1枚1枚の花弁の安定感を感じさせる薔薇の花です。

 

 

 

 イギリスで作出されたベルエポックと名付けられた品種です。

 サーモンピンクよりも落ち着いていて、桜色ほど霞がかかった印象のない、かと言ってショッキングピンクのような自己主張の強さの無い色合いが好みです。

 

 

 「ベルエポック(Belle Époque)と言えば、ルピシアの紅茶の銘柄の品名にも有ります。

 一般的に、Belle Époqueとは、フランスパリが栄えた19世紀末から第一次世界大戦までの時期を指すようです。

 

 そこで、朝から紅茶を嗜む方は多いと思いますが、近年、商品や嗜好の多様化に伴い、スムージーデトックスウォーターを飲む習慣がある人も増えてきたと思います。

 

 

 

 以前、2010年前後に主に東京付近に多く設立された外資系ホテルのうちの1軒であるコンラッド東京朝食バイキングデトックスウォーター清涼感爽快感と僅かな甘味が印象的です。

 

 ドラゴンフルーツパインローズマリーラズベリーの4種が含まれているそうです。

 朝から爽快な気分に浸る事ができる、夏に最適なドリンク。

 

 ここ数年で、全国各地に凝った飲み物が普及しているのを感じます。

 

 殊に、2010年前後から、外資系ホテルが日本に参入し、所謂「御三家」よりもメディアで多く取り上げられるようになるにつれ、どの朝食会場にも今「旬」の飲み物が用意されています。

 

 選択肢が多くなったのは非常に好ましいことです。

 

 

 

 【本日のピアノの練習について】

 

 ・バッハ インベンション第1番

 ・バッハ インベンション第2番 

 ・バッハ インベンション第13番

 ・バッハ インベンション第9番

 ・バッハ インベンション第4番 (暗譜済)

 ・バッハ インベンション第7番 (暗譜済)

 ・バッハ インベンション第8番 (暗譜済)

 ・バッハ シンフォニア第11番

 ・ショパン ノクターン第20番(遺作)(暗譜済)

 ・ショパン 幻想即興曲(暗譜済)

 ・ショパン エチュードOp.10-12(革命)(暗譜済)

 ・ショパン バラード第1番

 ・その他(スケール、アルペジオ、その他)

 

 以前、バッハ インベンション第7番トリルショパン ノクターン第20番(遺作)トリル質が違うとの旨、記載しました。

 

 バッハの場合、作曲の時点でチェンバロでの演奏を想定されているので、弾き方云々の問題は有りますが、単純に楽曲から受ける印象を記すと、インベンション第7番他のものを突き放したような崇高さ、孤高に近い概念が有るので、再考の末、金属的な冷たいトリルのままで構わないのではないかと云う結論に至りました。

 

 また、ここ数日、ショパン幻想即興曲について思い出す事が多々有り、この曲をめぐって起こった事や取り組んでいた時の社会情勢を思い出す度に胸が苦しくなることが多いです。

 

 偶然にも、この曲を教わっていた先生のことや、身内の状況が話題に上り、複雑な気分です。

 

 

 多感な時期によく練習した曲、よく聴いていた曲には、その当時の思い出が常に付き纏い、再開して初めて知って初めて楽譜を見た曲とは全く印象が異なります。

 「その当時の思い出」を上手く昇華させることができればよいのですが、今、懐かしい記憶との闘いを強いられている気がします。

 

 中学生頃から20代前半の時期を広義の思春期と呼ぶと最近言われていますが、あの時期に抱いた想い、憧れは、絶対的なもので、今どれ程の物質や経験を手に入れても敵わないのだと実感しています。

 あの時期に抱いていた想いを現実にしてしまったら、何を希望として生きていけばよいのか…。

 

 「初恋は叶わないから良い」とよく言われていますが、恋愛感情に限らず、あの時期に抱いていた物事についての憧れを全て現実にしてしまったら、人生は面白味のないものではないのか…。

 憧れを現実にするだけでなく、現実の方が憧れを超えてしまった場合、過去の自分を否定する事に繋がるのではないか。

 

 私は、現実が憧れを超えてしまった場合、達成感、満足感よりも、失望の方が大きくなると思います。

 

 そして、今、私が本気でショパンバラード第1番を練習している事実が全く信じられません。

 あの頃、漠然と抱いていた憧れを超えない完成度であれば、ずっと夢を見ていられる気がするのですが、それでは自分が納得できず、既習の曲に取り組む時とは異なる「自分との闘い」に挑んでいます。

 

 

 「過不足ない及第点」でなければ自分自身が納得できない。

 自分が抱いた理想に達していなければ、対象を自分のものにしようと努力し続ける。

 自分が抱いた理想を超えると、対象が大したものではなかったのだと失望する。

 

 この欲求を満たすには、相手が「人」でなく、偶然性の要素の低い「物事」でなくてはならない。

 

 

 宿泊施設の「御三家」が、もはや実質「御三家」ではなくなりつつある中で、認識を変えていく難しさや葛藤を常に抱えながら、日々ピアノに向かっています。

 様々な記憶を上手くデトックスできるよう、精神面の整理中です。