先程、地下鉄の駅のホームでベートーヴェンの月光第二楽章が流れているのを耳にしました。
ピアノ演奏の録音ではなく、機械で音を加工してあるようです。
今年の冬頃にバッハのインベンション第8番が流されていたのを耳にしなくなったと思いきや、まさかベートーヴェンの月光第二楽章に取って代わられたとは、意外で、選曲の基準が判りません。
添付写真は、以前観賞しに赴いた時のみずみずしい雰囲気の薔薇の花です。
1984年にフランスで作出されたイヴ・ピアッチェと名付けられた品種です。
スイスの高級ジュエラー「ピアッチェ」氏に捧げられたことに因んで命名されました。
芍薬咲きの形状の薔薇で、遠目で見て何も先入観が無い時には薔薇と云うより寧ろカーネーションと表現した方が相応しいかもしれません。
このピンク色が非常に好みです。
昨日の記載内容と一部関連しますが、何かをお断りする時や決断する際、「家族の反対で~」「家族の勧めで~」「周りがそう言っているから~」と言うのがマニュアル化されている気がします。
多くの場合、この文言は口実で、日本人の婉曲的表現が悪い方向に向かっている時に用いられると私は考えます。
自分自身の気が進まない事や、自分自身の意思であると他言すると、自分自身が責任を負わなければならないが故、何かを決断する時、上手くいかなかった時に責任転嫁する意図が透けて見え、成人後にこの言葉を安易に用いる風潮について、危機意識を持っています。
就活の内定お断り文句の典型マニュアルにまで、自分自身に内定をお断りする意思が有ったとしても、「両親と話し合った結果、両親の強い反対により~」などと記載されているのを見かけます。
学生どころか、主婦がパートを辞める・時間帯を変更する際の口実としても、
「主人の意向により~」
「私自身は続けたいのですが、家族の反対で~」
上記のような台詞を吐き、決してそこには存在しない家族は大切だと云う大義名分のもと、自らの意思をあたかも周りから強制されている被害者であるかのように伝達する方法がまかり通っています。
最近では、高等教育を受けるにあたって、親が子どもの学部・学科まで全て決定するご家庭も珍しくありません。
上手くいかなかった時、自分で決定したからではなく、「親に強制されたから」と、自分が被害者であるかのような発言を20歳過ぎても続けるのは責任転嫁ではないでしょうか。
私が、「この髪型変じゃない?」「今度着ていく服はこれでいいと思う?」などと云う趣旨の質問に見せかけた同調を求める連絡を受ける事を非常に嫌うのも、実際に場にそぐわなかったり周りから不評だった場合、自由意思で決定したものではなく、「あの人が良いと言ったから」と同調した人物を決定元にすり替え、責任転嫁する意思が感じられるからです。
【本日のピアノの練習について】
・バッハ インベンション第1番
・バッハ インベンション第2番
・バッハ インベンション第13番
・バッハ インベンション第9番
・バッハ インベンション第4番 (暗譜済)
・バッハ インベンション第7番 (暗譜済)
・バッハ インベンション第8番 (暗譜済)
・バッハ シンフォニア第11番
・ショパン ノクターン第20番(遺作)(暗譜済)
・ショパン エチュードOp.10-12(革命)(暗譜済)
・ショパン バラード第1番
・その他(スケール、アルペジオ、その他)
◆バッハ シンフォニア第11番について
最適な速度について、何種類か考案し、メトロノーム 八分音符=126になるよう練習しています。
速すぎると情緒が無くなる気がするので、もう少しテンポを落としても良さそうですが、当面の間、メトロノーム 八分音符=126で暫定です。
◆ショパン バラード第1番について
細かく考えるべき処は多々有りますが、4~5音から成る和音について、右1で白鍵を2鍵同時打鍵する箇所がこの曲にも複数出現します。
上記添付画像の青枠で囲んだ部分と赤枠で囲んだ部分ですが、青枠で囲んだ部分はバッハのインベンションやシンフォニアに慣れた今、非常に弾きにくい箇所です。
◆ショパン エチュードOp.10-12(革命)について
現在、右手のレガート部分の練習の強化を図っています。
先日、レッスンの際、私の場合はオクターブを1-4で掴むのではなく、1-5で打鍵した方が良いと助言いただき、その通りに練習しながら、中学時代に教わった方法を思い出しました。
私は以前、右1-4を使わずに、ほぼすべての曲を1-5で通していた気がします。
右4はオーバーラッピング用の指として使うと上手く弾けた気がします。
運指についても自分で決めた方が良いのか、一度暫定して先生に見てもらった方が良いのか、現在模索中です。
ピアノについてはあらゆる能力が成人しているとは言い切れず、習いに行かざるを得ません。