猛暑が続く中、8月ももう6日目になりました。

 

 

 1976年アメリカで作出されたダブル・デライトと云う品種の薔薇の花です。

 

 本日8月6日は、日本の広島原子爆弾投下されて76年目ということもあり、平和祈念式が執り行われた動画がネット公開されています。

 「密を避ける」事が推奨されている昨今の情勢を考慮すると、ネット上で閲覧できるのも一つの選択肢として良いと思います。

 

 戦争で犠牲となった、様々な立場の方々の事を考えると、今、空調の整った環境でインターネット利用できることを「当たり前」だと思える状況を作り上げてくださった上の世代の方々に感謝すると共に、今後社会に関わる人達がこの「当たり前」の環境を維持していく為に努力を継続していく事が必要なのだと思います。

 

 3年前、広島原爆ドーム原爆資料館を訪れた際、各国の言語に訳された案内文が添えられた展示物を複数の国や地域外国人観光客方々が神妙な面持ちで見学していらっしゃった光景が印象的です。

 

 グローバル化についても、一方のみが権利を主張するのではなく、「皆がお互いに歩み寄る」方向性に進んでいくと上手くいくのではないかと思います。

 

 バックグラウンドが全く異なる他者に対し、何か理解配慮を求める際、相手に解りやすく伝える努力をする事も重要なのだと痛感しました。

 

 

 "Doblue  Delight"と云う名の通り、あらゆる人・機関との関係に於いて、喜びを2倍にしていける仲を築いていけるとよいと思います。

 

 それにしても、この「ダブル・デライト」はひらひらと優雅に舞い上がりそうな雰囲気で、美しく彩っているように感じられます。

 

 

 

 【本日のピアノの練習について】

 

 ・ハノン 1~20番の中から10曲

 ・バッハ インベンション第1番

 ・バッハ インベンション第2番

 ・バッハ インベンション第13番

 ・バッハ インベンション第14番

 ・バッハ インベンション第4番 (暗譜済)

 ・バッハ インベンション第7番 (暗譜済)

 ・バッハ インベンション第8番 (暗譜済)

 ・バッハ シンフォニア第11番

 ・ショパン ワルツOp.64-2(嬰ハ短調)

 ・ショパン ノクターン第20番(遺作)(暗譜済)

 ・ショパン エチュードOp.10-12(革命)(暗譜済)

 ・その他(スケール、アルペジオ、その他)

 

 

 バッハシンフォニアについて

 

 昨日、第11番以外は思い入れが無い曲と記しましたが、第5番も好きなので、今月中に着手予定です。

 ただ、現実問題として、暑さの所為もあり、身体的に疲労が激しく、集中力が持たないので、どの程度着手するかは状態を見ながら判断していきたいです。

 

 第11番は、現段階ではシンフォニア全15曲の中で一番音楽的に好きな曲なので、練習にも楽しく取り組めています。

 

 昨年、短調の曲をあまり好んでいなかったのですが、今では切なげな雰囲気の漂う曲も進んで着手するようになったので、嗜好の変化も訪れているのかと思う事が有ります。

 

 

 バッハインベンションについて

 

 上述の件と矛盾するようですが、本日着手した7曲のうち、第8番が一番練習していて楽しい曲です。

 

 ・テンポが軽快

 ・ヘ長調で陽気な感じ

 

 上記の感覚的な要素から、

 メトロノーム無しでもテンポを一定に保つ事に難を感じなくなった事練習に「快」を見出す要素のうちの一つです。

 

 ここ1ヶ月半ほどでテンポを一定に保つ事を克服した一番の勝因は、ハノン21~30番メトロノームを使ってテンポを一定に保ち、リズム変奏無しで取り組んだ事だと思います。

 

 

 好み「快」「不快」について

 

 この件について考える事が多いのですが、音楽でもでも、理屈の有無に関わらずあまり関わりたくない時・対象が存在する事が多いと思います。

 この「個々の感性」を否定するのは避けたいです。

 

 「この良さが分からないのは頭がおかしい」などと発言するのは人格否定だと私は捉えています。

 価値観感性の違いは個性だと思います。

 

 以前、聴かされるのが苦痛な話の件について言及しましたが、現代の日本に於いて、義務教育修了後は、関わる対象・事象を選ぶ側になる事ができるので、聴きたくない相手に無理矢理返信を求めたり最寄り駅や家まで追いかけたりするストーカー行為はくれぐれも慎むべきだと思います。

 自分にも相手にも関与する対象・事象を選ぶ権利が与えられているのが現在の日本です。

 

 本来対等な関係であるべきはずの相手が、「会話」なのか「トークショー」なのか判らない、自分に同意する圧力をかけ、予定調和を強要する事を一方的に持ち掛けてくると、ストレスでしかありません

 

 そもそも、その相手の心を真の意味で掴めていない場合、無理矢理引き留めている関係性は遅かれ早かれ崩壊します。

 一時的な強制形式上の主従関係であり、となっている者の言動は裸の王様でしかありません。

 

 昭和時代、世間が無理矢理同調圧力をかけて購入・使用するよう仕向けていた物や事柄が、今、化けの皮が剝がれたかのように売上が陥落し、国民の本心が漸く尊重されるようになってきました。

 

 

 写真を加工するスマホアプリの性能が進化しても、被写体の外観自体が変化する事が無いのと同様、建前上の関係をどれ程取り繕い、相手を無理矢理自分に合わせさせて同調させていたとしても、相手の本心が自分の思い通りになる事はまず無いと私は考えています。

 

 現実は現実疑似体験はあくまでも疑似体験のままです。

 

 

 私自身、プライベートに於いて他者に何かを強要する事のないよう気を付けたいです。

 

 

 

 ショパン ワルツOp.64-2(嬰ハ短調)について

 

 バッハシンフォニアに取り組んでいると、ショパン ワルツOp.64-2(嬰ハ短調)の存在が気になってきます。

 中間部のパートの一部の左手の音を未だに確認しながら弾いている状態なのですが、どうしても細かい箇所が憶えられず(耳で「覚えて」いる状態)、最後まで通すには数箇所楽譜を見ながらでもよいのではないかと思いつつあります。

 

 過去に暗譜できた曲が今暗譜できない、これが現実です。

 「何故か」ショパン エチュードOp.10-12(革命)は暗譜出来ていると思っていたのですが、「何故か」ではなく、思い入れの強さの違いなのではないかと最近思いつつあります。

 

 

 大人のプライベートに於いては、「好きな事だけする」「嫌な事はしない」、これも一つの方法だと思います。