↑)えんでございます。」
となり、強勢を置く箇所が冒頭ではありません。
青色部分が最も強勢を置く箇所、赤色部分が準強勢を置く箇所として記すと上記のようになる傾向に有ります。
同じ言葉を標準語で発音すると、
「にせんよんひゃくごじゅうえんでございます。」 となり、
強勢を置く箇所が冒頭です(標準語は常に冒頭強勢)。
数字の「2」が「3」に置き換わった場合でも同様です。
このため、通常、標準語のイントネーションで報道されるニュースに於いては、冒頭を聞き逃すと大切な情報が伝達されないと云う事情に「も」起因し、金融機関の報道では、
「ふたせんよんひゃくごじゅうえん」
と発音されています。
「1,205」という数字を発音する際、 正確に情報を伝達することに重きを置く金融機関の報道に於いて、「いっせんふたひゃくまるご」もしくは「いっせんふたひゃくとんでご」と棒読みのように、通常の口頭でのやり取りに於ける「隙間」を全て埋め尽くすかのような言葉が用いられます。
冒頭強勢以外に、この「隙間」について言及すると、標準語は、一般的に抑揚が少なく、特に社会人が話す敬語の場合、「隙間」を自在に操りながらリズムを形成する事がほとんどないと感じます。
一方、関西弁、特に京都で地元の方々から発せられる言葉には、「隙間」が多く、リズムが形成されているように感じられる事が多いです(これは関西圏全般に該当することです)。
関西弁の中でも、摂津、京都、etc.細かく分かれているようですが、今回は大まかな分類として、強勢がどこに置かれるか、一つのフレーズの中でリズムが形成されているか、の二点に着目しています。
故に、大まかな分類として、北海道や東北地方、九州地方の方言は標準語系統、中国地方や四国地方の方言は関西弁系統としています。
九州地方の場合、標準語の冒頭強勢の特徴と、一つのフレーズのリズムを操りながら話す関西圏の特徴の両方を持ち合わせている事が多く、最初に注目を惹いておき、再び最初と同等もしくは最初を超える盛り上がりを表現する事が常に日常会話の中で自然に行われているが故、昔から全国的に著名な芸能人を輩出する傾向に有るのではないか、と考えることもしばしば有ります。
昔から、様々な地方の方言を交えた方とお話しする際、聴く側になると非常に上述の件を強く感じていました。
90年代半ば頃から社会問題化していた「語尾上げ(疑問文でもないのに「ヤバくな(↑《隙間》)い?」「すごくな(↑《隙間》)い?」)」の風潮は、安室奈美恵さんや華原朋美さんなどがブレイクし、その世代の若者の間でカラオケが大流行すると共に、急激に歌が上手くなったことと関連しているようでなりません。
首都圏に於いても、短いフレーズの中でリズムを形成する風潮が産まれ、正しい言葉遣いと云う面では低下したのかもしれませんが、物語構築性、他人へのメッセージ性は高まったのではないか、と云うのが私の見解です。
【本日のピアノの練習について】
・ハノン 1~20番の中から5曲
・バッハ インベンション第1番
・バッハ インベンション第2番
・バッハ インベンション第13番
・バッハ インベンション第9番
・バッハ インベンション第4番 (暗譜済)
・バッハ インベンション第7番 (暗譜済)
・バッハ インベンション第8番 (暗譜済)
・バッハ シンフォニア第11番
・ショパン ノクターン第20番(遺作)(暗譜済)
・ショパン 幻想即興曲(暗譜済)
・ショパン エチュードOp.10-12(革命)(暗譜済)
・ショパン バラード第1番
・その他(スケール、アルペジオ、その他)
私が弱起(アウフタクト)の曲を苦手としているのは、幼少期から現在に至るまで、基本的に標準語を話して生活しているからではないかと思う事がしばしば有ります。
特に、幼少期から9歳までに耳にした言語は一生その人の身体に染み付くもので、その後どれほど別の地方の人の言語を耳にしていても、咄嗟の時に出てくる表現や、真の意味で気を抜いた時に口をついて出る本音が含まれる表現はこの期間に身に付けたものであると信じてやみません。
上述の日本語の言語の件と弱起(アウフタクト)の曲の関連性についてですが、普段「休符」を意識して、「隙間」を自在に操りながらリズムを形成する話し方に馴染みが有る場合、弱起(アウフタクト)の曲の冒頭の休符を自然に表現できるのではないかと考えています。
ショパンの幻想即興曲の右手の速いパートの表現についても、金融機関の報道(こちらはツェルニー50番練習曲のイメージです)の如く鍵盤に向かっては音楽が形成されず、関西弁に見られる「隙間」の操り方を習得している必要が有ると思います。
上述の言語の件とは無関係ですが、昨日言及した、ショパンのバラード第1番の右手アルペジオの連続箇所について、私はショパンの幻想即興曲の右手の速いパートと同様に捉えて弾いていたことが先日のレッスンで判明しました。
日本の社会人は、普段、やり取りの中で「隙間」どころか「沈黙」すら全く用いる事がなく業務連絡を淡々と行う金融機関の報道のような話し方をする傾向に有る為、ショパンの楽曲に取り組む際は頭の切り替えをする必要が有ります。
バッハのシンフォニア第11番の場合、バスは第1拍目から入り、ソプラノは第2拍目から入るのですが、この入り方についても当初は相当戸惑いが有りました。
「7月」を「なながつ」と発音するようになってから得たものをどのように自分のものにしていくか、体得するのはもうほぼ不可能な年齢なので、理論で以て習得するよう努めたいと思います。
そのような私も、「大腸菌」などの言葉については京都のイントネーションを完璧に習得しています。